第十八話〖昇格〗
【一】
七日目。空の色は、昨日の赤に黄色が混じったような感じのオレンジ色だ。
その日の夕方。裏対局室でギンガを待つ間、カイザは裏クリエイターたちと順番に対局した。
カイザは勝利に飢えていた。早くクリエイターランクを上げなければという焦りがあった。だが、さすがは海千山千の裏クリエイター。賭けなしといえども手は抜かず、カイザ相手に勝率七割以上をキープする。
カイザ自身がなにかを賭けなくとも、周りがカイザの勝ち負けで賭け合った。ジャイ男含む少数メンバーは、カイザに山を張ることで応援の意を示した。それが逆にプレッシャーとなった。負けた原因はプレッシャーではなく、単に実力不足なのだが。
ジャイ男との対局は最後の最後だった。ジャイ男がいくらカイザを応援しているとはいえ、対局では手加減なしだ。結局、カイザの惨敗に終わった。
「お前さんはまだまだじゃい。しかしじゃい、ランクアップまであと少し。数戦ほどすれば★×3ランクに上がるかもしれんぞい」
胸の前で腕を組み、険しい表情を浮かべるジャイ男。顔は怖いが、わさわさと揺れる胸毛が笑いを誘う。
ジャイ男は、頭に兜、上半身は裸、下はブカブカのズボンという異様な身なりの裏クリエイターだ。アユムとギンガを除けば、裏対局室で一番の実力者でもある。
カードチェスは、運よりもデッキ構築やプレイングが重要なゲームだ。サイコロ勝負では無敗のカイザだが、対局となればなかなか勝てない。
兵頭対局所にたむろする裏クリエイターは、全員が★×3ランクだった。カイザはまだ★×2ランクなので、勝率三割でも高いくらいだ。
クリエイターランクの差は、目に見える能力の差だ。
★×1ランクは無から白札をクリエイトできる。ただし消費霊力が割に合わないので、カードハンターから白札を買い取るほうがましだ。また、白札にカード名を付け足すことができる。
★×2ランクは白札に二次元のイラストを付け足すことができる。
★×3ランクになれば、イラストを三次元化させて、実体としてクリエイト可能になる。ただし、プロとして生活するレベルではない。
★×4ランクはプロとして活動できる水準だ。
★×5ランク以上は人間の限界を超えた者だ。
ジャイ男は昔から裏クリエイターに憧れ、自らの意思で地下世界へ降りた。ジャイ男と似たような者は多い。だが、大半の裏クリエイターは、かつてプロを目指したが一歩届かずに堕ちた者たちだ。
★×2ランク以下の実力では、裏クリエイターになることさえむずかしい。結果として、★×3ランクといえば裏クリエイター、裏クリエイターといえば★×3ランクというイメージが定着した。
プロになれるのは一万人にひとり。カイザはそんな野心などなかった。ただひたすらに訓練して、★×3ランクを目指すのみだ。
格上との対局は勝率が上がらず、モチベーションを維持できないことが多い。だから、普通は実力が近いクリエイター同士で競い合う。ライバルがいれば強くなる、という寸法だ。
カイザにはライバルと呼べる相手がいない。相手はいつも格上だ。勝率は三割以下だったが、それでも挑み続けるほかになかった。
そして、ついにランクアップする。一ヶ月以内にランクアップという予定が、たった七日で実現してしまった。
★×3ランクに昇格したカイザは、試しに何かを実体化させてみたかったが、あいにく持ち合わせのカードがない。
一度実体化させたカードは戻すことができない。下手に実体化させるくらいなら、カードのままにしておいたほうが価値が高いこともある。
さらに、実体化には膨大な霊力が必要だ。一日に消費できる霊力は、各々の実力によって決まっている。
たとえばジャイ男なら、半日分の霊力を消費してサイコロを二、三個クリエイトできる。だが、その程度の実力では消費霊力が割に合わない。対局空間で鍛えるほうがましだ。
カードチェスの元になった将棋やチェスは、本来、戦争を模したボードゲームだ。対局空間での対局は、疑似的な命のやり取りだといえる。親札の体力が減ると、自分の命が危機に瀕するのと同じ感覚を味わう。負けたら臨死体験を経験する。
カードクリエイターとは、幾多の困難、逆境、試練の中、臨死体験を経て特殊能力に目覚めた者だ。覚醒に必要な経験を積むための場所は現実世界でなくてもよい。だから、対局空間で鍛えることによって、クリエイターランクを上げることができるのだ。
クリエイターは万能ではない。作り出せるクリエイションの種類は人によって異なる。各々が、他人にはクリエイトできない資源を出し合うことで、この世界は成り立っているのだ。
カイザの実力は未知数だ。何をどれだけクリエイトできるのか、それが現実で役に立つのか立たないのかも不明。それどころか、クリエイトのやり方さえ分からない。
「ギンガ、今日は遅いなあ」
カイザはまず、副所長のギンガに報告することにした。裏対局室を出て階段を上がる。
【二】
副所長室のドアをノックしたが、返事がない。
「ギンガ、入るよ」
カイザはドアを開けた。
「おう、カイザかぁ。どないしたんやぁ?」
ギンガは読書を手を止め、振り返った。
「うん?」
カイザの思考が止まった。数秒間、口をポカンと開けて呆然と立ち尽くした。
譜面台とカメラスタンドを合わせたような金属器具が二十台。三本の脚が棒状のボディを支えて直立し、デスクを取り囲むように配置されている。
一週間前にも、カイザはこの金属器具を見ていた。ギンガに頭を下げたあの日のことだ。そのときは用途不明だったが、今やっと理解した。
金属器具は本を読むための装置だ。カイザの目線ほどの高さで本を開いた状態でセットすると、両手をフリーにして立ち読みすることができる。
使い方は分かったが、使う必要があるかはやはり謎だ。普通に座って読書してはいけないのだろうか。なにより、なぜ同時に二十台も広げているのか。カイザは首を捻った。
「悪魔召喚の儀式かな?」
二十台の立ち読み用ブックスタンドは、厚い本がセットされた状態で、等間隔でデスクを一周している。魔法陣を取り囲むロウソクと魔導書に見えなくもない。
「いや、この際、そんなことはどうでもいいんだ。ツッコミどころはいろいろあるけど、まずひとつ⋯⋯」
息を大きく吸い込む。
「どうして服を脱いでいるんだよお!」
カイザは腰に手を当て、大声で叫んだ。
ギンガは上半身に何も着ていない。ジャイ男スタイルだ。左肩と胸元を包帯のようなガーゼでグルグル巻きにしているものの、カイザには少々刺激が強すぎた。
「おっと、失礼。途中で着替えてることを忘れとったわ」
「いや、普通忘れないだろ! とりあえず、早く着替えなよ」
カイザは顔を真っ赤にしてうしろを向いた。
一方のギンガといえば、ケロッとした顔で平然と服を着替えはじめた。
「ぼ、僕はちゃんとノックしたぞ。わざと見たわけじゃないからな」
「分かっとるがな。誰が好き好んで見たがるんや。カイザも災難やったなぁ、お目汚し堪忍やでぇ。あ、言うとくけど、あてもわざと見せたわけちゃうからな」
ギンガは冗談っぽく微妙に自虐を交えた。
カイザはふと思い出す。そういえば、ギンガは前にも同じような言い回しをしてきた。自信家のくせに、変なところが妙に卑屈なのだ。やはり、体の傷に対して思うところがあるのだろうか。
「もしかして、ギンガは集中しすぎるとほかのことを忘れてしまうタイプ?」
カードチェスで勝つためには極度の集中力が求められる。上手い人は皆、集中力お化けだ。とあるカードチェス研究家は、風呂で『詰め対局』の問題に没頭するあまり裸で外に出てしまった、という逸話がある。
「いやあ、それがまったくの逆やねんなぁ。ひとつの動作を最後までやり遂げるんが苦手やねん。途中で放り出して、ほかのことをはじめたくなるんよ」
「ああ、だから中途半端に脱ぎかけだったのか。そのまま忘れて読書⋯⋯って、さすがにそれはないだろ!」
好奇心旺盛で新しいもの好きな反面、飽き性で注意散漫。好きなことを好きなだけやっては、志半ばで放り出す。それが、カイザの見立てたギンガの性格だ。ここまで癖の強い人物を見たのははじめてだった。
「はぁー、集中力のある人がうらやましいわ。カードチェスは好きやし、もっと勝ちたいのに、途中でバテてまう。知りたいことは沢山あるのに、読書にも没頭できひん」
本を読むとき、まずは特注の装置を二十台、まるく並べて組み立てる。それも一回では済まない。だいたい十台くらいで飽き、副所長の仕事をこなす。仕事に飽きたらまた続きに取りかかる。
次に本をセットする。飽きないように、ジャンルは全部バラバラでなければならない。カードチェスの専門書から、科学、哲学、歴史、文学、政治、経済、軍事、果ては児童書や絵本まで、ありとあらゆる本を手当り次第に乱読する。
一ページ読んでムズムズしてきたら、一歩進んで隣の本を読む。また一ページ読んだら一歩進む。一周まわったら二ページ目をめくる。この繰り返しで二十冊の本を同時に読むのだ。
「いや、逆にスゴいよ。二十冊を同時に読むなんて」
「あてからしたら、しっかり一冊を熟読するほうがむずかしいわ」
ギンガは深刻に悩んでいた。
「ねえ、もしもギンガがここの仕事を辞めたくなったらどうするつもりなの? 所員のみんなやアユムちゃんを見捨てるの?」
ギンガならやりかねない。初日に過去の話を聞いていたので、また同じことを繰り返すような気がした。
「そんなことせえへんって。もう昔のあてとは違うんや。これでも成長したんやでぇ」
きりっとした表情で反論する。ギンガはアユムとの出会いを語った。
【三】
二年前、ギンガは東本州関東圏の裏組織を追われ、下摂津ノ國で逃亡生活をしていた。
下摂津ノ國は、支配者である覇道テイトクの方針で、有能な人材なら誰でも受け入れるシステムが確立されている。
都を囲む城壁の外側に広がる町を外町という。都の中心地で暮らせるのは★×4ランク以上の邦人のみ、だが、外町でなら外国人も住むことが許されている。さすがに札付きは入国を拒否されるが、潜入する方法はいくらでもある。
ギンガは裏組織の元構成員だったが、顔までは割れていなかった。舌先三寸で検問所を突破し、外町に潜伏した。
ギンガは外町の裏対局所や裏対局室を巡り歩き、白札稼ぎをはじめた。そして三軒目の対局所で、兵頭親子と出会った。
アユムの父親は対局所の所長だった。地上は通常営業、地下は裏対局室という典型的な裏あり対局所。ギンガは所長に対局を挑み、勝利を収めた。
だが、所長よりも強いクリエイターが裏対局室にいるという。正体は所長の娘、兵頭アユムだ。
アユムは五歳児だったが、知能はすでに大人並。実力も★×3ランクで、微差だが勝率は父親以上。
ギンガはアユムと対局したが、惜しくも敗北してしまう。アユムに勝つまでは巡り歩くのをやめ、専属の裏クリエイターとして居座ることに決めた。
ギンガとアユムは意気投合した。二人は年の差七歳にして、互いに良きライバルになった。ときにはカードチェスの戦略や理論について語り合い、ときには肩を並べて競い合った。
ギンガは今まで、自分のことを深く語り合える仲間がいなかった。いつしか二人の間には、かけがえのないつながりが芽生えていた。
ギンガと兵頭親子は、三人とも★×3ランクだった。だが、序列でいえば、最年少のアユムが一番強く、次がギンガ、一番弱いのがアユムの父親だ。
そのうち、アユムは自分の対局所を持ちたいと主張するようになった。
カードチェスが強いからといって、所長としての素質があるとは限らない。父親は、五歳児のくせに生意気だ、大人になるまで待つように、と娘を諭した。だが、アユムも頑固で譲らない。★×5ランクまで昇格すれば許可してくれるかと挑発し、まんまと言質を取ることに成功。
そうそう簡単には★×5ランクに昇格できるはずがない。父親はタカをくくっていた。無理もない、★×5ランクといえば、普通の人が一生かかっても到達できない領域なのだから。
だが、不可能を可能にするのが兵頭アユムだ。アユムは父親やギンガを巻き込み、魂が燃え立つような激しい修行をはじめた。一年後、★×4ランクに昇格。続いて、ギンガも昇格。父親も昇格。
軍拡競争のような果てしない戦いだった。ついに父親とギンガはついていけなくなり、脱落。アユムはなおも成長し続ける。二年後、★×5ランクに昇格。
父親は約束を守らなければならなかった。アユムは父親から独立して、自分の対局所を持つ許可が与えられた。
アユムの父親は、ギンガに新対局所の副所長をやるように頼んだ。ギンガがついていれば安心だと思ったからだ。この頃には、ギンガはすっかり信頼されていた。
開設費用はギンガとアユムが二人で出し合い、一部は父親に借り、残りは別のところから借りた。
アユムは、外町からなるべく遠い場所に新対局所を開設したかった。七歳にして、独立心旺盛だ。新対局所が軌道に乗れば、父親から借りたぶんも返せるはず。
ギンガが提案した候補地は、瓦礫ノ園の東部だった。瓦礫ノ園は、死者ノ園に次いで国内でもっとも治安が悪い場所として有名だ。だが、最近になって東部はかなり良くなった。
瓦礫ノ園には、カードチェスをやったことのない者がたくさんいる。見捨てられた子どもたちの中に、将来有望なクリエイター候補がいるかもしれない。そんな人材を探して育てあげれば、ひと山当てられるかもしれない。
実をいえば、アユムに自分の対局所を持つように吹き込んだのはギンガだった。あの手この手でじっくり口説き落とし、自分の意思で決断するように仕向けさせたのだ。
「うっわー、悪いヤツだな」
「悪いことはしてへんやろ! 結果オーライやんか」
「まあ、確かに。ちなみに、僕は将来有望なクリエイター候補に入っているんだよね?」
「せやで、期待しとるでぇ!」
ギンガはカイザの肩に手を乗せ、舌なめずりした。
「それはありがとう。喜んでいいのかは別だけど。とりあえず、★×3ランクに昇格したよ」
やっと報告できた。