32、模擬戦と襲撃
旅は何事もなく順調に進み、五日目の朝を迎える。乗合馬車での旅は、思った以上に平穏そのものだった。
日中は進めるだけ進み、日が暮れたら野宿、それの繰り返し。途中で二つほどの村に立ち寄ったりもしたが……。
そのときも、使われていない小屋で一晩明かしただけで、村を散策したりする時間はなく。そうして淡々と日数だけが進み、今日に至る。
といっても、だからといって退屈な旅だったかといえば、そんなこともない。吟遊詩人のロウはいろいろ歌ってくれたし。
初日みたいに、乗り合わせた者たちの間で軽い雑談なんかもあったからだ。まあ、クロルはあんまり会話に加わらなかったけどな。
ただ、それでもレティアやコルト、リリ、エラリヤなんかは、クロルのことをいろいろかわいがってくれて。
それに対して、無表情ながらクロルも、まんざらではなさそうな様子だったし。良い雰囲気の旅になっていた。
そんな風に、旅の間の出来事に思いを馳せつつ、俺は時間を潰す。まだ、ちょっと皆が起きてくるには早い時間だった。
現在、起きているのは三人。明け方の見張りをしていたブランと、毎日早起きしているエラリヤとレイトだけ。
エラリヤは朝食の準備を進めており。レイトはショートソードを持ち、素振りをしている。これは、ここ五日で見慣れた朝の風景であった。
「さて。ブランのおっちゃん。今日も頼む」
「ああ」
素振りをやめたレイトが、焚き火の傍に座っていたブランに声をかけ。それを受けてブランが立ち上がった。
ふむ。あれを今日もやるのか。
俺はブランとレイトの二人を目で追う。二人は野営地から少し離れると、ある程度の距離をとって対峙する。
二人は鞘に入ったままの剣(ブランはロングソード、レイトはショートソード)を持ち、鞘から抜けないように剣と鞘紐で固定すると、それを構えた。
「よし。どこからでも来い」
「いくぜ!」
駆け出すレイト。そのままブランに近づくと、右手に持ったショートソードをブラン目掛けて、突き出した。
そのレイトの突きを、両手に持ったロングソードの腹で、軽く横にいなしながら、ブランは一歩踏み込み、ロングソードを横に振るう。
「おっと!」
後ろに大きく下がり、ブランの攻撃を交わすレイト。
二人は、そのまま流れるような動作で打ち合いを始めた。辺りにかんかんと、小気味良い音が鳴り響き始めた。
一心不乱に攻め込むレイト。それを余裕のある動きで捌いていくブラン。二人の模擬戦は、何度見てもすごい。
ブランはさすがに元王国騎士団、副団長。その剣術は素人目に見ても、洗練されていることがよくわかる。
対してレイトも旅の初日に、模擬戦でコルトを倒しただけあって、その剣術はなかなかに冴え渡っているのが見て取れた。
「またやってるんすね」
「みたいね」
剣戟の音が鳴り出して、すぐに起きてきたコルトとレティアが、体をほぐしながら二人の模擬戦に目を向ける。
「おはようございます。レイトくんは毎朝元気ですね」
「おはよう」
「おはようっす」
遅れてロウも起き上がり、他の面々も、もぞもぞと動き出した。
ブランとレイトの模擬戦が奏でる剣戟の音は、皆の目覚まし代わりになっていたのだ。
「くっそー! やっぱ強いな」
そう叫んだレイトは地面に寝転がっており、その喉元数センチの所にはブランのロングソードが突き出されていた。
剣戟の刹那、ブランが足払いを決め、決着が着いたのだ。
「まあ、さすがに二周りも年下には負けんさ。ほら」
「ありがと」
ブランが差し出した右手にレイトが右手を重ねると、ブランがレイトを引っ張り起こした。
「にしても。やっぱ、軽く遊ばれてる感じがするなぁ。昨日も転ばされたし」
「おまえは少し愚直すぎるからな。それに加えて対人経験の少なさが、実力以上の差を生み出している」
「ふーん。なるほどな」
軽い調子ながらも、ブランの助言に真摯に耳を傾けるレイト。そこへ、タオルを持ったコルトが近づいていく。
「でも。その歳でそれだけできれば十分っすよね」
「まっ。すでに兄ちゃんは越えてるしな」
「あはは。それは言っちゃ駄目っすよ」
コルトからタオルと受け取り、汗を拭くレイト。さすがと言うべきか、ブランはほとんど汗を掻いていない。
「さて。皆さん。朝食ができあがりましたよ」
エラリヤが乗客に朝食を配り始める。今日の朝食は昨日のスープの残りを暖めたものとパン。
ブランたち護衛はそれとは別に、自分たちで朝食を用意する。
そうして、朝食を済ませると今日も旅が始まった。
ごとごとと揺れながら、ほろ馬車は街道を進み続ける。すぐ左脇には森が広がっているが、静かなもので平和そのもの。
今日も何事もなく進みそうだ。と、そう思っていたのだが……。一時間ほどしたとき、なぜかほろ馬車の速度が緩み、そのまま停車した。
「どうしたコルト?」
御者台で見張りをしていたコルトが、顔だけをほろ馬車の中に出すと、すかさずブランが尋ねる。
「ブランさん。待ち伏せされているかもしれないっす」
「本当か?」
「ええ。おそらくは」
「どこだ?」
待ち伏せ? 慌てて馬車の外に視線を移し確認する俺。同じようにブランも御者台へと出て確認している。
「七十メートルほど先っす。さっきちらっと人影が見えたんですけど、森に隠れるように引っ込んだんすよ」
七十メートル先……。特に何も見えないが、もしこっちを見て。隠れるように引っ込んだんなら、それは怪しいな。
「それは確かに変だな。エラリヤさん中へ。レティア、確認しに行くぞ」
「わかったわ」
「コルト。俺たちの後に続いて馬車を動かせ。ただし、俺たちから十メートルは距離をとってだ」
「なあなあ。もしかして盗賊か? それなら俺も戦うぜ」
「こら。レイト何言ってるの!」
慌しくブランが指示を出し始めると、話を聞いていたレイトが口を挟み。すかさずリリがそれを諌める。
「レイト。護衛は俺たちだ。俺たちでやる。大人しくしていろ。他の者も、馬車からは決して出ないように」
「ええ。いいじゃんか。俺にも手伝わせてくれよ。ほら。俺が戦えるってことは、ブランのおっちゃんだって知ってるだろ?」
「そういう問題では――」
「ブランさん。言ってる場合じゃなくなったみたいよ」
「ちっ」
レイトを諌めようとするブランだったが、レティアの言葉に舌打ちした。
だが、レティアの言う通り、言っている場合ではなさそうだ。馬車の前方から、街道沿いに八人の男たちが現れたのだ。
男たちは皆武器を携えており、物々しい雰囲気である。これは、間違いなく害意を持っている、盗賊ってやつだろう。
「コルト、おまえとレイトで馬車を守れ。レイト、おまえも戦力に数えてやる。ただし、コルトの指示には絶対に従え!」
「了解。そうこなくっちゃな!」
「了解っす」
状況の変化に、レイトに言い聞かせる時間はないとブランは判断したようだ。レイトの参戦を許可した。
ほろ馬車を降りるブランとレティア、後にはコルトとレイトが続く。盗賊もゆっくりとこっちに近づいてきていた。
念のため俺も魔法と立ち入り禁止のスキルを準備しておこう。
ほろ馬車から降りたブランとレティアは、ほろ馬車の前方。ほろ馬車を引く四頭のクーニュの前に並び立つ。
そして、ブランは背中の鞘からロングソードを引き抜き。レティアは背中に背負っていた槍を両手に持ち、構える。
「さて。レイトくんは、馬車から離れちゃ駄目っすからね」
「わかった」
コルトがクーニュの手綱引っ張り、ほろ馬車の近くに避難させながら、ショートソードを構えるレイトに釘を刺す。
同時に、ほろ馬車から二十メートル離れた場所で立ち止まった盗賊たち、そのうちの一人、一番前の男が叫ぶ。
「俺たちは見ての通り盗賊だ! だが、無駄な争いは好まねえ! 持っているものを出せ! そうすりゃあ、命だけは助けてやる!」
「と、盗賊なんて。大丈夫なんでしょうか……」
盗賊の威嚇するような言葉に、ほろ馬車の中でネルバが弱弱しい声をもらし。他の面々も不安そうに……。
いや、あまり不安そうではないな。クロルはいつも通りだし、ロウも慣れているのか、サーベルに手を添えながらも、表情は平然としていた。
「大丈夫ですよ。ブランさんたちが、なんとかしてくれます」
そうネルバを慰めたエラリヤさんも、歳相応の落ち着きのある様子で。残るリリも、少し固い表情をしているだけだ。
命を狙われているのに、皆思いのほか冷静であった。
「ふん! 悪いがおまえたちにくれてやる物はない! だが、争いを望まないのはこちらも同じだ! 大人しく逃げ出すなら見逃してやるぞ!」
盗賊に負けないくらいの大声で、盗賊を挑発するようなことを言ったブラン。当然、それで黙って引き下がる盗賊ではなく……。
「どうやら交渉は決裂のようだな! だったら、俺たちの流儀でやらせてもらう! 殺っちまえ!」
そんな言葉と共に走り出す男たち、盗賊が襲いかかってきた。