第55話 暗躍の形
10年前。
「キャッ!?」
庭で遊んでいた少女を迎えに来たメイドが、悲鳴を上げて尻餅をついて転ぶ。
「メル!? どうしたの!?」
少女が戻ると、メルと呼ばれたメイドが動揺を隠すように微笑んだ。
「いえ、なんでもありません。……そこの虫が顔の前を横切ったのでびっくりしただけですよ」
「なぁんだ、そうなの」
「申し訳ございません。
さぁ、お食事の時間です。戻りましょう」
「うん! ……でも、その前に」
「なにをしてるのですか?」
「えへへへ。私のとっておきの魔法だよ」
少女は力を見せた。
メイドは驚愕し、すぐにそのことを少女の両親、エルリエール夫妻へと報告する。
そして…………ティオニアが慕っていたこのメイドが屋敷で働くのは、この日が最後となった。
◇ ◇ ◇
校舎裏の敷地。
大した広さもないそこは、喧騒につつまれた学校内の中でも静寂を保っていた。
ティオは、いつか自分が座っていた椅子を見て胸が詰まった。
(ここで、彼女たちと共に居眠りをしたわね。
……つい最近の出来事のような、遠い昔のような)
ティオは懐かしさを覚えて目を細めた。
「なにかあったのですか? そちらで」
ティオの様子を見ていた男は、微笑を浮かべて穏やかな口調で聞いた。
「別に。大したことではないわ」
「そうですか?」
「ええ」
ティオは目を閉じて、一息してから目を開けた。
「それで、いつまでこんなところにいるつもり?
もう一時間近くは経っていると思うけれど」
「疲れましたか? ですから座っていただいて結構だと申し上げたではないですか」
「いつまでここにいるの?」
「……もしかして、実は乗り気だったりするのでしょうか?
確かに待遇は悪くないと思いますよ。貴女がきっちりと、仕事をこなすのであれば」
意外そうな顔をする男に、ティオは鼻で笑う。
「私に選ぶ権利はない。そうでしょう?」
「そうですねぇ。貴女の行動は、俺に対しては何の影響も与えないでしょう。
たったひとつの例外事項を除いては」
「…………」
「まぁ、それすらも、ご依頼主様から概要は聞いておりますから。
正体のわかっている事柄であれば、いくらでも対処は…………っと、ようやくお出ましのようですね」
「随分と待たせてくれだけど、一体なにを…………」
ティオは男の目線を追うと、息が詰まった。
銀髪の、美しくもかわいらしい外見。
普段はゆったりとした流れの中にでもいるような、ふわふわとした綿菓子のような生徒が、ティオたちのいる方へ向かって疾走していた。
「ティオニア様!!」
生徒――レイフィードの呼び掛けにティオが棒立ちしていると、レイとの間に入るように男が立ちふさがった。
男と間合いを開けて、レイは立ち止まる。
ティオは両手を胸に当てて、ぎゅっと握っていた。
「………………貴女……どうして……?」
「私は、まだ依頼を終えていないですから」
男を気にしながら、レイは小さく頭を下げる。
「ティオニア様、これまで騙していて申し訳ありませんでした。
私は、カーマインなる貴族ではありません。ハンターです。貴女の護衛のため、身分を偽りこの上級学校に入校しました」
「…………わかってるわ。お父様の依頼だったということは。
でもそれは、もういいの。終わっているの。だから、貴女は……」
「終わっていません」
言い切るレイに、ティオは困惑する。
レイは照れるように笑った。
「だって私、まだギルドに依頼の完了報告してませんから」
「え?」
レイの言い分に、ティオは首をかしげた。
「ギルドに報告をしていないのですから、私とミリルはまだ、ティオニア様を護衛する義務があります。
ティオニア様もギルドに対して、何かしらのはたらきかけをしたわけではないでしょう?」
「そ、そんなの……」
続く言葉が出てこなくて、ティオは沈黙する。
レイは、ティオに強く拒絶されなかったことに安堵して、目の前にいる男を見据えた。
「では…………そこをどいてもらえますか、先生」
底冷えのするようなレイの声に、男――上級学校の教師であるアーノルドは、平然とした口調で答えた。
「おお、怖い…………と、言いたいところだが、その顔で凄まれてもなぁ。
俺には微笑ましさしか感じられないぞ?」
「う、うるさいです! 顔のことは放っておいてください!!
そんなことより、ティオニア様から離れなさい!!」
「それはできかねる。俺にも事情ってものがあるからな。
彼女は、大事な大事な取引道具だ」
「……取引?」
「そう、取引。俺の本業さ。
これから俺は彼女を、この王国の暗部に引き渡さなくてはならない」
「暗部? ティオニア様を? なぜですか!?」
「さぁて、なぜだろうねぇ。伯爵令嬢とはいえ、跡取りでもない娘を暗部が得ても、使い道はない。
しかし彼女には、特別な何かがある。暗部はそれを欲している。ただそれだけの話さ」
「何かって……」
レイがティオに目を向けると、ティオの瞳は揺らいだ。
レイは気になったが、一旦頭の隅に置いておくこととした。
「先生も暗部の一員なのですか?」
「俺は違うねぇ。しがない地下組織のメンバーさ。
そして、向こうにいる彼らとは無関係だし目的も違う」
アーノルドは演習場を親指で差す。
「アレはあくまで有力貴族が独自で作り上げた、有志による暗部といったところだ。
俺の取引先は、歴とした王国直属、つまりは王様直轄の暗部だよ。
詳細は省くが、王国内では内輪揉めをしていていね。
反王族派の方々は、中流以下の貴族の力ですら欲している状態なんだよ。時間の余裕もないから、手っ取り早く子どもを人質にするという浅慮極まる手段を取るほどにね」
「……それでは、もしかしてあのトロルは?」
「そう、俺が召喚した。ティオニア様が約束を守って、ここに来てくれたからね。俺からのささやかな礼と、奴らへの妨害というわけさ」
レイは、ティオの部屋にあった手紙の差出人はアーノルドであったのだと確信する。
「反王族派の暗部は、生徒の誘拐が目的であるなら、ティオニア様も……」
「当然、奴らにとっては彼女も目的の一部だっただろうね。
だがこちらは違う。こちらの目的は彼女だけだ。
……向こうの連中は、上級学校の生徒を捕らえるだけだとなめてかかって、こちら側に行動は筒抜け。さらには朝っぱらからの作戦ときたものだ。
阿呆な連中には、せいぜい派手に踊ってもらって、こちらの動きの隠れ蓑にさせてもらうさ」
「…………」
「さて、Bランクハンターのレイフィード。君の受けた依頼はすでに完了している。
心配する必要はない。君たちは、ギルドから正式な手続きで正規に依頼の報酬、貢献度を得られる」
「そちらが依頼主を脅して、ですか」
「脅すまでもないだろうがな。こちらの意に沿わないのであれば、いくらでもやりようはあるさ。
……ざっと簡単に説明すれば、そういった状況でね。レイフィード、ここでのお前の出番はもう終わっているんだ。
早く戻って、妹や生徒たちを助けてやった方がいいんじゃないか?」
ニヤニヤと笑みを浮かべるアーノルド。
レイは、剣を握る手に力を込めて、アーノルドを睨みつけた。
「もう一度だけ言います。
ティオニア様から離れてもらえますか、先生」
「無理だな」
アーノルドが殺気を込めてレイの目を見据える。
レイは、その圧倒的な怖気の走るような殺気に反射的に震えが生じる。しかし、レイは震えを押し殺し、大きく息を吐いて、剣を構えた。
「……くくく、くははははっはははは!!!
俺の殺気を受けて、逃げ出さないどころか戦う意志を見せるとはな!!
大したものだ!!! 待った甲斐があったというものよ!!!!」
「それはよかったですね。
先生には私も少なからず、お世話になっています。
できれば殺さずに済むよう配慮いたしますね」
「はっ!! 悪くない啖呵だ!!!
……ではまず、小手調べと行こうか」
アーノルドが詠唱を開始する。
魔法が不得意のレイでも感じられる、荒れ狂うような魔力をアーノルドは正確に制御していた。
「待つ義理はありませんね!!」
レイは地を蹴り、詠唱中のアーノルドに接近する。
素早く剣を振り下ろすが、アーノルドは軽快な身のこなしで横に避け、レイの右肩に手を伸ばした。
その瞬間ぞわり、とレイの身に悪寒が走る。
レイは慌てて大きく飛んで、アーノルドから距離を置いた。
(関節技? それとも折られそうになった!? どちらにせよ、近づきすぎるのは危険ですね……)
レイが不用意に飛び込むのを躊躇すると、アーノルドは前方に手をかざした。
「我が呼び声に応え…………顕現せよ!!」
突如、アーノルドがかざした手の前の空間が捻れ、次の瞬間には魔物が召喚されていた。
大剣と楯を持ったトロル。
上級学校で行なったダンジョン演習での、最後の部屋にいた魔物と同型のものであった。
「俺も変り種のトロル、というのは今まで召喚したことがなかった。
無事に召喚できたようで安堵しているよ」
言葉とは裏腹に、アーノルドは余裕の表情であった。
レイは剣を構えたまま即座に集中し詠唱を終え、力を解き放つ。
「アンリミテッド・パーミッション!」
レイの魔法に反応して、一瞬レイの剣が輝く。
レイはトロルを見据えて踏み込むと、トロルもレイへと向かってきた。
互いに剣を振るった結果、
「グガアアアァァアァ!!!!」
レイはトロルの剣を粉々に打ち砕き、その勢いのままトロルの身体を両断した。




