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小学1年生、1学期の下校時・・・
僕は、毎日、一生懸命に走っている。
しかし、現実問題、身体の構造上、
現在、出せるスピードは、限られている。
ランドセルも、邪魔である。
結果、僕は、全力疾走している「つもり」でも、
その力を、出し切れていない。
つまり、それ程、疲れないのだ・・・
しかし、他にする事が無いので、
全力疾走と、
石段の駆け上がりと、
お百度岩を使った、呼吸の回復と、
神様に手を合わせる芝居と、
立ったまま寝る挑戦と、
回復の練習を・・・
学校の、ある日には、毎日続けていた。
それから1ヵ月後、更なる変化があった。
背中を押されている感覚・・・
僕の力は、必要なく成って行く・・・
僕は、押されているだけ・・・
それに合わせて、足を動かすだけ・・・
僕は、この現象に、心当たりがあった。
以前、羽毛の飛ばし過ぎで、倒れた時、
僕は、ゆっくりと倒れた。
その時、僕の意識は、薄れていたので、
正確には、記憶していない。
しかし、倒れたのに、無傷だった。
「たんこぶ」も無かった。
その事から、あの時、ゆっくり倒れた出来事は、
事実であったと、考えられた。
そして、今、僕の背中は、何かに押されている。
『魔法が、僕を押している・・・』
『動いているモノを、動かす魔法・・・』
『僕が、動いている僕を、動かしている・・・』
冷静に考えれば、恐ろしい現象である。
今後、魔法の暴走が起きた場合、
僕の身体は、勝手に動く危険性があるのだ。
しかし、当時の僕は、まだ小学1年生・・・
その問題には、気付かなかった。
下校時の、全力疾走を始めて3ヶ月、
僕は、周辺で有名人に、成っていた。
僕が、小学校に入学した時期に、
祖母が入院したのだ。
周囲から見れば、僕は、毎日、神社に行って、
祖母の為に、お百度参りをしている孫である。
結果、立派な人だと、誤解されていた。
毎日、誰かに、ほめられた。
しかし、僕は、納得行かなかった。
『何が、立派なのか・・・?』
現実には、何の意味もない。
お祈りに、時間を使うのは、無駄な行為である。
本当に立派なのは、病気を治す為に、勉強をして、
技術を身に付け、祖母を治療している医師である。
お祈りなど、何の意味も無いのだ。
しかし、周囲の大人は、僕を、ほめた・・・
僕は、迷惑していた。
神社の向かう道に、祖母の友達が待っていて、
僕を応援する様に、成ったのだ。
結果、その人が見ているので、
僕は、全力疾走が、出来なく成った。
ところがである。
その頃から、僕は、学校で、馬鹿にされなく成った。
これまで、誰も、僕には近付かなかった。
しかし、クラスメート全員が、僕の陰口を言っていた。
それが、無くなったのだ・・・
足が速いと人気者、スポーツが出来れば偉い。
そんな、単純な理由だった。
僕は、納得が行かなかった。
だから、誰とも遊ばなかった。
それでも、僕がラムネを食べていても、
誰も、陰口を言わなく成った。
誰も、文句が言えなく成ったのだ。
足が速いだけなのに・・・
そして、この時期、
僕は、大きな勘違いをしていた。
僕は「魔力」の存在を、信じていたのだ。
魔法が存在するのだから・・・
「魔力」も存在する・・・
その様に思っていた。
後で、理解する事に、成るのだが、
魔法に必要なのは、ブドウ糖と、体力である。
身体の中に「魔力」を溜め込む構造など、
存在しないのだ。
ところが、当時の僕は、
毎朝、魔法の消費を行っていた。
つまり、僕は「魔力」を消費している・・・
つもり、だった・・・
僕は、それを「魔力の消費」と呼んでいた。
身体に溜まった「魔力」を、消費している・・・
その様に、信じ込んでいたのだ。
事実、魔法を使わないと、
ストレスが溜まり、魔法が暴走する。
しかし、これは、あくまでも、
ストレスの発散である。
魔法が、溜まっている訳では、無いのだ。
例えば、身体の中に、声が溜まって、
それが出る訳では無い。
身体の中に、声を溜める仕組みなど、存在しない。
しかし、声を出さないと、ストレスに成る。
そして、大声を出す事は、ストレスの発散に成る。
魔法の暴走も、それと同じ事なのだ。
ところが、当時の僕には、それが理解出来なかった。
おまけに、幼児期から、
アニメや、変身ヒーローなどを見て、
エネルギーという知識を得ていた。
そして、恥ずべき事に、
僕が馬鹿にしたファンタジー小説には、
「魔力」の存在が書かれていた。
その為、僕は「魔力」が存在して、
それが身体に溜まって行くモノだと、
思い込んでいたのだ。
そして、この段階で、夏休みに入った。
小学校に入学して、初めての夏休みである。




