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我々は先ほど、
約200個の芋を収穫した。
そして、その内の半分は、
祖母に託した。
祖母の判断で、保存して貰うのだ。
では、残りの100個は、
どうするか・・・?
僕が、魔法で保管すれば、
その100個の芋を、
来年、タネ芋として使う事が出来る。
しかし、それは、祖母に失礼である。
祖母は、僕に、芋を半分まかされ、
真剣に、その保存を考えている。
そんな横で、
完璧な保存方法を見せられたら・・・
それが、魔法である。
祖母には、真似が出来ない・・・
だから、祖母は、現実的な方法を考える。
もちろん、失敗もするだろう。
しかし、その横には、魔法を使った、
完璧な保存方法が存在している。
そんな、状況で、祖母は、
必死に成れるだろうか・・・?
必要があるだろうか・・・?
自分が、失敗しても、
僕が居る・・・
魔法がある・・・
そんな状況で、祖母に努力をさせる・・・
それは、祖母を、馬鹿にした行為である。
その様な訳で、僕は、
祖母に、今後の計画を、教えてもらった。
現在、祖母は、100個の芋を、
10個ずつに分けて、
それを、さらに、干し芋用と、保存用に分けていた。
祖母は、芋を埋めた場合、
芽が出る事を理解していた。
その為、岩の上で放置する方法なども考えていた。
祖母は、光合成を知らない。
しかし、夏の炎天下での放置は、
芋が、干からびる事を、理解していた。
そこで、芋を木陰に、ぶら下げる方法を
考えていた。
しかし、祖母は悩んでいた。
「葉っぱ、太陽、好き」
「葉っぱ、水、食べる、大きく成る」
祖母は、そう言った。
つまり、植物は、太陽が好きなのだ。
だから、水を食べて、大きく成って、
太陽を見る為に、
地面から出て来るのだ。
祖母は、それを理解していた。
つまり、芋を保存する為には、
光と水を、防ぐ必要がある。
祖母は、その事を、僕に話してくれた。
僕は、祖母に、
祖母の凄さを説明した。
その様な事を、自分で考える事の出来る事が、
素晴らしい事であると、説明した。
そして、提案をした。
まずは、100個の芋を使って、
色々試して下さい。
そして、芋が足りなく成っていたら、
その時は、僕に言って下さい。
残りの芋を、差し上げます。
それまで、僕が、大切に保管して置きますので、
どうか、安心して下さい。
この瞬間から、母の横に浮かんでいる芋は、
嫌味な芋では無く成った。
この芋は、祖母が使う為の、芋である。
それを一時的に、僕が持っているだけである。
こうして、祖母の研究が始まった。
では、次は、父である。
現在、父は、1人で、家を建てていた。
建てると言っても、
柱は、元々、森に生えていた、立ち枯れの木である。
その為、極端な力仕事は必要無かった。
しかし、それでも1人での作業が、
困難である事に代わりない。
壁に成る丸太は、切り出し運ぶ必要がある。
僕が手伝えば一瞬なのだが、
父は、僕を使わない。
それ所か、父は、1人で作れる事に、
喜びを感じている様である。
家族全員が必要としている家、
それを建てる事の出来る名誉、
それが父の喜びだった。
父は、毎回、牛に槍を叩き込み、
その後、解体を行う。
全て1人で行う。
父には、自分だけが、
「やらされている」
その様な思いは、少しも無い。
家族の為に、役に立てるのだ。
それが、父の誇りなのだ。
家族の為に、役に立てる。
それが、父の生きる価値なのだ。
だから、父は、僕を使わない。
しかし、先日、僕は母から、
驚く様な事を聞いた。
3人の村で、石槍が発明されたのは、
母が子供の頃だった・・・
それが何年前の話なのか、
具体的には、解らないが、
母の話によると、
この数年の話だと思う。
つまり、6年ほど前までは、
棒の先を削っただけの、
木の槍を使っていたのだ。
それ以外には、棍棒と、投石で、
狩りをしていたらしい。
そんな、ある日、1人の村人が、
狼の腸を洗い、
木に巻き付けた。
すると、腸が乾燥して、
固く成った。
これにより、
腸が乾燥する事で、
固定出来る事を発見する。
そして、石のナイフを、木の棒に固定した。
それが、石槍と成った。
その後、石斧も作られたが、
その強度が保てない・・・
本気で叩くと、一発で壊れたそうである。
つまり、父の育った村の技術は、
まだ、誕生したばかりなのだ。
その為、以前、僕が革で、袋の作り方を教えた時、
3人は、驚いていた。
そのレベルの原始人が、
なぜ、火の起こし方を知っているのか・・・?
それは疑問だが、
とにかく、石斧が完成する以前・・・
父は、そんな時代の原始人なのである。
ところが、父は、
僕からイカダの作り方を学んだ。
その為、大工道具も無いのに、
家を建てる知識を得た・・・
そして、現在、本当に、家を建てているのだ。
『道具の作り方を、教えるベキなのか・・・?』
僕は、困っていた。
以前、僕が教えたイカダの作り方は、
テレビで見た事がある・・・
その程度の僕が、その作り方を勝手に想像して、
それを3人に教えたモノである。
その為、本来のイカダの様な強度は無い。
その後、僕は、3人に、
縄文式住居の建て方を、教えたが、
それも、何かで見た記憶を参考に、
僕が、作り方を考え、教えたモノである。
つまり、本物では無いのだ。
実用レベルの知識では無いのだ。
そんなモノを教えてしまったのだ。
その為、今、父が建てている家にも、
僕の技術が使われている。
幼稚な人間が、空想で考えた技術・・・
『本当に大丈夫なのか・・・?』
そんな事、誰にも解らない、
現在、父が作っているのは、
ログハウスの様な壁である。
石のノミを、棍棒で叩く方法で、
丸太を加工して、それを組み合わせている。
この技術は、僕が牛の水飲み桶を作った時、
その桶が転がらない様、固定する為に、
作った土台・・・
それを参考に、
祖母が、応用して、
家の壁作りに取り入れたのだ。
『大丈夫なのか・・・?』
『重さに耐えるのか・・・?』
『風に耐えるのか・・・?』
僕には、何の知識も経験も無い・・・
無責任な空想で、出来ると思い、
安易に、作り、
それを3人に見せた。
その結果、父は、それを正しい技術と信じ、
家を建てているのだ。
事実として、父は、実用的な石斧・・・
それを発明する以前の、
原始人である・・・
そんな父が、ログハウスを建てているのだ。
『絶対に失敗する・・・』
『しかし、何と言えば良いのか・・・』
僕が教えた技術は、
子供の空想です。
本物の、技術ではありません。
その為、保障は出来ません。
『あくまでも、自己責任でお願いします・・・』
『そんな事、言える訳がない・・・』
『でも、どうする・・・?』
『この家で、3人が寝るのか・・・?』
『壁は崩壊しないか・・・?』
洞穴を掘って、生活していた原始人・・・
それが、試行錯誤も無く、
突然、木造住宅を建てて居るのだ。
『絶対に問題がある・・・』




