第一話〖死者ノ園〗
【一】
真っ昼間だというのに、空は夕焼けのようなあかね色。どす黒い雲が、墓地に黒い霧雨を呼ぶ。
土を盛って棒状の岩を突き刺しただけの簡素な墓標が、海岸線の彼方まで並んでいる。埋葬されているだけ、まだマシだ。いつどこで亡くなったのかもわからない白骨が、あちこちに打ち捨てられていた。
ここは『死者ノ園』。『下摂津ノ國』の東側、国土の三分の一を占める広大な墓地だ。
旧科学文明時代の国名が使われなくなってから、すでに半世紀以上。かつて下摂津ノ國は、日本という名の統一国家の一部だった。大阪という名の一行政区画の、さらに小さな一地域に過ぎなかった。
二十代中ごろの女が、五歳児の手を取り並んで歩いている。男の子の名は覇田カイザ。髪は紫色でおかっぱ頭。瞳も爪も紫だ。
女は一基の墓の前で立ち止まり、カイザの手を離した。墓に花を添え、手を合わせる。その指先を飾るのは、鮮血のような赤い爪。腰まで伸びた髪も、瞳も、今日の空に似た赤色だ。
新時代の空や雲は、その日の風向き次第で赤くなったり青くなったりする。空気に含まれる『霊毒』という成分によって、色が書き換えられるからだ。霊毒はどこにでも存在する。人の瞳や爪、髪、皮膚などに蓄積して変色させる。カイザたちの髪や瞳、爪の色も、この霊毒による影響だ。
「ねえママ、どうしてこのお墓に手を合わせるの?」
覇田カイザは無邪気に質問した。
「どうしてママの名前が書いてあるの? ママはまだ生きているのに」
覇田ルミナ。墓にはそう刻まれている。
「カイザが大きくなったら、教えてあげるわ」
ルミナはカイザの頭をなで、抱きしめた。
【二】
その夜。
「ねえ、やっぱりもう帰ろうよ」
カイザは同い年の友達、聖路ソウジュに手を引かれ、深夜の墓地をぐいぐい進んでいく。
「夜はここに来ちゃいけないって、ママが言っていたよ」
「ははは、カイザはホントにビビリだな。俺がついているから大丈夫だぜ、安心しろよ」
暗闇の中、ソウジュはカイザを無理やり引っ張っていく。昼間に道を覚えていたのだろう。
ソウジュの瞳と髪は金色で、外国人のような見た目をしている。カイザにとっては、本当に外国人なのだが。
聖路一家は先月、戦争から逃れるために家族全員で『琵琶海峡』を渡ってきた。
旧琵琶湖は気候変動によって大増水し、本州を東西に分ける海峡になった。分断された本州の東側を『東本州』、西側を『西本州』という。
ソウジュは逃げ延びた先で、カイザや近隣の子どもたちと仲良くなった。その特殊能力を披露して人気者になった。
「今日はとびきりスゴいのを見せてやるぜ」
二人はひらけた場所で足をとめ、向かい合う。
「ほら、よく見ておけよ」
ソウジュは胸ポケットから『カードチェス』のカードを一枚取り出した。
カードチェスとは、チェスや将棋などのチャトランガ系ボードゲームと、トレーディングカードゲームを融合させた新感覚のゲームだ。旧時代に二人の日本人学生が考案した。
だが、カイザはカードチェスのルールを知らない。
「よし、行くぞ!」
ソウジュは手のひらを合わせてカードを挟んだ。そしてゆっくり開けた。指の隙間から燐光がこぼれ、闇を照らす。
光る虫を捕まえたのではない。カードが輝いているのだ。
「わあ、キレイだなあ」
「お楽しみはここからだぜ」
ソウジュは手のひらでおわんをつくり、光を受けとめた。そのまま頭の前まで持ち上げる。
「さあ現れよ、俺の〔エンジェル〕!」
光はみるみる人の形になり、カイザの頭上に浮遊した。二枚の白い翼、頭には光輪。その姿はまさしく天使だ。天使は光をまき散らしながら、闇夜をあちこち飛び回った。
「どうだ、スゴいだろう」
「うん、スゴいよソウジュ。僕、クリエイトの瞬間を見たのは初めてだよ!」
天使は徐々に光を失い、数分で消えてなくなった。最後の光の粒が、流れ星のようにきらめいた。
「ソウジュは僕と同い年なのに、『カードクリエイター』だなんて羨ましいな」
カードクリエイター。あるいは単にクリエイターとも。それは、自らの魂の一部をカードに込め、実体化させる特殊能力者。カードを実体化させることを『クリエイト』という。クリエイトされた物体を『クリエイション』という。
さっきの天使のように動き回るタイプのクリエイションは、霊力を失うと消えてしまう。だが、動かないタイプのクリエイションの場合、いつまでもその形を保っていられる。
旧科学文明が滅び、混迷と共に迎えた新時代。元からあった物質とクリエイションは混在し、この世界を構成する新たな要素になった。
世界はクリエイターたちの手によって再建されつつある。大抵はちょっとした能力しか持たない手品師まがいの連中ばかりだが、中には強大な力を持つクリエイターもいる。
クリエイターとして覚醒する人は、百人に一人ほどの割合だ。百人に一人は、かなり多い。しかも、その割合は年々増えている。
「僕にも、ソウジュみたいな特別な力があればなあ⋯⋯」
カイザはため息混じりにつぶやいた。
「カードクリエイターになってみたいなあ」
「なれるさ! 人はみんな、クリエイターなんだ。どんな人でも、人生の主人公は自分自身。だから、みんながそれぞれ特別な存在なんだ。平凡な人なんていない。人は誰でも生まれながらに特別で、生まれながらにクリエイターなんだ。ただ、その力に気づいていないだけなのさ」
五歳児のくせに熱く語る。
どうせ誰かの受け売りだろうと、カイザは冷ややかに分析した。
ソウジュが育った東本州には、『松平対局塾』というクリエイター養成学校がある。
後に新時代を切り開いた東の英傑たちの多くが、松平対局塾の出身だと公表している。
『甲斐ノ國』を建国した角川リョーマや、そのライバルで『越後ノ國』の継承者、飛山リューオウなどが代表者だ。
年々、覚醒者が増えてゆく中、東本州では「クリエイターのみが特別にあらず。人は皆クリエイター」という新思想が広がりつつあった。松平対局塾は、その新思想の発信源だ。
一方、下摂津ノ國を含む西側の国々では、クリエイターは未だに特別視されている。神聖視、あるいは畏怖。あるいは好奇。あるいは嫌悪。
クリエイターは皆悪魔のような人間だと信じている非覚醒者もいる。自分は神に選ばれた特別な人間だと思い込んでいるクリエイターもいる。
カイザとソウジュの認識には、大きな隔たりがあった。
「だからカイザにも出来るはずだ!」
ソウジュは話を締めくくった。
「だけど、覚醒するためには、何度もカードチェスの対局をして訓練しきゃいけないんでしょ? 僕はカードも持っていないし、ルールだってわからないよ」
「大丈夫だぜ、カードは俺が貸す。ルールも教える。だから、俺と対局しやがれ!」
「⋯⋯ダメだよ。カードチェスは危険だから、しちゃいけないってママに言われているんだ」
「ええい、ママママうるさい! じゃあ、カイザのママがお前に死ねって言ったら死ぬのかよ? ママが死んだら、カイザは誰に決めてもらうんだよ? 暴走したクリエイターが非覚醒者を襲う事件だってあるんだぞ。親を殺されて一人になった子どもを、俺はたくさん見てきたんだ。守ってくれる人なんていないぞ」
ソウジュはまくし立てて言った。
カイザは口を閉ざし、反論するのをやめた。
【三】
一ヶ月後、死者ノ園は戦場になった。『伊勢ノ國』が領土拡大を狙って下摂津東部に侵略してきたのだ。
戦争は数ヶ月で終わり、両国のトップ同士による和平条約が結ばれた。下摂津ノ國はなんとか国土を護り通したのだ。
カイザは母ルミナと二人で国内西部へと逃げ延びた。カイザと母は、西部が平和になってからも、もう二度と死者の園へは戻らなかった。カイザ親子は、下摂津の西側、国土の三分の一を占める『瓦礫ノ園』に移り住んだ。
それから九年の月日が流れた。カイザは五歳以下の記憶をすべて忘却した。恐ろしい戦争の記憶、死者ノ園での暮らし、それからソウジュのこと⋯⋯。心の奥へ封印し、忘れることにした。
第一話は主人公の幼少期でした。
第二話以降は九年後の物語です。