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昔、どこの部族にも、
1人は、不思議な人物がいた。
その不思議な能力は、
思い込みや、勘違いの可能性もある・・・
その程度の能力である。
しかし、
その人物に、明日の事を聞くと、
安心出来る。
自分が手当てするよりも、
その人物が手当てした方が、
効果が高い。
部族の人間は、
その様に感じ、その様に思い込む。
そして、
それを信じる環境が、作られて行く・・・
そこに1人の少女が生まれる。
おそらく、邪馬台国の卑弥呼は、
その様にして、誕生したのだ。
卑弥呼の前にも、
不思議な人物は、居たのだ。
そして、その人物を大切にする文化が生まれ、
その後、その人物が亡くなり、
そして、1人の少女が生まれた。
それが、卑弥呼である。
「明日、旅人が来る・・・」
その程度の予言、
当たる時もあるが、
外れる時もある。
その程度の女の子、
しかし、その部族には、
その様な人物に、依存する文化が根付いていた。
だから、1人の少女が、
女王・卑弥呼に成れたのだ。
おそらく、キリストも、
その様な存在だった。
おそらく、キリスト以前にも、
その様な人物がいたのだ。
おそらく、キリストは、
その様な人物に育てられたのだ。
だから、教養があったのだ。
だから、民衆の心を、つかめたのだ。
ところが、そんなキリストは、
処刑されてしまう。
そして、その後、キリスト教が誕生した。
つまり、キリスト教は、
キリストが作ったのでは無く、
キリストの弟子が、作ったのだ。
ところが、キリスト教の教えは、
多くの信者を生んだ。
それまでも、宗教は存在した。
しかし、その宗教とは、
王が自分の立場を良くする為の、
作り話だった。
ところが、キリスト教の教えは違った。
普通の人間が、前向きに生きる方法・・・
明日に希望を持つ方法・・・
それを伝えた。
つまり、キリスト教は、
学び、実践出来る宗教だったのだ。
その為、多くの人々が、
キリスト教に、心の安らぎを求めた。
つまり、多くの人々が、
キリスト教を、正しいと信じたのだ。
結果、異端狩りが始まる。
現代の物語では、
異端は、むしろ正義である場合が多い、
その方が、話が盛り上がるからだ。
その為、
天使は邪悪で、
悪魔の方が純粋・・・
その様な設定も存在している。
ところが、本来、異端とは邪悪なのだ。
例えば、動物番組で、
捨て猫の、保護活動が紹介される。
今にも、死にそうな仔猫を、
必死に看病する姿・・・
出演者が、泣いている場面、
しかし、その中に、1人、
笑っている人物がいたら・・・?
それが異端だ・・・
そして、その人物が、
「どうせ死ぬなら、早く殺せば良いのに」
と言ったら・・・?
それが放送された場合、
番組には、苦情が殺到する。
場合によっては、
事務所は謝罪を行い、
その人物が出演中の、
CMは打ち切り・・・
ワイドショーでも話題に成る。
そんな中、コメンテーターが
その様な人物を、
純粋と評価した場合、
どの様な事に成るのか・・・?
異端が邪悪と呼ばれる理由は、
そこにある。
異端とは、
多くの人の価値観を踏みにじる・・・
多くの人を不快にさせる。
それが異端なのだ。
そして、当時のキリスト教徒にとって、
異端とは、殺すベキ存在だったのだ。
キリスト教徒は、キリスト教を信じている。
正しいと信じている。
それを広める為に、
牧師さんが出かけて行った。
しかし、その牧師さんは、異教徒に殺された。
あの牧師さん・・・
みんなに優しく、
多くの人々を救った牧師さん・・・
その牧師さんを殺し、その肉を食べた・・・
その様な異教徒と、
話し合いなど不可能なのだ。
もし、自分が誘拐され、
指を切断される場面・・・
話をしても、指は切断される。
そして、殺される。
つまり、必要なのは、
話し合いでは無く・・・
改善が必要なのだ。
そして、その場合、改善とは、
異教徒を殺す事なのだ。
「多くの信者」が、その考えに賛成した。
キリスト教は、キリストが作った訳では無い。
その弟子達が作ったのだ。
つまり、作られた時から、
意見の食い違いはあったのだ。
つまり、キリスト教の考え方は、
1つでは無いのだ。
そして、この世界のルールでは、
「大多数が正義」なのだ。
つまり、
強い者の意見が通るのだ。
強い者は、恐い、
その恐怖が、大多数を生み出す。
そして、その大多数が正義に成る。
つまり、強い者に逆らえば、
自分は異端・・・
つまり、邪悪に成るのだ。
つまり、弱者は、強い者にしたがう。
それ以外に選択肢が無いのだ。
その為、強い者の命令によって、
十字軍が誕生した。
多くの人々は、
キリスト教を純粋に信じていた。
そして、布教活動に出かける事を、
正義と考えた。
ところが牧師さんが、
異教徒に殺される・・・
実際、その場面を見た訳では無い。
しかし、その様な話を聞かされる。
信頼している教会が、
その様に報告する。
つまり、民衆は、
コントロールされていたのだ。
キリスト教を信じる心を利用され、
戦争に利用されていたのだ。
強い者は、キリスト教を、
信じていた訳では無いのだ。
自分の欲の為に、
キリスト教徒を利用したのだ。
つまり、十字軍は、
利用された存在だったのだ。
そして、十字軍を続けるには、
莫大な費用が必要に成る。
敵から略奪をしても、
その敵も戦争の為・・・
資金難である。
そんな敵から、土地をうばっても、
そこに畑を作れるのは、
戦争が終わった後の事である。
結局、資金難を打開出来ず、
十字軍の継続は、困難に成った。
そして、時代は流れた。
その後も、キリスト教は、
布教活動を続けて居た。
しかし、その信者は純粋であっても、
それをコントロールする者が現れる。
そして、始まったのが、
魔女狩りだった。
純粋な、布教活動であっても、
それには、旅費、滞在費、
様々な費用が必要に成る。
では、その資金を、
どの様に集めたのか・・・?
その多くは、寄付だった。
しかし、あまり、寄付を求めると、
民衆の反感をかう。
そこで、
邪悪なキャラクターを誕生させた。
それが魔女である。




