6、旅立ちの気配
「わっ!」
いきなり俺が引っこ抜けたその反動で、少女が尻餅をつく。
『大丈夫か?』
「平気」
慌てて尋ねる俺に短く答えつつ、立ち上がる少女。ふむ。怪我はなさそうだ。
『ありがとう。助かったよ』
「ん」
俺の言葉に軽く返事をすると、少女は両手で持った俺を、まじまじと見つめる。
文字が表示された部分。その表面をぺたぺた触る少女。それを眺める俺。触覚はあるので、触られている感覚はある。
「魔法使い?」
しばらく俺をいじっていた少女が疑問を口にする。
『初めまして。私はケイ。魔法使いだ』
そんな自己紹介をしてみる。この世界には魔法使いがいると聞いている。もっとも、どういう存在かまでは知らない。
だが、俺も魔法が使えるわけだし、あながち間違いではないはず。そういうことにしておこう。
俺の素性を説明するのは厄介だ。魔法使いだと納得してくれるならそれで良い。
「クロル」
名前だけを短く答える少女、クロル。口数が少ない子のようだ。それに表情には、まったく変化が見られない。
それっきり、しばらく無言の時間が続く。
さて、どう会話を進めるべきか。できれば街などの、人がたくさんいる場所に運んで欲しいから、この少女とは友好的な関係を築きたい。
慎重に言葉を選ばねば……。うーむ、この世界の知識に乏しいので、常識的なことがわからないのが辛い。
『よろしく。クロル』
「よろしく」
沈黙に耐えきれず口を開いたものの、先が続かない。うーむ。無表情で、何を考えているのか、わからないのが困る。
いろいろ聞きたいことはあるのだが……。というか、クロルのほうも俺のような存在を、疑問に思わないのだろうか?
俺なら絶対、根掘り葉掘り尋ねたくなるけど。いや、気にならないなら、そのほうが助かるけどさ。
またしても互いに沈黙する。すると、今度はクロルが口を開く。
「ありがと」
うん? ああ、グレイウルフから助けたことに対するお礼か。ふむ。こうなったら多少恩着せがましいが、流れでお願いしてみるか。
『そのことなのだが。助けたお礼に、ひとつ頼みを聞いて欲しいのだ』
「ん、引っこ抜いた」
『いや、それ以外にも頼みがあってな』
この口調は魔法使いっぽいかなと始めてみた。役者としての性である。
「なに?」
『見ての通り、私は看板ゆえ、動くことができない。だから街まで運んで欲しいのだ』
「ん、わかった」
思いのほかあっさりと了承してくれるクロル。そんなあっさり了承してくれるの? 頼んでおいてなんだが、大丈夫なのだろうか。
意思のある看板という。かなり怪しい存在に対して、いくら助けてもらったとはいえ、こんなにあっさり……。
それはそれで、なんだか心配になるぞ。
「ここ、泊まっていい?」
泊まるって、この廃村にか? そういえば、もうすぐ日も暮れそうだな。
『構わない。私の村でもないし、好きにしなさい』
まあ、廃村でも野宿よりはマシだろう。
「ん」
頷いたクロル、俺を肩に担ぐと倒れているグレイウルフのほうへ近づく。
「どうする?」
グレイウルフを指差すクロル。
うーん、どうすると言われても。正直、俺にはまったく必要のないものだ。なにせ、看板だからな。
『クロルの好きにして良いぞ』
「いいの?」
『うむ。構わない』
「ありがと」
相変わらず無表情だが、なんとなく嬉しそうな雰囲気を醸し出すクロル。俺を近くの小屋の壁に立て掛け、背負っていたリュックを隣に降ろす。
そして、腰からナイフを取り出すとグレイウルフに近づき。そのままクレイウルフに突きたてた。
うーむ、どうやら解体しているようだが。うわー、逞しい。俺にはとても真似できないだろう。
看板になっても心は人間のまま、あんな大きな生物を解体するのは抵抗がある。というか、見ているだけでも辛い。目を逸らす。
うーん、にしても今更だけど。クロルはこんな所で一人、何をしていたのだろうか? よくよく考えてみると変である。
近くに村なんてなさそうだし。ここに泊まるという発言……。まさか、一人で旅をしているのだろうか。
いやいや、まだ八歳くらいだぞ。そう思ったとき、グレイウルフの解体を終えたクロルが、こっちに近づいてきた。
『クロルよ、親はどうしたのだ。それに帰る家はないのか?』
つい尋ねてしまったが、すぐに後悔する。もしかすると孤児なのかもしれない。不用意な質問だったかも。
「いない。家もない」
おう……。やっぱりそうだったか。
『すまない。不用意な問いかけだった』
俺は慌てて謝罪した。
こんな小さいのに親が居ないとは。きっと訳ありなのだろう。心配だな。
「良くあること」
クロルはまったく表情を変えることなく淡々と答える。良くあるのか……。この世界は思っていたより、厳しいらしい。
『そういうことならば、この村のものは好きに使いなさい』
俺のものでもないのだが、この村に住んでいた先人も、いたいけな少女に使われるのならば許してくれるだろう。
「ん」
頷くと、クロルはリュックから布を取り出す。そして、ナイフに付いた血をきれいに拭き取り、今度は森へと入って行く。
何しに行くんだ?
ふむ。小枝を拾っているな。おそらく薪にするのだろう。その後も、あくせくと野営の準備をするクロル。
そしてそれを眺める俺。手伝えないのが歯がゆい。
そうして、ようやっとクロルが落ち着いた頃には、すっかり日も暮れていた。
「食べる?」
クロルがこちらに差し出したのは、焚き火で焼いたグレイウルフの肉だった。ふむ、気持ちは嬉しいが、ものを食べられるようにみえるだろうか……。
『いや、私はものを食べられない』
「そう」
クロルは、ふうふうと焼けた肉を冷ましながら食べ始め。しばらくして、食べながら話しかけてくる。
「ねえ」
『なんだ?』
「あなたはなに?」
今更な質問だな。
『魔法使いの看板だ。一応、元は人間だったが』
「変なの」
その意見には俺も全面的に同意する。
『こちらも質問して良いかな?』
「ん」
『ここはどこだ?』
「知らない」
即答された。というか知らないのかよ……。
『ならば、クロルはどこから来たのだ?』
「隣の村」
一方を指差すクロル。北の方角かな。東から太陽が昇ると仮定した場合だが。
『ふむ。その村は、どれくらいの所にある?』
「歩いて一日」
『クロルは、どこへ行くのだ?』
村には帰らないのかな?
「……大きな街」
クロルは少し考えた後、そう答えた。なるほど、だから街に運んで欲しいというお願いを、あっさり聞いてくれたわけか。
『街へは何をしに行くのだ?』
「仕事を探す」
ふむふむ、つまりあれか。住む場所もなく、親もいないクロルは、生きるために大きな街で仕事を見つけたいと……。目頭が。
こんなに幼いのに……。これは大人として見過ごしておけない。クロルが独り立ちするまで、面倒をみてやるべきではないだろうか。
看板だからできることは少ないかもしれない。しかし、スキルがあるのだ。守ってやることぐらいはできるはずだ。
よし、決めた。クロルは俺が守る! どうせやることもないしな。
『クロルよ。私もついていって良いか?』
「ん、街まで運ぶ」
『いや、そうではない。旅の仲間に入れて欲しいのだ』
もう街とか関係ない。心配だからクロルを見守りたいのだ。
「……何で?」
『クロルが心配なのだ』
少し考えてから、理由を尋ねたクロルに対して、俺は思いのたけをストレートに答える。
「……」
『私がいれば心強いぞ。なにせ魔法使いだからな』
攻撃力はそれほどでもないが、立ち入り禁止のスキルで守りは万全だぞ。
「わかった。ただ……」
同行を承諾するクロル。ただ、条件があるらしい。その条件は人前ではただの看板のふりをすること。
俺が魔法使いということは、できるだけ、隠して欲しいそうだ。
この世界、魔法使いはとても珍しい存在らしく。ゆえに、魔法使いと知られると、面倒事に巻き込まれることもあるそうで。
そういった面倒事を避けるためにも、魔法使いだということは、できるだけ内緒にして欲しいとのこと。
『了解した。もしもの場合を除いて、看板のふりをすると約束しよう』
条件は理解した。クロルの安全を守るのだ。面倒がふりかかることは避けよう。
「ん。それならいい。ふわぁー」
話がまとまったところで、大きなあくびをするクロル。眠そうである。
『眠いのなら、眠るとよい。私がいれば安全ゆえ』
俺は立ち入り禁止のスキルのことを、魔法だとぼかしてクロルに教える。
「じゃあ寝る」
安全だとわかると、横になるクロル。すぐに寝息を立て始めた。
ふむ、眠るのが随分早い。それだけ疲れていたってことか。さて、それじゃあ俺も寝るとするか。起きていても暇だからな。
立ち入り禁止のスキルは眠っている間も、問題なく発動し続けることは確認済み。スキルを発動すると、俺は意識を手放した。