第二十話〖魂の輝き〗
【一】
地上二・四メートル、オレンジ色の空の下で。
霊光の中から、縦長の直方体が見え隠れする。輝きが完全に消えると、木目調の表面があらわになった。その正体は一台の本棚。背板あり、扉なし。棚は均等な五段重ねで、大判書籍でも収納可能な高さだ。
「よっこらせぇ」
ギンガは頭の斜め上で本棚をキャッチし、そのまま腰を屈めて地面に降ろした。衝撃で砂ぼこりが舞う。
中身が空とはいえ、結構な重さだ。カイザなら手が滑って足の上へ落としていただろう。わざわざ手を伸ばしてまで高い位置でクリエイトする意味はない。単にポーズを決めたかっただけのようだ。
「よし、もう一丁や」
続いて二枚目の白札に霊力を込め、辞書のような厚手の本をクリエイトした。本は本棚と同じく、エターナルクリエイションだ。
「まぁこんなもんや。調子ええときは百冊くらいまとめてクリエイトできるんやで」
本を本棚の最上段に乗せ、パンパンと手をはたいた。
ギンガは一ヶ月サイクルで好調と不調を繰り返している。ここ一週間は不調期で、明日あたりが絶不調だという。
カイザの予想どおりだった。
今回の実演ではクリエイトスペースを使うまでもない大きさだったが、絶好調の日には本棚を一度に百台出したこともあるらしい。あとで運び出すのが大変そうだ。
白紙の本はノートや用紙として利用できる。本棚は分解して木材にすることもできる。加工して別のものに作り直されたクリエイションを、『二次クリエイション』という。
なにを実体化できるかはクリエイターごとに異なる。ギンガの場合、本と本棚限定だ。
本は、人類が旧時代に印刷したものからランダムに再現するか、または白紙にするかを能力の発動前に選べる。
本棚は、直方体で背板あり扉なしのタイプに限る。棚数やサイズは自由自在、消費霊力次第だ。発動前に木と鉄から材質を選べるのが強みだ。
「さぁて、ほんならお次はカイザの番やでぇ」
実演ショーで霊力を使いすぎたのか、ふらついて本棚に手をかけた。が、それでも立っていられないようで、体が傾く。
「おっと、危ない」
カイザはとっさにギンガの体を支えた。
「スマンなぁ。午前中にも霊力を使っとったんやった」
「大丈夫? 仕事も忙しいみたいだし、無理しないでね」
「ほーん、あてにも優しくしてくれるんや」
「うるさいなぁ、今回だけだよ。次は絶対、放置して帰るからな」
カイザはギンガを連れてクリエイトスペースの入口付近まで移動した。
身長差が二十センチメートル以上もあるので肩を組むのがむずかしく、やむなく腰に手を回す。何度か前に転びそうになるのを食い止めたら、不可効力で胸に手が当たった。やはり左側だけ真っ平らだった。
【二】
ギンガはクリエイトスペースの端で体を休めた。気だるそうな顔つきで柵にもたれかかり、ぜいぜいと息を切らす。
カイザが心配する間もなく、しばらくすると回復した。いつものように早口で喋りまくる。
「カードの実体化ができるようになるんは、★×3ランクからや。クリエイターランクは魂のデカさ、霊子保有量で決まるねん。あ、霊子保有量っちゅうのは、満タンまで回復した状態の値な。使ったぶんは消費量、残ったぶんは残存霊子保有量な」
「そこまではわかるよ」
「クリエイターランクが同じでも、霊子保有量は人それぞれ違うんや。この数値をさらに厳密にしたのがクリエイターレベルやねん」
「なるほど」
クリエイターを目に見える能力の違いで区別したのがクリエイターランク。目に見えない違いまで細かく区切った数値が『クリエイターレベル』だ。以降、ランクといえばクリエイターランク、レベルといえばクリエイターレベルを指す。
「順番に説明するでぇ」
ギンガの口から数字が呪文のように飛び出してきた。
消費霊力は点数で計算する。最底レアリティの白札を一枚クリエイトするのに必要な霊力を百点とすると、ネームクリエイトは一点、イラストクリエイトは十点、エターナルクリエイトは百グラムあたり一点だ。対局空間へ行くのにも一点の霊力を消費する。
レベルを三乗した値が霊子保有量だ。つまり、霊子保有量の三乗根がレベルに相当する。
(三乗とは元の数字を三回掛けた値で、三乗根とは三回掛けたら元の数字になる値)
霊子保有量が一点に達したらレベル1(一掛ける一掛ける一は一)、八点でレベル2(二掛ける二掛ける二は八)に昇格する。一点以下だとなにもできないので、レベル1未満は非覚醒者だとわかる。
レベル10以下は★×1ランク、レベル20以下は★×2ランク、レベル30以下は★×3ランク、以下同じように続く。
「霊力を全部使うことはできへんでぇ。半日で一割、無理やり一日ぶん使っても二割程度。それ以上使うと、翌日も回復せずに気だるいまんま。血ィ抜かれるんと一緒やな。ランクアップを目指して修行中のときは三割くらい消費するけど、まあ尋常じゃないくらいヘロヘロになるわなぁ」
「今のギンガみたいにね」
「やかましいわい!」
霊子消費量が四割を超えると気絶する。魂の損傷による後遺症は一生消えず、霊毒病にかかりやすくなる。五割を超えるとその場で死に至る。
「ほら、次はあんたがクリエイトする番やでぇ」
そう言うと、カイザの肩をポンと叩いた。
「でも、どうすればいいのかわからないよ」
「今からコツを教えたるわ。ちょっと目ェつむってみぃ」
「う、うん」
言われるがままに目をつむった。まぶたを閉じるや否や、頬の両サイドになにかが触れる。
「え、なに?」
慌てて目を開けると、真正面にギンガの顔があった。カイザの両頬にギンガの手が添えられていた。
「クルルァ、目ェ開けるなや。ずっと閉じとけ」
ギンガは背中を丸めるような格好でカイザに顔を近づけた。額や鼻がぶつかりそうだ。
「ちょ、近いんだけど! どうするつもンギュ」
カイザは両頬に添えられた手をぎゅっと押し付けられた。唇が突き出てタコのようになり、続きを言えなくなる。
「どれどれぇ、ちょっと測らせてもらうでぇ」
熱を測るときのようにおでこをくっつけた。
「ほーん、霊子保有量、約八千五百点。だいたいレベル20・4くらいやな。ギリギリ★×3ランク到達ってところかぁ」
器具を使うことなく霊子保有量を測定し、素早く三乗根の計算をしてカイザのレベルを導き出した。用が済むなり手を退ける。
人は生きているだけで、魂から霊力を放っている。訓練すれば非覚醒者でも感知できるようになり、おおよその霊子保有量を割り出せる。
人類は古代からこの能力を活用し、占いなどに応用してきた。歴史に名を残すような人物は皆、魂から強烈なエネルギーを発している。いわゆるオーラなどと表現されてきたものの正体は、魂から発せられる霊力のことだったのだ。
「プハァ、計算早っ! 笑っちゃいそうになったよ」
「いや、ほかに言うことあるやろぉ! っていうか、笑いのツボ、そこぉ?」
「言おうとしていたことを忘れちゃったよ」
「ほんなら、忘れとるうちに先回りして説明しとくわ。あては両手で触れた人の霊子保有量がわかるんや。この能力は訓練次第では★×0ランクでも習得できるようになるでぇ。また今度教えたるわ」
霊子保有量の感知能力は人それぞれだ。高ランクのクリエイターでもセンスがなければまるで駄目だし、非覚醒者でも感性の鋭い人はいくらでもいる。
ギンガはいちいち両手で相手に触れないと霊力保有量を測れないが、所長のアユムなら対局所にいるだけで所内にいる人間の霊子保有量が瞬間にわかる。
下摂津ノ國の支配者、覇道テイトクは都にいる人間全員の霊力を感知し、霊子保有量、霊子消費量、位置情報まで把握している。北の御璽羅川ホウギョクに至ってはは、国土全体をカバーするという化け物級の感知能力を備えているらしい。
「なるほど、僕のレベルを測ってくれていたんだね。なんの脈絡もなくキスされるのかと身構えたよ」
「そんなわけないやろ。まだコツを教えてへんねんから、もう一回目ェつむりや」
「あー、また上司が唐突にセクハラしようとする」
「なんでやねん! 話を変な方向に持っていこうとすなぁ!」
【三】
冗談はさておき。
カイザは視覚情報を遮断し、目の前の世界を離れてひたすら思考に集中した。
「覚醒した日のことを思い出してみぃ。自分の能力でカードをつくった日のことを思い出してみぃ。これからやることはもうワンランク上のアクションやけど、本質的には対して変わらへん。物質界のことは忘れて、自分の内面に注意を向けるんや」
目を閉じたカイザの手を握り、クリエイトスペースの中央までエスコートした。さっきと立場が逆転している。
「一気に大量の霊力を使ったらあかんでぇ。下手すれば死ぬからなぁ。初心者はフルアクセルでツッコミがちなんや。蛇口をちょっとずつけひねるイメージで、うまく力をセーブしながら己の魂を解放するねん」
カイザの霊子保有量は約八千五百点。明日の朝までに使える使える霊力は八百五十程度だ。そのうち三十点は裏クリエイターとの本番対局三十戦で消費したので、実質は八百二十点あたりとなる。
「余計な霊力を消費せぇへんように、今回だけ特別にベースの白札を貸したるわ。実体化にだけ集中せぇ」
ギンガはカイザの背後にまわり、デッキケースからストックの白札を取り出した。カイザの手に持たせ、腕を前に出すように介添えした。
「どうせ、あとで利子をつけて返せっていうんだろ」
「ち、バレたかぁ」
「だと思ったよ」
「成功したらチャラにしたるわ。失敗したら倍返しや」
「よし、乗った」
競争心に火がついた。カイザは白札に意識を集中させた。
「あんまり意識を集中させすぎてもあかんでぇ。肩の力を抜いて、適度にリラックスするんや」
ギンガはうしろから抱きつくような体の配置で、左手をカイザの右肩にまわした。右手は天に掲げ、手のひらを重ねる。
「おい、肩の力ァ抜けって言うとるやろぉ」
「待って、無理デス」
「なんや、またスケベなことを考えとるんかぁ?」
「チ、チガウヨ」
赤面するカイザ。右後頭部に柔らかいものが当たっている。背後から心臓の鼓動や髪の香りまで伝わってきた。右手の甲に重なった手から体温を感じる。
「ダメだダメだ、もう負債はゴメンだぞ。絶対成功させてやる!」
気を取り直して集中した。酸っぱいものでも舐めたように目をぎゅっとつむり、雑念を追い払う。
カイザは精神世界へダイブした。
視界はゼロ。普通、ものが見えなくなるとほかの感覚が鋭くなるもの。だが、カイザはすべての感覚を取り除いて無の境地へ向かった。
まず、周囲の音が聞こえなくなる。ギンガがなにか喋っているようだが、だんだんボリュームが小さくなってゆく。かわりに聞こえてきたのは、魂の叫び声。生物の魂は心臓のように拍動し、絶えず霊子を取り込んだり吐き出したりしている。
触覚や温度感覚が失われる。触れられるのは、内側にある自らの魂のみ。不思議な温かみがあった。
味覚と嗅覚も消えていた。
自分が今、どこにいるのか忘れた。カイザの肉体はクリエイトスペースにありなが、精神はそこにはなかった。
時間感覚も失われた。物質界でどれだけ時間が経過したのかわからない。
自分が何者であるかも忘れた。名前も、過去も、現在も。
あるのはただ、一筋の光のみ。
カイザは自分の魂をともしびとし、光に照らされた道をひとりで歩いた。
ひとりで歩く。
周りには誰もいない。
人はひとりでは生きていけないとよく言われる。必ず誰かの助けがいる。だが、自分の生き方や判断を他人に委ねているうちに、魂のともしびはどんどん弱くなっていく。
自分以外の誰かをともしびとして、前を照らしてもらって生きていたとする。頼りにしてしたともしびが消えた瞬間、人生は真っ暗になる。永遠に闇の中をさまようことになるのだ。
誰かのあとを追えば前に進んだ気がするが、本当はなにも成長していない。自分を信じ、自らの魂をともしびとして光の方向に進めば、おのずと魂のともしびは大きく育つ。
道が終わり、目の前に扉があらわれた。
扉の先には、輝きにつつまれた空間があった。
『お前ななんのためにここへ来た?』
自らの魂が語りかけてくる。
「クリエイトするためだ」
カイザは答えた。
『お前はクリエイターなのか? お前にそんな力があるのか?』
「あるとも。人はみんな、クリエイターなんだ」
『ならば見せてみよ』
「やってやる!」
位置エネルギー、運動エネルギー、熱エネルギー、すべてのエネルギーはつながっている。物質もまた、エネルギーの塊だという。
カイザの魂から放出した霊子エネルギーが物質化してゆく。
『人は皆、その魂が輝く限り、創造主にも匹敵する偉大な力を持っているのだ。創造しろ。お前がいなければ、この世に生まれなかったものがある』
目を開いた。物質界の景色や感覚がなだれ込んでくる。