第十六話〖紫のデッキケース〗
【一】
カイザは兵頭対局所の隅々までギンガに案内された。といっても、前日もひと通り見ていたので、ある程度は把握している。
裏対局室で熱い対局を繰り広げた相手が、今日から上司になる。カイザは不思議な気分になった。ギンガからすれば、計画通りかもしれない。
昼になると所員専用の食堂へ。ギンガのおごりで昼食をとった。
カイザ組の元メンバー、ユウと思いがけず遭遇。カイザが事情を話したら、覚醒おめでとうと祝福してくれた。
食事のあとは寮を巡った。寮は対局所のすぐ裏にあり、地下でつながっている。
所員の半数は寮生活。カイザは寮へは入らず、家から通勤するつもりだ。母をひとりで残すわけにはいかないからだ。それに、対局所の所員になったことをまだ伝えていない。
夕方前には退勤できた。
カイザはデッキを返そうとしたが、受け取りを断られる。毎日貸し借りするのが面倒なので、しばらく預けるとギンガは言った。信用の証だ。カイザとしても逃げるつもりはない。ここで雲隠れなどしたら、ギンガ以上の屑になってしまう。
【二】
カイザはココナの家へ向かった。普段と変わらない雰囲気を装い、家の中へ入る。
「カイザ、所員就業おめでとう!」
まず飛び込んできたのは、ココナの明るい声。
「カイザお兄ちゃん、おめでとう!」
「おめでとうございます」
「おめでとう!」
口々に祝いの言葉をもらった。
「みんな、ありがとう。それにしても気が早いなあ。今はまだ所員じゃないってば」
カイザはうれし涙をこらえるのに必死だった。ひとりひとりにお礼を返し、抱きしめる。
カードチェスに出会ってから感情表現が豊かになった気がした。デッキ喪失の涙、敗北のくやし涙。その数だけ強くなった。
メンバーはひとりも欠けることなく、全員がそろっていた。ココナを中心に、一丸となって送別会を盛り上げた。
リーダーであるカイザ自身が組を抜けることについて、よく思っていないメンバーもいる。引き留めようとする子や、大泣きした子もいる。カイザの知らないところで、今日のためにココナが裏で説得して回ったようだ。
みんなで菓子を分け合って食べた。大層なものではなかったが、普段と比べるとぜいたくだ。
ココナは機会を見て立ち上がり、手に何かを持って戻ってきた。
「はい、カイザ組一同からのプレゼントよ」
ココナの手から、小さな箱がカイザに渡される。
「え、どういうこと?」
思考が止まり、キョトンとするカイザ。
「昨日、こっそり用意しておいたのよ」
「あ、ありがとう。開けてみるよ」
カイザは期待に胸を膨らませ、ゆっくりと箱の蓋を開けた。中身は紫のデッキケースだった。メッセージカードが挟まっている。
「どう? カイザが気に入ってくれそうなのを、わたしが代表して選んだんだけれど⋯⋯」
ココナは不安そうにカイザのほうを見つめた。
「うれしいよ。選ぶ時間も、費用も限られていただろうに。ありがとう、ココナ。ありがとう、みんな」
カイザは我慢ができず、涙腺が決壊した。
プレゼントのデッキケースは兵頭対局所を経由しているはずだ。カイザはそう予測した。
そういえばギンガの態度が変だったと思い返した。デッキケースがボロボロだと指摘してきたのは、プレゼントのことを知っていたからに違いない。そう考えれば合点がいく。そして、プレゼントのアドバイスをしたのもギンガだろう。どうしようもない無神経な女だと決めつけていたが、いいところもあるようだ。
「メッセージカードも読んでみて。みんなで考えたのよ」
ココナはデッキケースの間に挟まっているメッセージカードを指さした。文字は手書き。カイザの似顔絵らしき歪んだ絵が添えてある。決して上手とは言いがたいが、心がこもっている。
カイザは涙をぬぐい、メッセージカードを読んだ。
『今までお疲れさまでした。
新しい環境でも頑張ってください。
正直、カイザ組を抜けちゃうのはすごく寂しいです。新リーダーには不安しかありません。(こら、余計なことを書かなくてもいいのよ!Byココナ)
あなたがいなければ、今のカイザ組はありません。みんなを率いる頼もしい姿を、一生忘れません。いつも優しくて、ひとりひとりを気にかけて、相談に乗ってくれたり、話を聞いてくれたり、怪我をしたときは手当てしてくれたり⋯⋯。本当にお世話になりました。
これからは、カードハンターとはまったく別の生き方をするのですね。新しい仕事で無理をしないように、体調には気をつけて。つらいことがあったら、みんなのことを思い出して。たまには総本部に戻ってきて、話を聞かせてほしいです。
みんな応援しています。自分の信じる道を突き進んでね。 カイザ組一同より』
カイザは鼻をすすりながら朗読した。
「うっわー、湿っぽい文章だなー。遠くへ旅立つみたいなノリじゃないか。またいつでも会えるんだぞ」
冗談で返しながらも、涙は止まらない。夢中でみんなを順に抱きしめ、感謝の言葉を何度も繰り返した。
ココナがもらい泣きし、ほかのメンバーもつられて涙を流した。
「みんな、ありがとう。デッキケースを見るたびに、みんなのことを思い出すよ」
カイザは締めの言葉に入った。
「カードクリエイターの中には、こんな言葉を信じている人もいる。『人は皆、クリエイター。ただ、その力に気づいていないだけ』。このメンバーの中でいつか誰かが覚醒するかもしれないし、しないかもしれない。多分、覚醒しない人がほとんどだ。みんながクリエイターになれるだなんて言ったら、無責任だと責められそうだね。だけど、僕は思うんだ。どんな人でも、誰かのために強く願えば、それが力になるって」
心の丈を洗いざらい吐露する。
「たとえば対局の応援。対局空間からは声援が聞こえないし、無意味と論じる人もいるけど、僕にとっては励みになる。もしも僕が遠くへ行って、みんなに会えなくなったとしても、デッキを組むたびに、対局のたびに、デッキケースを見るたび、みんなのことを思い出すよ。思い出すたびに力になる。そう、どんな人でも偉大な力を持っているんだ。だから、自分のことを無力だなんて思っちゃいけないよ。そのことを忘れないで、強く生きてね」
【三】
送別会はお開きになった。カイザは家に帰ろうとした。
「待って!」
ココナはカイザを引き止めた。
「どうしたんだよ?」
「わたし、もうカイザをつけ回したりしないわ。追いかけたりもしないから」
決意に満ちた表情で、言い切った。
「だって今日から、わたしがリーダーになるんだから。カイザがいなくなっても、わたしが組をまとめてみせる。もうカイザに頼らなくても生きてゆけるようになってみせるわ」
いつまでも子どもだと見くびっていたココナが、カイザの知らぬ間に立派に成長していた。今日の送別会にしても、ココナがみんなを引っ張っていった。
「多分、わたしはいつまでもずっと、カードハンターを続けるわ。この仕事に誇りを持っているもの。カイザにはカイザの道がある。わたしにはわたしの道がある。どちらが正しいとか、間違っているかなんて関係ない。ただ、わたしは、あなたとは違う人生を歩む。それをカイザに言っておきたくて。」
「おや? 今日のココナは可愛いだけじゃなくて、格好良いね」
「もう、茶化さないでよ!」
「ごめんごめん。だけど、本当にそう思ったんだよ。ありがとう、ココナ。これで安心して新しい挑戦に専念できるよ」
カイザはココナに手を差し出した。握手を交わす。涙はすでに乾いていた。
「僕は今日から、ココナとは別の道をゆく。それでも心は繋がっているって、僕は信じている。大好きだよ、ココナ」
「わたしも信じているわ。大好きよ、カイザ」
二人は手を離した。カイザは自分の家へ向かう。ココナは手を振って見送った。