第十七話〖霊毒病〗
【一】
カイザは対局所の仕事を必死で覚え、夕方の送別会では涙を流し、くたくたになって帰宅した。たった一日で様々な経験をして、顔つきまで変わった。
ルミナとの仲は相変わらず険悪だった。ルミナは息子の変化を直感で嗅ぎ分け、根掘り葉掘り問い詰めた。
「あら、今日はなにか変わったことがあったの?」
「別に、なにもないさ。普段と変わらないよ」
「いいえ、顔を見ればわかるわ」
「なにもないって」
「なにか隠しごとをしているでしょう?」
「うるさいなあ、隠しごとなんてないよ!」
カイザは刺々しい口調で言葉を投げ捨てた。
「今日は何枚の白札を拾えたの?」
「数十枚くらいだよ。今日は全然ダメだったんだ」
「具体的な枚数は?」
「忘れたよ」
「あら、そんな大切なことを忘れるだなんて、カイザ組のリーダー失格ね。だったら今ここで数え直しましょう」
「ココナの家に預けてきたんだ。だから今日は無理だよ」
言い訳をしてから、本当に預けておけば良かったと後悔した。デッキを家に置いていたら、また売り飛ばされる危険がある。
「嘘をおっしゃい。母さんの目は誤魔化せないわよ」
ルミナは紫のデッキケースをカイザの腰から外し、奪い取った。
「返してよ! カードの管理は僕がやるって言ったでしょう」
「母さんは認めていません。手を離しなさい!」
「嫌だ。離すもんか!」
デッキケースの取り合いになった。互いに力づくで引っ張り合い、大声で口論する。ここまで激しい親子喧嘩は初めてだ。カイザは腕力によってデッキケースを奪い返した。
今まで母に従順だったカイザが反抗した。ルミナはそれだけでもショックだった。ショックは怒りに変容し、怒鳴り声となってカイザに放たれる。
「どうして母さんの言うことが聞けないの? 嘘ばかりついて。この頃変よ?」
涙が一粒、ルミナの頬に滑り落ちる。
カイザは動揺を隠しきれず、顔をこわばらせた。
「嘘だけはついてはいけないって、昔から教えてきたでしょう?」
「だって、本当のことを言えば反対するに決まっているじゃないか。あれはダメ、これはムリ、それはできない⋯⋯。それじゃあ、何もできないじゃないか! 僕は母さんのあやつり人形じゃないんだ。人は誰でも、自由にやりたいことをやって、好きなように自分を表現する権利があるんだ! 人は皆、クリエイターなんだ!」
とっさに口から飛び出したのは、ギンガの口ぐせだった。しまった、と手で口を塞いだときには、すでに遅かった。
「⋯⋯カイザ、もしかしてカードチェスをやったのね?」
ルミナは喉を震わせながら言った。
「うん、やったよ」
やけくそになって白状した。
「覚醒したのね?」
「そうだよ。僕は★×2ランクのクリエイターなんだ」
「ああ、なんてこと。あれほど言ったのにーーーーゴホッ」
ルミナは大きなせきをした。苦しみに満ちた表情で、十回、二十回、三十回とせき込んだ。
「母さん、大丈夫?」
カイザは喧嘩していたことを忘れて母の背中をさすった。
口元を押さえるルミナの手が赤く染まった。口から血を吐いたのだ。衣服を汚し、床にもボタボタこぼれ落ちる。
「母さん? た、大変だ!」
カイザはルミナの上半身を受け止め、床に膝をついた。手も衣類も血まみれになった。
【二】
カイザは夜通しルミナの看病をした。血は止まり、体調も回復した。気がつけば日は昇り、朝になっていた。気分が悪くなるような、鮮血色の空だった。
「僕のせいだ。僕が本当のことを言ってしまったから、ショックでダメージを受けてしまったんだ」
カイザはか細い声を絞り出した。横たわるルミナの手を握った。
「いいえ、カイザのせいではないわ。母さんはね、霊毒病という魂の病気なの。治る見込みはないわ」
今までルミナは病気の内容を息子に話していなかった。症状が悪化したことで隠し通せないと悟り、ようやく真実を語った。
魂をむしばむ不治の病、『霊毒病』。
この世界には霊脈という霊子の流れがあり、人間はそこから無意識に霊子を取り込んでいる。霊子は酸素のようなもので、絶えず取り込まなければ魂が欠けてしまう。
霊毒病は、霊子を取り込む機能が弱まる病気だ。その名の通り、病気の原因物質は霊毒。新時代以降、霊毒は全世界にあまねく存在している。霊毒の耐性には個人差があり、高濃度でも平気な者もいれば、すぐに霊毒病にかかってしまう者もいる。
魂のダメージは肉体にも影響を与える。霊毒病の患者は、内蔵や神経系統をやられることが多い。ルミナが血を吐いたのもそれが原因だ。
「今まで隠していてごめんね。これでお相子よ」
「そんなことを言っている場合じゃないよ! 早く治療してもらわなくちゃ」
「そんな費用、うちにはないわ」
ルミナは首を横にふった。生きることは、すでに諦めていた。
病気はカイザの想像以上に悪化していた。体調は回復したものの、しばらくは床に伏して生活しなければならないだろう。むやみに動き回らないよう、カイザは忠告した。
ルミナは忠告におとなしく従い、横になって眠りについた。
カイザは母を残して家を出た。行き先は兵頭対局所。仕事に行かなければならない。一日中面倒を見るわけにはいかないのだ。
「費用さえあれば治せるかもしれないんだ。僕がなんとかしないと、僕がなんとかしないと⋯⋯」
歩きながらつぶやいた。
「ああ、どうして僕だけがこんな目にあうんだ。僕は『豪運のカイザ』だぞ。運はいいはずなのに。それなのに、それなのに⋯⋯」
ギシギシと奥歯をきしませ、赤い空をにらんだ。空の色は、ルミナの髪の色や吐き出した血の色に似ていた。昨夜の光景がフラッシュバックする。
「今度の大会に参加して、絶対に優勝しないと!」
下摂津ノ國は霊毒病の患者数が他国より比較的多い。都や外町では急ピッチで研究が進められている。
だから、諦めるのはまだ早い。
「母さんを助けて、負債を返して、デッキを取り戻すんだ。この手で、人生を逆転させてやる!」
カイザは対局所まで走った。
【三】
昼間は所員として仕事をして、夕方からは裏対局室でカードチェスの特訓をして、夜は家でルミナの看病をする。それがカイザの生活スタイルになった。
カイザが先に裏対局室へ行って、あとからギンガが追うのがいつものパターン。ギンガは一日二時間ほどしか裏対局室にいないが、そのわずかな時間でカイザにカードチェスの理論を教え、実戦で鍛えてくれた。
裏対局室でのギンガは、より一層荒っぽかった。仕事でたまったストレスを発散するかのよう裏クリエイターたちに真剣対局を吹っかけ、羽目を外して暴走した。カイザが知る限り、ギンガの全勝だった。
負けたらほうが一日なんでも言うことを聞く、などのぶっ飛んだ条件を押しつけては周囲を困らせるギンガ。日によって感情の波が激しく、調子がいいときは態度も声も大きくなる。男女見境なくパワハラ、セクハラを繰り返し、「鬼の副所長」の悪名をとどろかせた。
所長のアユムは、裏対局室へはたまにしか顔を出さない。アユムがひょっこりあらわれるたびに、ギンガはすかさず真剣対局を挑んだ。賭けるのは所長の座と仕事のノルマ。カイザが知る限り、アユムの全勝だった。
アユムはギンガ以外とはなるべく対局をせず、観戦と解説を担当した。誰もがアユムの強さを認めているので、ギンガ以外に対局を挑む裏クリエイターはいない。いつもにこにこ笑顔を崩さず、それが逆に不気味な印象を与えた。
六日目の夕方。
裏対局室にアユムの姿はなく、いつものようにギンガが遅れてやって来た。普段より感情の波が落ち着いている。カイザは胸をなで降ろした。
だが、明日は大荒れに荒れるに違いない。カイザはそう予測した。嵐の前の静けさというわけだ。
「今日はカードの分類について教えるで。デッキを構築するカードは二種類ある。ひとつは駒札、もうひとつは技札や」
裏対局室の片隅で、ギンガのカードチェス講座がはじまった。
普段なら入口のドアを蹴り開けるなり、近くの裏クリエイターをとっ捕まえて真剣対局をするはず。どうやら今日は気分が乗らないらしい。
ギンガは日によって集中力にむらがある。本人の話によると、一ヶ月単位で絶好調から絶不調のサイクルを繰り返しているらしい。絶好調の日は口数が多くなり、明るくて元気で、寒いギャグを連発する。絶不調の日はその逆だ。
おそらく、もうすぐ絶不調の波が来る。
「カードは全体がフレームで囲まれとる。フレームの中に、名前欄、イラスト欄、テキスト欄があるやろ?」
ギンガは手持ちのカードを広げて見せた。
「カードを囲むフレームにはそれぞれ色がついとるんや。色は赤、黄、青、緑、黒、灰色の合計六種類」
「前から思っていたんだけど、この色にはなんの意味があるの?」
カイザは自分のデッキを広げて確認した。フレームカラーは黄色と灰色の二色のみ。ギンガの手持ちにあるような、赤や青のカードは一枚もない。
「僕の知る限り、技札は全部灰色だったはず」
「正解や。灰色は技札専用のフレームカラーや。残り五色は駒札専用。枠の色でカードを分類してるんや」
「ということは、駒札は五種類に分類できるってわけだね」
「そういうことやな。分類の基準は、その駒札の由来、元ネタを調べたら分かるでぇ。たとえばこの黄枠の駒札⋯⋯」
選んだカードは「フランス皇帝〔ナポレオン・ボナパルト〕」の駒札。白馬にまたがり、アルプスを超えるシーンがイラストになっている。史実では、白馬ではなくラバだったらしいが。
ギンガのマイルールにより、絵柄はリアル寄りのタッチになっている。ギンガは『人物』カテゴリの駒札にイラストを付ける際、メインデッキに入れるカードは美少女化させ、そのほかはリアル路線の絵柄にして区別している。
「黄色は『人物』の色や。このカテゴリに属する駒札は、たいてい歴史上の偉人がモチーフやな。黄色は有彩色でもっとも明るい色で、イメージは魂の輝き、クリエイト時の霊光。人間は万物の霊長っちゅう言葉もあるやろぉ? 傲慢な考え方やけどな」
「なるほどね」
「ただし、没年が一九四五年以降の人物はカード化されてへんねんなぁ。オモロいのになぁ」
ギンガはしなびた顔でため息をついた。どうやら近代以降の歴史が好きで、カード化されていないものに不満があるらしい。
「次は赤や」
二枚目は赤枠の駒札だ。カード名は〔アメリカンカール〕。可愛らしいネコのイラストが描かれていた。
「赤は『生物』の色や。イメージは赤い血潮、燃えたぎる生命の火。『生物』カテゴリの中でも、哺乳類は人気カテゴリやな。特にイヌとネコ。可愛いからなぁ。まあ、あては動物は苦手なんやけど。あとはそうやなぁ、恐竜と昆虫デッキも人気やでぇ」
カードチェスの特徴のひとつは、カードの種類が豊富なところだ。ありとあらゆるものがカード化されているので、枚数が桁違いになるのは当然のこと。
『生物』カテゴリに属するカードの枚数は、旧時代に発見された種の数だけある。植物や細菌などもこのカテゴリに含まれる。
家畜や愛玩動物のたぐいは、種よりも細かい品種レベルで分類されている。ギンガが見せた〔アメリカンカール〕のカードが当てはまる。
さらに、歴史上有名なペットなどは、固有名詞レベルでカード化されている。たとえば、ナポレオンの愛馬〔マレンゴ〕などだ。
「緑は『自然物』の色や。自然、調和、秩序のイメージやな」
緑を代表して選んだ駒札は「太陽系第三惑星、神秘の星〔地球〕」だ。惑星を駒札として擬人化したシリーズだ。
ギンガがメインデッキで使用する駒札は『人物』カテゴリ一筋だ。だから『人物』以外のカテゴリはマイルールの適用外だ。〔地球〕は水と植物の衣をまとい、碧眼の美少女に擬人化されて描かれていた。
センスのあるイラストだと、カイザは関心した。
かつて極東の国々が日本と呼ばれていた時代、創作界隈で「萌え擬人化」が流行した。刀や戦艦などを可愛いキャラクターに擬人化させる手法だ。
日本人は古来から擬人化を好み、様々なものを擬人化して親しんできた歴史がある。カードチェスでもその流れをくみ、無機物系統の駒札は擬人化してクリエイトされることがほとんどだ。
「『自然物』カテゴリも、これがまた数が多いんやなぁ。天体がモチーフの駒札なんて、それこそ星の数だけあるわけやしな。ほかにも、素粒子とか原子とか、マニアックなやつが多いのも『自然物』の特徴やな。世界の山とか、島、大陸、河川、湖を擬人化したシリーズなんかもあるでぇ」
次の色は青。ギンガが出したカードは〔ヘリコプター〕という駒札だ。イラストは擬人化されず、そのまんまヘリコプターだった。
「青は『人工物』の色や。知性とか、冷静さをあらわす色やな。機械、乗り物、道具、建築物、芸術作品、日用品とか、とにかく人間がつくったものがこのカテゴリに属するねん。『人工物』カテゴリは、ちょっと定義が曖昧やねんなぁ。旧時代のカードチェス考案者は、どこまでがこのカテゴリに属するかを何度も議論したらしいで」
その昔、人工的につくられた人間や動物はどのカテゴリに属するかという議論があった。そのようなカードはほとんど存在しないが、あるにはある対処するべきなのか。かつてはどちらも『人工物』扱いだったが、のちに『人物』と『生物』に分類されるようになった。
人間なら『人物』に、人間以外の生物なら『生物』に、無条件に分類される。
人工元素や数式、科学法則などは、全部『自然物』に分類される。人間が「発明」したのか「発見」したのかが分類の基準だ。
人がつくりしもの、というのが『人工物』の分類基準だが、文字や言語、国家や法律など、形のないものや概念なども『人工物』に分類される。
ただし、一部は技札のカテゴリに持っていかれている。歴史上の出来事や事件、自然現象や化学反応など、「モノ」ではなく「コト」であると判断された場合、技札にカテゴリされる。だが、その定義はあいまいだ。
「最後の色は黒、『未知』や。上の四つのカテゴリに当てはまらんやつ、まだ分からんやつ、物質界には存在せんやつなんかをまとめてぶっ込んだのがこのカテゴリや。前人未踏の領域、ブラックボックスのイメージやから、黒がピッタリやろぉ?」
「うわ、最後に力技でまとめてきた」
「まあ、しょうがないやろ。というわけやから、『未知』はなんでもありなんや。神話や伝承の怪物、神仏、天使、悪魔、幽霊、妖怪、妖精、未確認生物全般。神、天使、ドラゴンなんかは昔からトップクラスの人気やな」
「格好いいもんね」
元々物質界に存在しないものは『未知』カテゴリに放り込まれる。
旧時代の世紀末間近、人類は霊子を発見し、その存在を科学的に認めた。かつて幽霊や悪魔と呼ばれていたものは、霊子で構成された一種の生命体だと判明した。
カードチェスの分類方法では、この手の霊的生物は『生物』ではなく『未知』カテゴリに含まれる。『生物』カテゴリに入ることができるのは、あくまで物質界の生物のみだ。
ただし、未確認生物だったものが物質界の生物として正式に確認された場合、『未知』から『生物』にカテゴリを変更される。
はじめはその存在を信じられていなかったが、のちに誰もが知る生き物になった例は意外と多い。カモノハシやジャイアントパンダ、コモドオオトカゲなどがその代表だ。
〔ネッシー〕のフレームカラーはずっと黒だが、いつの日か赤に変わるかもしれない。なお、新時代以降、ネス湖は完全に海洋と同化している。
「あ、ひとつ補足しておくで。今説明した駒札の五色分類やけどなぁ、実際の対局では⋯⋯」
「実際の対局では?」
カイザはごくりと唾を飲み込み、ギンガの目を真剣に見つめる。
「なんの意味もあれへんから!」
「ズコー! なんだよ、それ」
オーバーにずっこけてみせる。だいたい予想どおりだった。
「カードチェスは盤面のやり取りを重視するゲームや。せやから、よそのゲームではありがちな種族や属性なんかは、まったく意味を持たへんルールになってんねん。あったほうが雰囲気は出るけど、なくても対局には支障ナシ。まあアレや、副カード名と同じやな」
ギンガは説明しながら、例示した五色の駒札を片付けた。
〔アメリカンカール〕の赤枠が、カイザの目にちらついた。
赤い色を見るたびに、母のことを思い出してしまう。べっとりと手についた血の感触。生臭いにおい。あの夜の光景。
もっとカードチェスの勉強をして、強くならなければ。カイザはそう心に誓った。