第十四話〖条件〗
【一】
とにかく、カイザは負けたのだ。対局空間は光を放ちながら消滅した。カイザは生気の抜けた顔つきのまま現実世界へ引き戻された。
「いやぁ、危なかったわぁ。途中、ヒヤヒヤしたでぇ。気ぃ抜いて負けでもしたら、アユムになにを言われるか。めっちゃええ対局やったなぁ。ありがとうございましたぁ!」
上機嫌のギンガは勝ち誇った顔で口元をゆるめ、カイザに近づいて手を握った。
カイザは無表情のまま、腕がもげるほど激しい握手に、されるがままに応じた。
「⋯⋯僕、負けたのか」
「あたりまえや、あてに勝てるワケないやろ。ツーランクも下の初心者に負けたとあったら、鬼の副所長の名が泣くわ。っておい、ホンマに泣くなやクソガキィ」
ギンガはカイザの背中をバンバン叩いた。
「な、泣いてないさ」
カイザは天井を仰ぎ見て、顔の上に手のひらを乗せた。
ギンガはいやらしく上からのぞき込んだ。
様子を見ていたココナはカイザの元へ駆け寄り、抱きしめた。横目でギンガをにらむ。
アユムはいつの間にか消えている。裏対局室から抜け出し、仕事に戻ったのだろう。
「カイザ、大丈夫?」
ココナはカイザの体を支え、胸に顔をうずめた。
「そりゃそうだよな。対局所の副所長相手に、初心者が勝てるわけないか」
人生初の挫折だった。
これまでは運の良さだけを頼りに、なんとかなってきた。カードハンターとしてもそれなりに成功し、トントン拍子でカイザ組のリーダーになった。暴力的な争いは好まなかったが、ジャンケンやサイコロ勝負なら負けなしだった。ここ数週間は母と仲がこじれているものの、たっぷりと愛されて育った。
自分が負ける可能性など、まったく考慮していなかった。カードチェスを甘く見ていたのだ。
「カイザはよく頑張ったわ」
「応援してくれていたんだね。ありがとう、ココナ」
カイザは生気を取り戻し、現実を受け入れる覚悟を決めた。普段ならココナがくっついてくるのを暑苦しく感じていたが、今は心の支えだった。
気がつけば、ココナのほうが大泣きしていた。カイザの体を支えていたはずが、逆に思い切り体重をかけて倒れ込んできている。
「対局前に取り決めたルール、忘れたわけじゃないやんなぁ?」
「うん、わかっているさ」
カイザには三十日分の労働が課せられる。デッキを取り戻したければ、さらに三十日分追加だ。その日暮らしのカードハンターにとっては膨大な負債だ。
最低三十日間は、カイザ組の働き手から外れることになる。もちろん、組の蓄えを崩すこともできない。カイザが個人的に抱えた負債だからだ。
「なぁ、カイザ。あれは初めてあんたに会うたときやったっけぇ。白札を賭けて対局を申し込んだけど、あんたは断ったよなぁ? デッキも貸したる、ルールも教えたるって言うたのに。あのとき、あてに従っておけばこんなことにはならんかったんや」
「そのとおりだ。返す言葉もないよ」
「これからどうするんや? 生活できるんかぁ?」
「わからない」
「あての取り立てからは逃げられへんでぇ」
ギンガは舌なめずりした。
【二】
「お前さん、初心者だったのかい! しかもまだ★×2ランクだったとは。クリエイターランクがふたつも上のギンちゃん相手に、よく頑張ったもんじゃい!」
ジャイ男は鼻息を荒らげてカイザの奮闘を称えた。
ジャイ男を筆頭に、裏クリエイターたちがカイザの周りにわらわら集まってきた。
カイザは次々と投げかけられる質問を適当にかわし、ココナの手を引いて裏対局室をあとにした。
所長室のドアが半分開いている。部屋には大きなデスクが一台と、アユムがまるごと埋まりそうな山積みの書類。所長室にしては簡素で狭い。
アユムは人間技とは思えないほど凄まじい速度で書類の整理をしていた。カイザたちが上がってきたことを確認すると、作業の手をとめてにっこり微笑んだ。
「かいざちゃん、ちょっと話があるのら」
アユムは手招きしてカイザを誘った。
「お邪魔するよ、アユムちゃん」
カイザとココナは所長室に入った。
「どうぞなのら」
アユムはふたりにイスを勧めた。
カイザはアユムと向かい合わせに座った。ココナはカイザの隣だ。
「アユムちゃん、話ってなに?」
カイザは答えがわかっていながら質問した。
「かいざちゃんの負債についてなのら」
「な、なんとかがんばって返すよ」
病気の母の顔が、カイザの頭をよぎった。それからカイザ組メンバーひとりひとりの顔。視界がグニャリと歪み、思わず頭を抱えた。
「うちの所員になってくれたら、万事解決なのら」
「雇ってくれるの?」
「覚醒者なら資格はあるよ~。あとはぎんちゃん次第なのら」
兵頭対局所において、所長と副所長はそれぞれ別の権限を持って役割を分担している。
所員になりたければ、まず副所長の目にとまらなければならない。そこから副所長が所長に推薦し、許可を得てはじめて合格となる。
所員になれば、カードハンターよりも高い給料が得られる。その手があったか、とカイザは内心でほっとした。
「カードハンターをやめるつもりなのね」
ココナはカイザの考えを見抜いていた。
「ごめん、ココナ」
「こんな状況になってしまえば、仕方がないわ」
ココナはやれやれといった感じで肩をすくめた。
「組のリーダーはわたしが引き受けるわ」
「ありがとう。任せるよ」
カイザは兵頭対局所の所員になると決意した。そのためには、ギンガを説得しなければならない。
【三】
ココナを先に帰らせ、カイザはひとりで副所長室に入った。
壁は一面本棚で、様々なジャンルの分厚い本が並んでいる。デスクにも山積みの本。ギンガをがさつな女だと決めつけていたが、知的な側面もあるようだ。
デスクの周囲には、譜面台とカメラスタンドを足し合わせたような棒状金属器具が二十台ほど。用途は不明。うち十台は折りたたまれてその辺に転がっている。
「僕を兵頭対局所の所員にしてください!」
腹が立つのを抑え、頭を下げてお願いした。
「おう、ええでぇ。大歓迎や!」
あっさりオーケーされてしまった。
「ただし、ひとつ条件があるでぇ」
「条件って?」
「まずは三十日間だけ所員になれ」
「つまり、期間限定の仮所員ってことだね。期間が終わったらカードハンターに戻れと?」
「あては、自分のデッキを奪われるような奴を所員やとは認められへん。認めてほしかったら、期間中に★×3ランクに昇格せぇ。無理ならクビ。それでええか?」
「なんでもかまわないよ。やってやるさ」
「期間中、給料は半分でええか?」
「う、仕方ないね。だけど、なんか僕だけ条件厳しすぎない?」
「カイザの才能を見越した上での条件や。大丈夫やってぇ。あんたならいけるいける!」
ギンガはいつもの調子で、カイザの肩をバシバシ叩いた。
カイザ組の元メンバー、ユウのときは、覚醒しただけ正式な所員になれた。ほかの所員も同様だった。
裏対局室の関係者が所員になるには、厳しい条件があるようだ。一度でも裏対局所で真剣対局をおこなったクリエイターは、関係者扱いになる。
「ほんで、もぅひとつ。一ヶ月後に、都でカードチェス公式大会が開かれるんやわ。★×3ランク限定戦や、所員になれたら参加せぇ。優勝したら賞与もあるでぇ。一年分の稼ぎにはなるやろうなぁ。デッキも取り返せるやん」
ギンガは目をギラつかせて説明した。
カイザは心踊らせた。賞与を得られたら、母の病気を治せるかもしれない。
「ただし、枠はふたりだけや。うちの裏クリエイターの連中はまあまあ強いで。まずは二番以内に入ることやな」
国内の対局所のうち、都の外側にあって、なおかつ正規の許可を得て営業しているところから選手が選ばれる。参加権を与えられるのは、対局所一箇所につきふたりまで。まずは各対局所内で開かれる予選を勝ち抜かなければならない。
「よし、やると決めたからには一番を目指すぞ!」