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これは魔法の書です。  作者: わおん
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僕の誕生後、始めての食事、


しかし、植物人間の僕は、何も食べない。



母は、そんな僕を、心配そうに見ている。



僕は、申し訳ない気持ちに成った。



食事を終えると、全員、焼肉を1枚ずつ持って、


牧草地へと瞬間移動をする。



そして、恐竜ゴンに、 祖母、父、母の順で、


肉を食べている姿を見せる。



その後、狼タロに生肉を与え、


タロが食べ終わるのを待つ。



そして、その後、恐竜ゴンに与える。



これを行わないと、


恐竜ゴンは、自分の立場が理解できず、


混乱して、凶暴化するのだ。



その為、多少、可愛そうだが、


恐竜ゴンに、肉を与えるのは、


毎回、最後と決まっている。



ちなみに、


この時、タロとゴンは、初めて僕を見た。



熊の皮を身にまとい、


直立状態で、空中に浮かぶ赤ちゃん・・・



タロとゴンは、それが僕だと理解出来る様で、


特別驚く様子も無い。



まるで、以前から、


僕の姿を知っていた様であった。



タロが肉を食べている間、


父と祖母は、牛のマッサージを始める。



基本的に、2頭のメス牛は、


タロに付いて来るのだ。



さすがに、肉は求めないが、



現在、タロが、牛の群れのリーダーなので、


本能的に、そこに来る。



そこで、父と祖母は、


その習性を利用して、


牛にマッサージを行うのだ。



長さ30センチ程度の、


木の棒の側面で、


牛の背中を「こする」・・・



牛は、気持ち良さそうである。



これを、毎日、続けた事で、


牛の、警戒心は無く成っていた。



恐竜ゴンが、肉を食べ終わった後、


母も、牛のマッサージに参加した。



牛にとっては、新顔であるが、


それでも、牛に警戒心は無かった。



この2頭のメス牛は、


原始人を信頼しているのだ。



愛情を理解しているのだ。



その為、不安に成る。



『将来、この牛を、殺せるだろうか・・・?』



僕は、今後の事を、考え直す必要性を感じた。



元々、僕は、生まれる前に、死ぬハズだった。



その為、大急ぎで、この牧草地を作り、


牛を連れて来たのだ。



ところが、僕は、生きている。



しかも、植物人間であり、


それは、バリアで守られている。



僕の横に浮かぶ牛肉を、参考に考えた場合、



植物人間の僕は、


バリアの効果によって、半永久的に守られる。



食事も不要である。



つまり、僕が死ぬ事は無い。



その為、僕が死ぬ事を想定して、


無理に行った準備を、


変更する必要があるのだ。



その代表が、この牧草地である。



僕がいて、瞬間移動が使えるのだから、


牧草地で、牛を育てる意味など、無いのだ。



僕が、牛の大地で、狩って来れば良いのだ。



肉の乾燥室も、不要に成る。



乾燥肉よりも、


生肉を焼いて食べる方が美味しい。



僕が狩って来た牛を、父が解体して、


その肉を、僕のバリアで守れば、


食べ切る日まで、その鮮度を守ってくれるのだ。



そして、この案を実行しても、


父が牛を殺して、それを解体する事に変りは無い。



つまり、牧草地が無くても、


父の誇りは守れるのだ。



『では、どうする・・・?』


『牧草地は、閉鎖するか・・・?』



その方が、合理的に思えた。



しかし、心に何かが引っかかる・・・



だから、僕は、考えた。



魔法があれば、


牛を育ている必要など無い・・・



『それでも、牧草地を管理して・・・』


『牛を育てる必要があるのか・・・?』



牧草地で牛を育て、


その中から、1頭を選び、


群れから連れ出し・・・



他の牛に見えない場所で、殺し・・・


解体する・・・



『本当、それが誇りなのか・・・?』



牛は、父や祖母を信頼している。



2人の姿を見ると、


マッサージを求め、


自分の意志で近付いて来る。



今後は、


その習性を利用して、


1頭を選びヒモを付け、


散歩に連れて行く予定である。



それを日常的に行う事で、


牛は、散歩を理解する。



父や祖母と散歩が出来て、


その先で、マッサージを受け、


身体を洗ってもらえる。



それを学習する。



しかし、ある日、散歩の日、


その牛は、父に殺される。



『本当に良いのか・・・?』



現在は、まだ散歩には、行っていない。



しかし、牛が3頭に成ったら、


それを行う予定であった。



牛2頭を残し、1頭を散歩させる。



毎日、別の牛を連れて行く。



その間、残った牛の見張りは、狼タロに任せる。



この方法で、散歩を習慣化して、


楽しい事だと学習させ、


牛が20頭に増え、



子供が生まれ、


牛の量が安定したら、


高齢の牛を1頭選び、



散歩に連れて行き、殺す・・・



『そんな事をしても、大丈夫なのか・・・?』


『精神的に耐えられるのか・・・?』



我々には、回復魔法がある。


しかし、心の傷は消えない・・・



僕は、生前を、思い出そうと考えた。


『牧場の人達は、どの様にしていたのか・・・?』



おそらく、


牛を育てる人と、


牛を解体する人は、別人である。



トラックで出荷して、


別の場所で解体するのだ。



我が子の様に育てた牛を、


自分で殺し解体する・・・


その様な事はしないと思う。



しかし、マサイ族は・・・?


現代の事情は知らないが、



本来は、自分で育て、自分で解体している。



つまり、精神的に大丈夫なのだ。



先祖代々、それを当然の事の様に行えば、


それは、自然に行える。



例えば、鯛の生き造り・・・


つまり、鯛の口や尻尾が動いている・・・


その上に「お刺身」が盛られている。



その様な状態で食べる・・・


それを喜ぶ・・・


日本には、その様な文化がある。



つまり、牛を育て、


それを殺して食べる事も、


繰り返し行えば、それが文化と成り、


平気に成るのだ。



しかし、それは、あくまでも、


理屈の話である。



『牛を育て、それを殺し解体する場合・・・』


『父は、どう成る・・・?』



父の姿を見て、喜んで寄って来る牛・・・



それを、



『散歩に連れて行き、殺す・・・?』


『本当に必要か・・・?』



そして思い付く・・・



『では、父には、牛の飼育をさせない・・・』



今後、牛の飼育は、祖母と母に行ってもらう。



そして、3ヶ月に1度、牛1頭を選び、


いつもの様に、母が散歩に連れて行き・・・



そして、父が、その牛を殺す・・・



『これなら、どうだろうか・・・?』


『本当に大丈夫だろうか・・・?』



結局の所、僕が、提案すれば、


その案は通り、家族は、それを実行する。



それが精神的に辛くても、


家族の為に、父は、それを実行する。



実際、現代社会も、


牛を殺し解体している人はいるのだ。



その人の、お陰で、肉が食べられるのだ。



つまり、牛を殺し解体する事は、


悪い事では無い。



しかし、僕が魔法を使えば、


それを行う必要は無いのだ。



牛の大地で、野生の牛を1頭狩り、



瞬間移動で皮を取り、


その皮は祖母に送る。



内臓だって、瞬間移動で取り出せば良いのだ。



この方法を使えば、父が、牛を殺し、


解体する必要さえ無い。



それが可能であっても、


我々は、誇りの為に、


牛を育て、それを殺す必要があるのか・・・?


家族に、それをさせる必要があるのか・・・?



事実として、僕が行えば、


全て解決する。



しかし、その場合、3人の存在価値は失われる。



それを防ぐ為には、3人には、仕事が必要なのだ。



それも生きる上で、重要な仕事が・・・



それが、牛の飼育であり、


牛の解体であり、


乾燥肉の製造なのだ。



その時、僕は、思い出した。



生前、僕は、幼稚園で、


桃太郎の芝居をした。



園児全員が、桃太郎で、


園長先生が演じる鬼と、


話し合いで、解決する・・・



そんな芝居だった。



大人の理屈では、


園児は平等に扱う必要がある。



だから、全員が主人公に成ったのだ。



暴力による解決など、


子供に教えるベキでは無い・・・



だから、話し合いで解決する。



その結果が「きれい事」の桃太郎だったのだ。



しかし、この桃太郎には、


当時、幼稚園児だった僕でさえ、


疑問を感じた。



僕は田舎に住んでいた。



近くには、多くの山々があった。



その為、不気味な昔話も、多く伝わっていた。



昔、戦や洪水で食べ物が無く成ると、


子供を誘拐して、それを食べる者が現れた。



その者達は、赤ちゃんの腕を切り落とし、


それを焼いて食べた。



それで大喜びした。


そんな連中である。



そんな連中に、


子供が連れて行かれる・・・



しかし、飢死寸前の両親に、


子供を守る力など無かった。



『話し合いで、解決出来る問題だろうか・・・?』



世の中は「きれい事」では解決出来ない。



我々は、獲物を殺し、必死に生きているのだ。



その効率を上げる為に、


牧草地で牛を育て、


それを殺す・・・



『それの何が悪い・・・』



こうして、結論は出た。



結局、牧草地は残し、


牛を育てる事にした。



『ここは、幼稚園では無いのだ・・・』


僕は、反省した。


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