1、はじまり
「はぁー」
ベッドに寝転がり天井を眺めながら、俺はため息をつく。今回もオーディションに受からなかったか。
今度こそはと、思ったのだけどなー。
「そろそろ現実をみないといけないのかも」
役者になる、という夢を諦めたくはない。しかし、三十にもなるといろいろ考えてしまう。
役者としての収入はほとんどない。アルバイトでなんとかやりくりする生活。当然、貯金もない。このままじゃ不味いよなー。
いつかは、有名になってドラマとかにも出演する。夢だけはでっかく。頑張ってきたが……。いっこうに芽が出る気配はない。
いい加減、辞め時かもしれない。俺が所属する小さな劇団にも、最近夢を諦めた奴がいたことを思い出す。
俺よりもかなり年下だったが、将来のことを考えたのか。役者としての才能がなかったと、きっぱりと辞めていったのは記憶に新しい。
奴に比べれば、俺は随分と未練がましい。好きでやっているからと、自分や家族にずっと言い聞かせてきたが。
惰性だったかも。アルバイトをしながら、小さな劇団で稽古。そして目ぼしいオーディションを受ける。そんな生活を続けているだけ。
なまじ、両親が甘い性格で、俺の夢を応援してくれているゆえに、ずるずると未練がましく夢を追い続けている。
来年こそは、来年こそは……。そう自分に言い聞かせ、もう三十歳だ。かといって、未だに踏ん切りがつかない。
「コンビニにでも行くか……」
気分を変えよう。悪い癖だとわかってはいたが、考え事を放り投げることに。手早く、出かける準備をして家を出た。
「うう、寒いな」
冷たい外気にさらされ身震いする。すでに冬の始まりの季節、厚手のコートを羽織っていても、外は肌寒かった。
近くのコンビニに向かい歩き出す。ちらほらと、人とすれ違いながら、とある交差点までやってくると、赤信号に止められた。
「はぁー。はぁー」
冷たくなった手に息を吹きかけながら信号が変わるのを待つ。そんな俺の横を女子高生が通り過ぎて行く。
おいおい何をしてるんだ!
信号は赤だというのに、女子高生は歩みを止めることなく交差点に進入して行く。やばい!
右側から女子高生めがけて、一台のトラックが迫る。
「ピィイイ!」
けたたましいクラクションの音が辺りに響きわたる。同時に、俺は弾かれたように飛び出した。
無我夢中で女子高生に駆け寄る。
そして女子高生の腕を掴み、そのまま後ろに突き飛ばす。よし! これで後は俺が戻るだけ……。
俺の視界いっぱいに、トラックの車体が映った。運転席には、めいっぱい目を見開き、驚愕した表情のおじさんが。
瞬間、俺の体にものすごい衝撃! 一瞬で意識が飛んだ。
次に気が付いたときには、俺は空を見上げていた。うっ! 激しい痛みが全身を襲う。視界には覗き込む人々の顔、どんどん増える。
皆口々に何事か言っているようだが、うまく聞き取れない。その中には俺が突き飛ばした女子高生の姿も。
女子高生は無事だったようだ。良かった、ちゃんと助けられて……。徐々に体の痛みを感じなくなっていく。
ああ、俺も捨てたものじゃない。けっこう、駄目なほうだったけど。最後に善い行いができた。これなら……。
……てっ、いや待て! 何を満足しているのだ。俺はまだ生きたい……。やりたいことだっていっぱいある!
しかし、思いとは裏腹に、意識が朦朧としていく。視界が暗くなり、周りの音が聞こえなくなる。
同時に、思い起こされる様々な出来事。なんだよこれ、走馬灯ってやつか? ちょっと待てよ……。
本格的に不味い状況じゃないか。そう思うも、どうすることもできない。体の感覚はなく、浮遊感に包まれる。
脳裏に蘇り続ける記憶。覚えのあるものから、忘れてしまったものまで様々だ。それは幸せなものばかりで……。
夢のように気持ちが良い。ああ、そういえば俺が役者になろうと思ったきっかけは、これだったか。
最後に蘇った記憶。それは俺が役者になりたいと、最初に思ったきっかけ。幼い頃に、有名な劇団の公演を見に行った思い出だ。
舞台の上で動く華やかな役者たち。中でも劇団の顔として、劇団を引っ張っていく役者の姿が、すごく格好良かったのを覚えている。
そんな姿に幼い俺は憧れの感情を抱いたのだ。あんな風になりたいと思ったのだ。ああ……。そうだ、そうだった!
この幼い頃の淡い憧れの感情だけが忘れられず。役者の道に進んだのだ。そう、俺は劇団の……。
「看板になりたかったんだ!」
自分の死に様を思い出して、俺は思わず大きな声で叫んでしまう。
「ええっと……」
目の前、カウンター越しに座るお姉さんが驚いた顔をしていた。
おおっと、やってしまった。ついつい、死に様を思い出し。しかも感情が昂ぶって叫んでしまうなんて。
「すみません」
体を縮こまらせる俺。は、恥ずかしい。
「大丈夫です。少し驚いただけですので」
にっこりと笑みを浮かべるお姉さん。現在、俺は転生センターという所で、来世についての説明を受けている最中。
丁度、三つの特典について考えていたところだった。
俺は記憶を持ったまま、異世界に転生できるらしいのだ。それも、俺の望みを三つ叶えてくれるという特典つきで。
ただ、願い事がなかなか思いつかず。悩んでいたら、死に様を思い出してしまっていた。
いけない、いけない。ちゃんと考えなければ。
「先輩、呼んでます」
俺が考え込んでいると、気弱そうなお兄さんが突然現れて、お姉さんに声をかけた。
「またですか?」
「はい」
何やらトラブルの予感。慌てた様子で俺の相手をしてくれていたお姉さんが消える。
「すみません。代わりに私が対応いたします。二つの特典、すでにお決まりですか?」
あれ? 三つじゃないのか? さっきのお姉さんは三つと言っていたのに。うーん。なぜか一つ減ってしまった……。
まあ、でも別に構わないか。なかなか願い事が思いつかなかったぐらいだし。一つ減っても、気にしないことにしよう。
「えっと、もう少し考えさせてください」
「どうぞ。じっくりとお考えください」
それにしても、どうしたものか。やっぱり俺の望みといえば、役者になることだが。それはやっぱり、自分の力で叶えたいしな。
まあ、来世はファンタジーの世界らしいから、そもそも役者という職業があるかが、問題だけどな。
ふーむ。ファンタジーな世界か……。そういえば、危険があると説明された。となると、身を守る術は絶対に必要か。
「決まりました。今度こそ早死にしたくないので、身を守る術が欲しいです」
「かしこまりました。では体を頑丈にして、さらに身を守るためのスキルを授けましょう」
ふむ。頑丈な体と身を守るスキルね。これで二つか。良いんじゃないかな。
「では、特典はあと一つです」
うん? さっきのは二つに数えられないのか。まあ、もう一つもらえるならもらっておこう。
でも、そうだな。何が良いかなー。
うーん、ファンタジーな世界だし、魔法とか使えると便利かな。うん。良いんじゃないか。
よし! それでいこう。
「じゃあ、魔法が使いたいです」
「魔法ですか? うーん、できれば具体的に。どのようなものがお望みですか?」
そう言われると、魔法ってだけじゃざっくりし過ぎか。
「えっと、そうですね。自在に炎を操ったり、風をおこしたり、あるいは土とか砂、石を操ったりとか、そんな感じですかねー」
魔法って言えば、こんな感じだろう。
「なるほど、わかりました。少々お待ちください」
カタカタとキーボードを操作するお兄さん。その傍ら思う。それにしても、あっけない人生だった。
親にも迷惑ばっかりかけて……。来世はもっと考えて生きないと。
「準備ができました。覚悟はよろしいでしょうか?」
「あの。図々しいお願いかもしれないですが、できれば争いごとの少ない場所に転生したいのですが」
できれば平和そうな田舎の村が良い。そこから、ゆっくりと頑張ろう。
「構いませんよ」
「ありがとうございます。いつでも大丈夫です」
赤ん坊からスタートか。前世の教訓を生かして頑張らないとな。今度こそ、他人に誇れる人生を送るのだ。
「では、良い来世を」
お兄さんの言葉を最後に、俺の意識は途切れた。