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念話が無くても、原始人は、
その知能と、器用によって、生き延びる事が出来た。
すると、恐竜も学習する。
原始人を襲っても、無駄である。
平地で、単独行動して居る場合は、別だが、
集落で、生活して居る原始人は、
恐竜を撃退するだけの、技術を持って居る。
つまり、人類は再び、停滞期を向かえた。
現状維持で、生きて行けるのだ。
もちろん、不便はある。
念話が使えない事で、情報の伝達は会話に成る。
その為、言葉の文化は、進歩したが、
誰かの経験が、自分の知識と成る事は無い。
言葉で伝えても、出来ない人には、出来ない。
前の世代は、念話を使う事で、
感覚まで、正確に伝える事が出来た。
ヒモを縛る場合でも、習った直後は、上手に出来ない。
だが、念話を使い、感覚の全てを伝えれば、
1回目から、実用が可能に成る。
現在の彼らには、それが無いので、進歩が遅い。
その為、現状維持、無難の継続。
それで、滅びないのだから、それが普通なのだ。
すると、生まれるのが、自然信仰である。
自然を神として、感謝する文化。
つまり、災害が起こらない様に、
実在しない何かに、媚びる習慣である。
その為、彼らは、土偶の様な人形を作った。
その一部を壊し、その代わりに、自分の、
その部分を治してもらう。
そんな事、絶対に不可能なのだが、
信仰とは、そんなモノである。
そして、お洒落が流行する。
あの人は、カッコいい、可愛い。
それを、物の力で、獲得する為、無駄な物を量産する。
それを見て、36の意思も、最初は楽しんで居た。
だが、それは、ゴミで、ゴミを作る文化である。
この継続の先に、深海の宇宙船を引き上げ、
36を解放する技術力など、生まれる訳が無い。
だが、再び、魔法が広まる事で、
生物の滅亡が発生して、振り出しに戻る可能性が高い。
つまり、魔法を持たないまま、
彼らが、日々の暮らしを進歩させ、科学を理解する。
その道のりが必要なのだ。




