2、転生先は
どこだここ? 意識を取り戻した俺が最初に思ったことはそれだった。前方には森が、背後には廃村が広がっている。
うん? なぜ俺の視界は三百六十度すべてが見えるのだ? 不思議なことに、俺は全方位すべてが見渡せた。
それにどうも、視点の高さが高過ぎる気が。体もまったく動かせないし。どうなってる? 赤ん坊に転生したはずだが……。
嫌な予感がした。恐る恐る自身の体を見下ろす。えっ? 何これ! そこに俺の体は存在しなかった。
唯一そこにあるものは、ひとつの看板。長さ百二十センチ程度の円形の支柱に、四角い板が取り付けられた簡素なもの。
板の部分には『リツテニ村』と書かれている。どういうことだ! なぜ俺の体がないのだ!
思いのたけを声に出そうとした俺だったが、声も出せないことに気付く。当然か。だって体自体がないのだから。
ただ視点だけがそこに存在するのみ。今の俺はそんな状態なのだ。あれだな。転生になにか不具合でもあったのだろう。
失敗したわけだな。ふーむ、なるほど、なるほど……。てっ、どうするのこれ? まさかこのまま?
ちょっと、やばくない! 俺が焦り始めたとき。声が響く。
「あっ、あー。聞こていますかー?」
この声は! 俺を転生させたお兄さん!
(聞こえます。聞こえています!)
声は出せないが、頭の中で強く言葉を念じる。これで通じるかな?
「あっ、聞こえているみたいですね。では。無事に転生できたようなので、説明を始めさせていただきます」
(いやいや、待て待て。全然無事ではない。転生は失敗ですよ。だって、俺の体がどこにもないのですから!)
明らかにこちらの状況をわかっていなさそうなお兄さんの態度に、危機感を覚えた俺は、慌てて現状を伝える。
「いえ、そんなはずはありません。こちらで確認する限りでは、慧様、あなたは望んだ体に無事転生できております」
(いやいや、だからどこに俺の体があるんですか?)
辺りを見渡すが、そんなものはどこにも存在しない。明らかにミスだろう。
「いや、ですから慧様の強いご要望通り、看板に転生できているはずですが……」
(え?)
看板に転生? どういうことだ? 言ってる意味がわからないぞ。
(えっと、看板に転生って何ですか?)
「はい?」
お兄さんから困惑した声が返ってくる。困惑したいのはこっちなのだが……。
「えっと、看板への転生を望まれましたよね」
(いやいや、そんなわけないじゃないですか)
「……」
無言になるお兄さん。
「しょ、少々お待ちください!」
お兄さんの慌てた声の後に、保留音が流れてくる。あっ、そんな電話みたいな感じなんだ。いや、そんなことを言っている場合ではない。
いったいどうなっている? 手違いがあったのは確かだろうが。
現状、俺はなぜか看板に転生しているらしい。つまり、この看板こそが俺の体というわけか。このT字型をした簡素な看板が……。
いや、どうしてこうなった! 俺が心の中で叫ぶと同時に、流れていた保留音が止まる。
「慧様。聞こえておりますでしょうか?」
おお、この声は最初に転生の手続きをしていたお姉さん。
(はい。聞こえております)
今度はお姉さんが対応してくれるようだ。
「では。確認いたします。慧様は転生の特典の一つにて、看板への転生を望まれましたね?」
(いえ、そんなことは望んでおりません)
だから、そんなはずはないというのに。そもそも看板に転生を望むなんて、いったいどんな考えの持ち主だよ。
「えっと、私の記憶によると慧様は間違いなく看板への転生を望まれました。情熱的に大きな声で叫ばれましたよね?」
しつこい。そんなことを俺が望むはずが……。いや待て。なんか思い出したぞ。
思い出したくもなかったが、思い出してきたぞ。そう言われれば確かに叫んだ。転生の手続きの途中で、死に様を思い出したとき。
確かに叫んだ。そう、「看板になりたかったんだ!」と……。
まさか、あの叫びが願いの一つにカウントされたのではあるまいな! いやいやまさかそんな。
なんてこった! とんだ手違いが発生しているぞ。えっ、それで俺は看板に転生しちゃったってことなの?
いやいや、ありえなくない。まさかの手違いだよ! というか、お姉さんも確認ぐらいしてくれよ。
看板に転生って、違和感を覚えなかったのか? どうすんだよ! いや、ともかく行き違いがあったことを説明せねば。
(あのですね。えっと。思い出しました。確かに看板になりたいと叫びました)
「思い出していただけましたか」
(ただですね。それはなんというか、思わず出た言葉で。前世の未練が思わず口をついて出てしまったというか……。手違いなんです)
そもそも、正しくは看板ではなく看板役者になりたいという願いのわけで。
(別に看板になりたかったわけではなくてですね)
「えっ! そうだったのですか?」
お姉さんは心底驚いた様子。
(いや、普通看板になりたいなんてありえないでしょ)
思わずツッコミを入れてしまう。
「いえ。確かに変だなぁー、とは思いましたが。以前、剣になりたいと望んだ人がおりましたので、その類かと思ってしまい」
ふーん、そんな人もいるんだね。でも俺は看板になんかなりたくなかった。
(とにかく! 手違いなので転生をやり直して欲しいのですが)
まあ、誰にだって間違いはある。ゆえ、責めはしない。つい叫んでしまった俺にも一割ぐらい責任がないこともないし。
やり直してもらいさえすれば、もう何も言わない。
「申し訳ありません。それは無理なのです。一度転生した以上、やり直すことはできません」
はい? そんな殺生な。
(いやいや、そちらのミスでしょうに。それはないでしょう)
「申し訳ありません。そう言われましても、どうすることも……。あっ、すみません。時間が……、失礼します」
逃げるかのように、話を切り上げようとするお姉さん。
(ちょ、ちょっと待ってください!)
「えっと。本当に申し訳ありません。どうやら先輩が早とちりしたみたいですね」
慌てて引きとめようとしたが、次に返ってきたのはお姉さんの声ではなく、お兄さんの声だった。逃げやがった……。
(ええ、早とちり。手違いがあったみたいです。だからやり直しを要求します。今度はちゃんと人間に転生させてください)
「残念ながらそれはできません」
(ええっ、そんな! じゃあ、本当にこのままなのですか?)
「はい。それと本当に時間がありません。本来は慧様に付加した能力について説明するはずだったのですが……」
ああ、そうだったんだ。でも正直、能力の説明とかどうでもいいから。マジでやり直しを。
「とりあえず! 本当に必要なことだけお伝えしますので。心して聞いてください」
(そんなこといいから、やり――)
「説明を始めますね!」
(いや、やり直しを要求します!)
「慧様に付加した能力は……。ああ駄目だ、時間が。ステータスを見られるようにしたので、そちらで確認してください!」
慌てた様子のお兄さん、俺の言葉に取り合わず、強引に説明を始める。
「あとは魔力についてですが、魔法を使っただけ増えます。さらに、あなただけが魔物を倒――」
早口で捲くし立てるお兄さんだったが、結局最後まで言い切ることができず。尻切れトンボに終わる。
(え? お兄さん? お兄さーん! ちょっと! ええー!)
能力の説明すら、ちゃんとできてないじゃないか! いや、それよりも。
(ほんとに看板のままなのぉぉー!)
俺の心の叫びに答える者は誰もいなかった。