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牧草地の、牛の飼育は、
今後も続ける事にした。
しかし、
死ぬハズの僕が、生き残ったのだ・・・
その為、
改善を考える事は、他にもあった。
例えば、
南のジャングルに行って、
僕が、魔法の力を見せ付ける。
そして、僕が南原人の支配者に成る。
これは、現実的に可能である。
以前は、僕が死んだ場合、
残された家族が、どの様に成るのか・・・?
それが不安だった。
しかし、僕は死ねない・・・
そう成った今、
僕が、南原人の支配者、
つまり、神と成り、
僕の家族を、南原人と、合流させる事も、
可能に成ったのだ。
もちろん、
僕が神に成る危険性は、何度も考えた。
しかし、僕が、南原人の神と成る事で、
父と母の次の子供・・・
つまり、僕の弟か妹を、
南原人と結婚させる事が出来る・・・
これによって、子孫が残せる。
もし、我々と南原人との、遺伝子が異なり、
子孫が残せない場合でも、
祖母が生み出した発明・・・
それを文化として、残す事は出来る。
この世界の、将来に役立つ「何か」・・・
それを残す事が、
生きる意味であり、
我々の、誇りなのだ。
我々は、一生懸命に生きている。
試行錯誤して、その技術を高めている。
しかし、このまま、
枯れた大地で、生活していた場合、
僕の家族は死に絶える・・・
牛も、芋も、
今後の為に、育てているのだ。
しかし、
その今後を、受継ぐ者が居ない・・・
現在、我々は、
死に絶える為に、生きているのだ。
その為に、牛を殺し、生きているのだ・・・
死に絶える為に、
生きる権利はあるのか・・・?
牛の生きる権利を奪い、
その命を食べて、我々は生きてる。
そんな我々が、
死に絶える為に、生きて良いのか・・・?
『牛の死は、無駄に成るのでは・・・?』
もちろん、牛に、その様な事は解らない。
あくまでも、我々の考え方の問題である。
しかし、だからこそ、考える必要がある。
我々は、実質3人しか居ない・・・
父、母、祖母、
その3人である。
もし、この場所に100人いた場合、
父と母に子供が出来なくても、
誰かが、子供を産んでくれる。
その子供が、我々の文化、
誇りを受継いでくれる。
その為に、子供が出来ない人も、協力する。
子供が、誇りを持って、
生きられる社会を作る。
その為に生きる必要がある。
しかし、ここには、3人しか居ない・・・
この3人は将来死ぬ・・・
つまり、そこで終わる・・・
父と母に、子供が生まれても、
今の環境では、
その子は、将来、子孫を残す事が出来ない。
つまり、その子のが死んだら、
我々の文化は終わる・・・
『そんな命に価値があるのか・・・?』
現代社会であれば、
独身で収入の無い癌患者であっても、
存在価値は存在する。
その様な人物に対し、
どの様に対応するのか・・・?
その試行錯誤によって、
社会制度が向上する。
つまり、現代社会であれば、
独身でも、子供が居なくても、
本人は、何も出来なくても、
人間である限り、その存在価値はあるのだ。
ところが、原始時代・・・
3人だけで生きる部族に、
その様な価値は無い・・・
結局は、滅ぶ部族・・・
そんな部族が、
大切な命を奪い、
死ぬまで生きるだけ・・・
生きる事に、何の意味も無い・・・
ただ、死ぬのが恐いので、
牛を殺して、生き延びているだけ・・・
そんな我々が、
今後、200頭の牛を殺すよりも、
今、我々が死んだ方が、
この世界の将来の為には、
プラスなのだ。
しかし、
我々は生きている・・・
死にたくないのだ・・・
だから、生きる・・・
価値のある牛を殺し、
価値の無い、我々が生きる・・・
『本当に、それで良いのか・・・?』
しかし、だからと言って、
この状況を改善する為に、
僕が、南原人の神に成った場合、
世界は、僕を中心に発展して行く・・・
全ては、僕の好き嫌いに左右される。
僕が、それを望まなくても、
人々は、僕の影響を受ける。
僕が気に入るモノを選ぶ。
つまり、ピラミッドなど存在しない、
そんな、世界が誕生する。
そんな、無駄なモノを作るよりも、
水害にも、水不足にも、耐える環境を作る。
その様な発想で、世界は発展して行く。
結果、僕が神に成った世界に、
将来、観光資源に成る様な、
遺跡など残らない・・・
つまり、僕が、南原人の神と成り、
我々の文化を残した場合、
南原人の文化が消滅するのだ・・・
我々の文化を残す為に、
他人の文化を誕生させない・・・
これは、納得出来ない。
つまり、我々家族は、
子孫をあきらめ・・・
文化を残す事もあきらめ・・・
滅びる為に生きる・・・
死ぬのは恐いので、
死ぬまで生きる・・・
それが、この世界を守る為には、必要なのだ。
その為に、牛には、
我々の食料に成ってもらう・・・
しかし、被害は、最小限におさえる。
その為に、我々は、牛を育て、
その牛を食べる。
残念ながら、僕の家族には、
未来など無いのだ・・・
僕が、津波で、全てを奪ったのだ。
『これから、どうする・・・』
『家族が死ぬまでの、数十年・・・』
『我々は、何を目的に生きる・・・?』
そして、考えた、
『もし、僕が逃げたら・・・』
『どう成る・・・?』
これまでは、僕と母は、一心同体であった。
しかし、母が僕を出産した事で、
僕は、1人で動ける。
つまり、僕は、
家族を見捨てて、逃げる事が出来るのだ。
例えば、
家族から3キロ離れた場所に移動する。
結果、家族には、僕の居場所が解らない。
しかし、千里眼を使う事で、
僕からは、家族が見える。
そして、僕は、今後、
万が一の場合以外は、
手を出さない・・・
そこで、考えてみる。
将来、祖母が病気に成った場合、
3キロ離れた場所から、
『祖母に回復魔法が送れるだろうか・・・?』
千里眼の応用で、それは出来る様に思える。
事実、現在、僕は、
牛から30メートル離れている。
そして、家族は、牛の近くに居る。
しかし、僕の回復魔法は、母に送られている。
母は、出産直後なので、
僕の無意識が、母の健康チェックを行い、
結果、その具合が、僕にも伝わっているのだ。
そして、僕は、千里眼で見える範囲なら、
動く魔法や、瞬間移動を、使う事が出来る。
つまり、僕は、家族を見守る神に成れるのだ。
それを踏まえ、考える・・・
父、母、祖母、タロ、ゴン・・・
この5人を、南のジャングルに、
連れて行った場合、どうなるか・・・?
僕は、姿を隠し、
その後は、この5人の神として、
5人だけを守る。
そして、5人は、南原人と遭遇する。
もし、攻撃を受けても、
僕が、それを防ぐ・・・
これによって、
この5人には、手出し出来ない事を、
南原人に理解させる。
そして、その後、5人は、
南原人と、共同生活を始める・・・
『これなら、どうだろうか・・・?』
一瞬、上手く行く様に思えた。
しかし、祖母に親友が出来た場合、
その親友が、病気に成った場合、
僕は、その親友を無視出来るだろうか・・・?
南原人の医療を進歩させる為には、
僕は、手出し出来ない。
『しかし、我慢出来るのか・・・?』
もし、その時、僕が手を出したら、
その後、僕は、南原人の神に成ってしまう。
結果、南原人の進歩を妨害してしまう。
『やはり、駄目か・・・』
我々家族は、死ぬまで、枯れた大地で、
人知れず生きて、死んで行くのだ・・・




