21、レッドベア
「不味い!」
レッドベアの突進に気が付いたシルスは、クロルの腕を掴み、逃げるため走り出そうとする。
しかし、クロルが動こうとしなかったので失敗した。
立ち入り禁止のスキルがあることを知っているクロルは、堂々とした態度で、不動の姿勢であった。
「ちょっと!」
「大丈夫」
シルスが焦って声をかけるが。クロルは動じず、迫るレッドベアを無表情に見つめている。
巨体で迫るレッドベアの迫力に、安全だとはわかっていても、若干腰が引けている俺とは違い。本当に堂々としている。
「ああ。もう!」
シルスが、やけくそ気味に叫び。弓に矢を番えると、猛然と迫るレッドベアに向け、矢を放つ。
その矢は寸分違わずレッドベアの顔に迫る。
が、なんとレッドベアは器用にも、首を捻り、矢を口でキャッチ。顎の力で矢をへし折った。
「クロルちゃん!」
叫ぶシルス。もうすぐそこまで迫っているレッドベア。せめてもの抵抗か、シルスはクロルを守るように背に庇った。
そこへ勢いよく突っ込んでくるレッドベア。大きく口を開け、牙を剥き出しにして、シルスに襲いかかろうとするが。
当然、そんなことを俺が許すはずもない。レッドベアは立ち入り禁止のスキルの壁に阻まれた。
「ガァァ!」
突然壁にぶつかり、苦悶の雄叫びをあげるレッドベア。かなりの勢いがあっただけに、相当痛かっただろう。
「え! 嘘! 何が起こったの?」
目の前で突然何かにぶつかったように、大きく仰け反ったレッドベアの姿に、驚きを隠せないシルス。
そんなシルスを尻目に、俺はレッドベアを観察する。
レッドベアは見えない壁を認識したようで。後ろ足で立ち上がると、壁に体重を預けるように寄りかかる。
ふむ、やっぱりシルスはレッドベアと戦っていたようだ。レッドベアの体には、ところどころ矢が突き刺さっていた。
「ほんとに何? ここに壁があるの?」
未だ混乱しているようだが、それでも状況を理解しつつあるシルス。そんな中、レッドベアに動きが……。
苛立たしげに軽く壁を叩き始めたレッドベア。しかし、そんなことをしても壁が消えることはない。
すると、業を煮やしたのか。レッドベアは大きく右腕を振り上げると。立ち入り禁止の壁へと勢いよく振り下ろす!
「ガァァァァ!」
大きく悲鳴をあげ、後ずさるレッドベア。おそらく先ほどの一撃には、渾身の力が込められていたのだろう。
レッドベアの右腕は、爪が砕け。見るも無残な有様だった。
ふふふ。自滅してくれるとは。残念だったなレッドベア、立ち入り禁止の壁は、力でどうこうできるものではないのだよ。
と、内心でレッドベアの行動を嘲笑っていると、クロルが俺の体(支柱の部分)をぽんぽんと叩く。
どうしたクロル? クロルのほうに視線を移すと。クロルは右手に持った二つの小石を掲げて見せていた。
おっと、そうだな。悠長に見ている場合ではなかった。反撃しないと……。
俺は意図を理解したとクロルに伝えるため。土属性魔法を発動。クロルが着ているローブの左ポケットの小石を動かす。
すると、合図を受けたクロルが頷き、腕を振りかぶると小石を投げた。俺は土属性魔法を使い、クロルが手放した小石を操る。
「ガァ」
勢いよく飛ばした二つの小石は、レッドベアの顔と肩に命中する。が、あんまり効いているようには見えない。
「こっちからは攻撃できるのね!」
さっきまでシルスは、目の前で起こった出来事に唖然としていたが、状況が状況なだけに、疑問は呑み込んだ様子。
「ん」
クロルが頷き返したときには、すでにシルスは矢を放っていた。その矢は見事レッドベアの肩に命中する。
「ガァ!」
叫び声をあげるレッドベア。そんなレッドベアに、クロルと俺は小石を、シルスは矢を浴びせにかかった。
「グアァ」
弱弱しい悲鳴をあげるレッドベア。右腕は使えなくなり、矢傷もかなり受け。さらに立ち入り禁止の壁。
さすがに分が悪いとレッドベアも悟ったようで、踵を返すと逃げ出した。
「はぁー」
安堵のため息をもらし、構えていた弓を下ろすシルス。それに続いて、クロルと俺も攻撃をやめた。
「大丈夫?」
クロルがシルスを気遣う。
「ええ。大丈夫よ」
そう答えるシルスだが、左わき腹の傷が痛むようで、左手で押さえている。
「とにかく、移動しないと。血の臭いに他の魔物が寄ってくるわ」
「ん」
歩き出すシルスに気遣わしげな眼差しを向けながら、クロルも後に続く。それからしばらくして……。
「さっきは助かったわ」
「ん」
先ほどの場所から十分に離れた場所で、傷の手当を始めるシルス。シャツを捲り、脇腹をさらけ出す。
うわー……。思ったよりもざっくりやられている。シルスの左わき腹には、痛々しげな三本の傷があった。
「っ!」
シルスは傷口を水で洗い流し、その上から包帯を巻きつけていく。
「これでよし」
応急処置を終えたシルス。
「怪我、大丈夫?」
「ええ。なんとかね」
クロルに向けて笑顔を浮かべてみせるシルスだったが、そこで何かを思い出したかのように続ける。
「そういえば、さっきのあれ。クロルちゃんがやったのよね? あの見えない壁。あれ、何だったの?」
「えっと……」
まあ、当然気になるよな。さて、どうしたものか。
「……」
返答に困った様子のクロル。じっと俺のほうを見つめてくる。うーむ、ここは俺の存在を明かすしかないだろう。
そう結論を出した俺は、文字を表示する。
『クロルよ。私から話そう。シルスに文字が見えるようにしてくれるか』
「……わかった。シルス、見て」
少し逡巡したのち、頷いたクロル。俺を持ち直し、文字が表示される部分がシルスにも見えるようにする。
『初めまして。シルスよ。私は魔法使いのケイだ。さっきの壁は私の魔法で生み出したものだ』
「ええっ! え? 何これ? 看板に文字が浮かんで……。しゃべってる?」
大変に驚いた様子のシルス。
まあ、当然そういう反応になるよね。クロルはまったく驚かなかったけど。やっぱり俺は、珍しい存在のようだ。
『まあ。驚くのも無理はないが、そういうことだ』
「ええっと……」
難しい表情をするシルス。
うーむ。悩むのも無理はないが、これ以上説明のしようもないし、時間をかけて呑み込んで欲しい。
とまあ、シルスの頭の整理がつくまで、ゆっくりと待とうと考えていたが。そんな思惑を、クロルがぶった切る。
「村に、帰ろう」
「え? いや……。薬草を手に入れないといけないから……」
突然の話題転換に驚きつつも。クロルの言葉に難色を示したシルス。
「でも、怪我」
クロルの目線がシルスの左わき腹に注がれる。
「これくらい大丈夫よ。ほら!」
シルスは実際に体を動かして、アピールする。
しかし、それを見たクロルは悩ましげな様子だ。まあ、クロルの心配も大変に理解できる。
見た感じ。確かにシルスは元気そうだが、傷は深かった。無理している可能性は十分にある。
「本当に大丈夫だから。ね。それに薬草探さないと村が大変だから――」
「なら、私が探す。だから、一度、帰る」
シルスの言葉を途中で遮ったクロル。どうやら、怪我をしたシルスのことをかなり心配しているようだ。
「でも。今から帰っても、村に着く前に日が暮れるよ。それなら……」
シルスは語る。今から帰ったところで、村に着く前に夜になり、どうせ山で野宿することになる。
それならば、今日のうちにもう少し山を登り。明日、薬草を採取したのち、その足で村に帰っても大して変わらないと。
「ね! お願い。クロルちゃん!」
「……」
「無理はしないから! お願い!」
「……わかった」
結局、半ば、押し切られたかたちで、薬草探しを続行することに。
「じゃあ。行こう!」
シルスの先導で山を登り始める俺たち。立ち入り禁止のスキルがあることを知ったシルスは、魔物を気にせずどんどん進む。
その足取りは、怪我をしているというのに、随分と確かなものだった。
どうやら、怪我の具合は本当に大丈夫だったらしい。そうして、日が暮れる寸前まで山を登り……。
「この辺りまで登れば、明日すぐに見つけられると思う」
「はぁ、はぁ、はぁ」
疲れた様子を見せないシルスとは対照的に、息を切らすクロル。
「だから、今日はここで野宿にしましょう」
てきぱきと、野宿の準備を整える二人。軽めの夕食を済ませると、明日に備えてさっさと床に就くことに……。
シルスには立ち入り禁止のスキルの詳細を、魔法だとぼかして伝えたので。見張りは立てずに眠ることになった。
焚火から少し離れた所。大きな木を背に、一緒に毛布にくるまる二人。クロルはすぐに寝息を立て始めた。