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ドラが死んで、1時間後、
深夜12時頃・・・
ドラは、死んだ・・・
しかし、玉に成った・・・
その結果、我々は、純粋に悲しめない・・・
つまり、無駄に起きて、
悲しむパフォーマンスなどしても、
何の役にも立たないのだ。
とても残酷に思える。
しかし、
我々は生きている。
明日が来る・・・
その明日の為に、
我々に出来る事、
それは、体力と精神を、
回復させる事である。
その為には、家族には、
眠ってもらう必要がある。
これが僕の本音である。
そして、それが、
僕の無意識魔法によって実行され、
3人は再び眠りに入った・・・
では、ここからが問題である・・・
なぜ、ドラが死んだのか・・・
『僕が、殺したのでは・・・?』
その可能性は充分にあった。
身体が大きく、攻撃的なドラが死んだ・・・
それで、1番助かったのは・・・
『僕だ・・・』
僕は、ドラとゴンを殺さないと決めている。
1度、保護しておいて、
邪魔だから殺す・・・
そんな発想で、行動した場合、
僕の行動は、年々、雑に成り・・・
将来的には、軽い気持ちで、
周囲の命を奪う事に成る。
結果、僕は、自分の感情が、
コントロール出来なく成って、
この星を、消滅させる危険性もある。
そして、僕は死ねない・・・
つまり、星を消滅させえた場合、僕には、
永遠に続く、退屈地獄が待っているのだ。
そして、その状況から逃げる為に、
僕は、何かをする・・・
冷静な判断など不可能なのだ。
星を消滅させ、
何も出来ず・・・
数百年・・・
その状況で冷静でいられる訳がない。
結果、僕は、退屈地獄に、怒り狂い、
全宇宙の素粒子を、
消滅させる危険性もある・・・
つまり、何も無い世界の誕生である。
何も無いのだ・・・
屁理屈など通用しない・・・
自分の都合の良い、
設定など存在しない・・・
本当に何も無い・・・
素粒子が消滅した場合には、
何も生み出せない・・・
ただ、僕の意識だけが存在する世界、
意識があるだけで、何も出来ない世界・・・
それが永遠に続く・・・
僕の未来には、それが待っている・・・
僕が、家族であるドラを殺した場合、
その日が、やって来るのが、早まるのだ。
その日を、少しでも送らせ、
改善策を考える。
僕には、その必要があるのだ。
だから、僕は、
2匹の恐竜を殺さないと決めていた。
ところが、ドラが死んだ。
ナイフの様な爪・・・
ムチの様な尻尾・・・
狼よりも早く走れる足・・・
そんな危険な存在が、
1つ消えたのだ。
『僕の、無意識魔法が、殺したのでは・・・?』
考えても、答えは出ないが、
これが事実であれば、
絶望的な問題である。
今後、僕が、
一生懸命に考えても、
必死に我慢しても、
僕の無意識魔法が、それを台無しにする・・・
僕は、父や祖母を殺す訳が無い・・・
『しかし、老後は・・・?』
祖母が寝たきりに成った時・・・
僕は、大切な祖母を、最後の最後まで・・・
『最後の最後まで、どうする・・・?』
『何も出来ないで、寝た状態・・・』
『それが2年続いたら・・・?』
その時、僕の無意識魔法は、
『祖母を殺すのでは・・・?』
僕が、どれだけ、ご立派な理屈を並べても、
本音を言えば、
『寝たきり老人に、未来は無い・・・』
『ここは、原始時代なのだ・・・』
『待っているのは、退屈な明日であり・・・』
『役に立てない罪悪感であり・・・』
『死ぬ事への恐怖でもある・・・』
『毎日、何か楽しい事・・・』
『そんなモノ・・・』
『僕には用意出来ない・・・』
だから、僕の無意識魔法は、
『将来、祖母を殺すのだ・・・』
『ドラを殺した様に・・・』
などと、考えてみるが、
しかし、
本当に、僕が、ドラを殺したのか・・・?
その様な疑問も生まれる。
無意識魔法と言っても、
その正体は僕なのだ。
僕が、本当に困る事は実行しない。
例えば、マラソン大会が嫌で、
仮病を使う生徒は居ても
自分の足を切断する生徒は居ない。
なぜなら、そこまで嫌では無いからだ。
ドラの存在も同じである。
恐竜を飼う事は、危険であるが、
飼える事には、うれしさを感じる・・・
心での会話が可能なので、
「しつけ」も出来る・・・
家族に危険があるなら、
ドラとゴンは、牧草地に定住させる事も出来る。
つまり、ドラが生きていても、
それ程、困らないのだ。
それが事実である。
『本当に、僕が殺したのか・・・?』
『もし、僕では無い場合・・・』
『なぜ、ドラは死んだ・・・?』
回復魔法で、健康は管理されていたのだ。
『それで、なぜ、死ぬんだ・・・?』
『やはり、僕が殺したのか・・・?』
考えても、次の発想が出て来ない。
つまり、考えても時間の無駄である。
翌朝、僕は、ゴンに、
ドラが死んだ事を説明した。
しかし、ゴンは、その事に、
特別興味が無い様であった。
人間の理屈で考えれば、
それは、とても冷たい対応に思えた。
しかし、本来、生まれた直後、
兄弟を食べる習性・・・
それを持って生まれた恐竜に、
兄弟を思いやる気持ちなど、
ある訳が無い・・・
エサを得る為、親恐竜は必要だが、
兄弟恐竜は、
生存競争を行うライバルであり、
そのライバルが死ぬ事で、
自分は、エサを与えられ、
将来、親恐竜の仲間として、
狩りに参加出来るのだ。
僕の偽善を、
押し付けては、いけない・・・
僕は、ゴンを連れて、
牧草地へと向かった。
狼タロに、昨晩の出来事を説明して、
ゴンの見張りをたのむ。
現在、狼タロは、
柵の中のメス牛1頭と、
柵の外のメス牛1頭の、
合計2頭を見張っているのだが、
実の所、
牛を見張る必要性など、全く無かった。
父が、牧草と水を運んで来て、
マッサージをしてくれる・・・
そんな恵まれた環境があり、
2頭の牛にとっての、ボスであるタロが、
その場に居るのだ。
つまり、2頭にとって、
この場所は、安全な場所であり、
ここから移動する必要性が無いのだ。
本来、野生の牛には、
本能的に移動する性質がある・・・
その様に思っていたが、
その気配が、まるで無い・・・
『2頭だからか・・・?』
『群集心理が働かない・・・?』
人間の子供も同じである。
2人の場合、静かであっても、
大勢いると、大騒ぎする。
味方が「いっぱい」居る事で、
自分には実力が無くても、
強いと錯覚出来るのだ。
おそらく、牛にも、
その性質がある。
その為、牛の大群は、
狼や恐竜が居る大平原を、
移動出来るのだ。
将来的に、牛を20頭に増やす予定だが、
『その場合、群集心理は発動するのか・・・?』
『その場合、牛は、どこに行く・・・?』
現代の牧場の牛は、何世代も飼われている。
しかも、野生には存在しない牛である。
昔の人が、凶暴な性格の牛は排除して、
太りやすい牛、乳が出やすい牛、
その様な牛だけを選び、
子供を作らせた。
その子孫が、牧場の牛なのだ。
ところが、我々が、育てている牛は、
恐竜のいる世界で生き抜く、野生の牛なのだ。
『何頭に増えたら、野生が目覚めるのか・・・?』
『タロに決闘を申し出て・・・』
『ボスの座を奪うだろうか・・・?』
『メス牛だけにするか・・・?』
『オスは飼わない・・・』
しかし、その場合、子供が出来ない・・・
つまり、僕が、牛の大地から、
牛を狩って来る事に成る・・・
結局は、僕の魔法で、成立する生活・・・
父や祖母が居ない方が、
仕事の効率が良く成る現実・・・
『そんな世界は嫌だ・・・』
『何の為の、世界だ・・・』
『誰の為の、世界だ・・・』
『そんな世界で、僕は何の為に生きるのか・・・』
その様な訳で、次回は、
オス牛を連れて来ると決めた。




