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僕は、悪人を殺す神に成る・・・
『そんな事は、可能だろうか・・・?』
何を悪とするのか・・・?
全ては、僕の価値観で、決まってしまう。
しかし、僕の価値観は、
統一出来ない。
気軽に考えれば、
貴族など、不要に思える。
僕の知る貴族は、悪役である。
しかし、
それは、物語の影響で、
僕が勝手に、その様な先入観を、持っているのだ。
では、本当の貴族とは・・・?
貴族とは一体、何なのか・・・?
なぜ、存在する・・・?
そもそも、なぜ、貴族に成れた・・・?
おそらく、強い誰かが部下だった。
その誰かは、王に成り、
その部下は、貴族に成った。
つまり、元々は、生き残る手段として、
戦い、勝ち、生き延びた・・・
その時の活躍が元と成って、
貴族に成れた。
つまり、貴族は悪人では無い。
村を守る為、家族を守る為に、戦った人、
それが貴族である。
ところが、
その権力を受継いだ2代目は・・・?
ただ、英雄の子供、
それが貴族に成るのだ。
野球選手の子供・・・
それだけの理由で、野球選手に成れた場合、
プロ野球など、
そのレベルを、維持する事は、不可能に成る。
しかし、貴族社会では、それが行われて居る。
つまり、権力を受継ぐ事は、禁止した方が良いのだ。
無能が権力を受継ぐ事は、悪なのだ。
ところが、その考え方にも、問題がある。
なぜ、日本は日本なのか・・・?
日本の伝統は、なぜ、守られているのか・・・?
実用性など全く無い「高級な着物」
千年以上前から、存在する「お寺」
そんなモノなど、存在しなくても、
人間は生きて行ける。
しかし、そんなモノがあるから、
日本は日本なのだ。
それが、日本の特徴なのだ。
そして、その伝統を守るには、
それを受継ぐ職人と、
それを必要と考える、誰かが必要なのだ。
必要だと考え、
無駄に高級な着物を、買ってくれる。
生きる上では、
全く、無駄な、伝統行事を続けてくれる。
そんな人が、居なければ、
日本の伝統など、
途絶えて居たのだ。
そして、それは、日本だけの事では無い。
つまり、その国の価値を守る為には、
貴族や上流階級は必要なのだ。
成金では無い。
本当の金持ち、
先祖代々金持ち、
国の伝統行事を守る大金持ち・・・
代々、その国の文化や伝統を、
守ってくれる誰か・・・
それは必ず必要なのだ。
ヨーロッパのお城など、
その多くは、個人が所有している。
しかし、法律で管理されている。
結果、修理をする場合、
現代の機械が使えない。
当時の伝統を守る為、
その時代の方法で、修復を行う必要がある。
その様な法律があるのだ。
ところが、修復費用は、
その城を所有する個人が出費する。
無茶苦茶な理屈であるが、
それに対応出来る金持ち、
それが、ヨーロッパの、
ヨーロッパ的価値を守っているのだ。
つまり、貴族が、その子供に、
その権力を受継がせる事は、悪では無いのだ。
国の価値、国の誇りを守る為には、
伝統を守るだけの、財力が必要なのだ。
伝統を付け継ぐ、立場が必要なのだ。
日本の場合、伝統行事や儀式を理由に、
「超高級」着物が作られる・・・
それを見た一般人が、
それに、あこがれ「高級」着物を買う・・・
結果、着物職人は、弟子を育てる事が出来る。
そして、その弟子の作品は、
比較的、お手頃価格で販売され、
普通の人が、購入出来る。
結果、着物文化は、生き残っているのだ。
しかし、もし、国が、税金を使い、
儀式様の、超高級着物だけを、受継がせた場合、
それは、一般の人には無関係な、
別世界の他人事に成ってしまう。
我々とは無関係な事・・・
つまり、価値の無い事・・・
その為に、なぜ、税金を使うのか・・・?
その様な問題が発生して、
結局、その伝統は消滅する。
つまり、伝統を守る為には、
国民にも、興味を持ってもらう必要があるのだ。
その為には、
超高級・高級・普及品・安物・
これら、全てが必要なのだ。
例えば、台所で使う「ザル」
実用性だけを考えた場合、
100円のモノでも、充分に機能する。
竹細工のザルなど、不要なのだ。
ところが、超高級料理店は、
お客の前で、100円のザルなど使わない。
「本日の鯛です・・・」
その演出の為に、
超高級なザルを買ってくれる。
では、なぜ、その様な文化が存在するのか・・・?
それは、徳川家である。
徳川家康が権力を握り、
その権力を受継いだ。
その為、江戸時代に成ってからは、
「いくさ」
つまり、戦争は無く成り、
生活が安定した。
その感謝のパフォーマンスとして、
多くの名品が、徳川家に届けられた。
戦国時代にも、
超高級茶道具は存在した。
しかし、戦が続く中、
それを楽しめる人など、
ほんの少数だった。
ところが、徳川に時代に成り、
安定した世の中に成った結果、
金持ちが現れ、贅沢が可能に成った。
「ぜいたく・・・」
『贅沢とは何か・・・?』
無駄使いである。
不要な物に、お金を使う事である。
そして、その無駄使いのお手本は、何か・・・?
それが徳川家なのだ。
個人の自由で、無駄使いをした場合。
そこには、統一感が無い・・・
つまり、その国の特徴など育たないのだ。
しかし、徳川家という基準がある事で、
人は、それを手本に出来る。
大金持ちの、町人が、
ピラミッドを作ろうとしても、
それを作れる職人は居ない。
ところが、日光東照宮を作れる宮大工は居る。
その為、質素倹約の時代であっても、
見事な屋敷を、建てる事は出来た。
見た目は、派手では無いが、
そこには、高度な技術が使われている。
そして、そこに必要な庭園も受継がれた。
派手では無いが、感動を生む・・・
それが、結果的に、
日本の伝統として残ったのだ。
しかし、エジプト文明は、それに失敗した。
ピラミッドを建てる技術を持ちながら、
それを受継ぐ事が出来なかった。
途絶えたのだ。
途絶えた文明の1つに、
マヤ文明が存在する。
現代でも、その子孫と証する人が、
予言者の真似事をしているが、
マヤ遺跡は、
近年、外国人冒険家によって発見されたのだ。
つまり、子孫と称し、
「それらしき事」を言っている人は、
遺伝子上、子孫であっても、
文化的には、何も知らないのだ。
事実を受継いでは、居ないのだ。
コスプレのパフォーマンスなのだ。
日本人がサムライを気取っても、
職業的にサムライには成れない。
武力で、日本の国や地域を、
支配する人物・・・
その家来・・・
戦が始まれば、兵士として戦う・・・
仕事で失敗をした場合、
腹を切って謝罪する。
そんな職業、現代の日本では認められない。
つまり、自称、サムライはいても、
本物の侍は途絶えたのだ。
しかし、
それが悪い事だろうか・・・?
『侍文化は、途絶えて良かったのだ・・・』
自分の、お父さんが、
ある日、切腹を命じられる・・・
そんな状況、僕は納得が行かない。
隣の県と、戦争を繰り返し、
知り合いが戦死する日常・・・
僕は、そんな文化は必要とは思わない。
しかし、文化とは伝統である。
では、伝統を守る為、
その国の誇りを守る為、
どこで線を引くか・・・?
僕は、考えた。
侍の文化は、
多くの人の心を引き付ける。
ところが、それは、
戦争や殺人を認める事に成る。
つまり、僕が、この世界の神と成った場合、
侍文化など、認められないのだ。
では、芸者遊びは・・・?




