第46話 ブロウクン・ハート
上級学校の休日。
早朝の開いたばかりの冒険者ギルドに、レイフィード、ミリル、ティオニアの3人がいた。
「ふぅん。この時間だと、とても静かなのね」
ティオはいつもと様子の違うギルド内に目を向ける。
早朝、ギルド内にいる人は少ない。
冒険者稼業は決して夜型の職業というわけではないのだが、冒険者に早起きが得意なものはあまりいない。
依頼の内容で早朝のものがあれば言うまでもないことだが、逆に言うと、依頼でもなければ早起きするものなど少数派だ。
依頼をこなせればその金で酒を飲み、依頼がなければ暇を持て余して酒を飲み。
そんな連中が大多数を占めているのが冒険者である。
「そうですね。でもきっと、少ししたらまた人が溢れますよ。
その前に依頼を決めてしまいましょう」
さり気なくレイはティオの肩に手を置き、依頼の張り出されている掲示板へと誘導していく。
その後ろをミリルは黙って付いてきた。
「あ、今日はこれなんかいいんじゃないですか?」
「どれ? ……オーク討伐? 場所は、ラグア村……」
「少し王都からは離れていますが、十分に日帰りできる距離ですよ」
「難易度Dランク…………悪くはないと思うけれど……」
ティオは僅かに首かしげ、しっくりきていない顔をしている。
「ですよね!? じゃあ今日はこれに挑戦するということで……」
「あ、待って」
依頼票をレイが剥がそうとしたところで、ティオがレイの手を取る。
「オーク討伐なら、もっと近場があるわ。依頼料もほとんど変わらないし、こちらの方がよさそうね」
「…………あ……本当デスネ……」
ティオの示した依頼票を確認して、レイはぎこちなく答える。
ティオが依頼票を剥がそうとして、
「あ、でも、でもですね。あのですね……」
レイが慌てて止めに入った。
「なに?」
「……う、うぅ」
ティオとしてはレイの行動に疑問があるだけなのだが、レイは自分のしていることを咎められている気になった。
理に合わないことを、レイ本人が自覚しているせいなのだが。
そのまま二人は短い間視線を交わして、
「…………ティオさん、ラグア村の方の依頼主見て」
ミリルが二人の間からにょきっと生えた。
「依頼主? ……ラグア村村長、となってるわね」
「もう一つのは書いてないでしょ。王都からの依頼の場合には依頼人欄は省略されるの。
で、姉さんは、どっちの方が困ってるかって言いたいみたい。ね?」
いきなり話を振られて、レイはえ? という顔をするが、ミリルは全く気にしていない。
一方ティオは口元に手をあてて、ひとつ頷く。
「…………そうね、村が出す依頼であれば、本当に差し迫って困っているのでしょうね。
わかったわ。ラグア村の方を受けましょう」
ティオは一番初めに話していた依頼票を手に取り、受付へと向かった。
「み、ミリル……ありがとう」
申し訳なさそうな、しかしまったく隠しきれていない嬉しそうな顔をして、レイがミリルへ視線を向けた。
ミリルはそれが大好物の餌を与えられた子犬のようだと思い、
「…………どういたしまして」
仕方ないなぁという顔で笑った。
◇ ◇ ◇
ダンジョン演習終了後。
でぇと権の授与も終わり、現地解散となった。
生徒たちは実際に動いたわけでもないのだが、擬似世界の中でのこととはいえ精神的にはかなり疲労をしていた。
帰り道の途中、ミリルがぽつりと呟いた。
「実際には汗なんてかいてないんだけど、なんかさっぱりしたいなぁ」
ミリルのひとりごとを、横で聞いていたティオが拾う。
「頭の中のこととはいえ、私も走ったり転がったりしたし、汗もかいて汚れたわね」
「でしょ? 私、王都のお風呂屋さんって興味あるなぁ。まだ行ったことないんだ。せっかくだし帰りに寄ろうよ!」
「いいわ。案内してあげる」
「わーい!」
ミリルとティオが意気投合する中、レイは複雑な表情をしていた。
眉間にしわを寄せ、何かを我慢するようにぐっと堪えて、
「…………私は、遠慮しますね。先に寮へ戻ってます」
「え、なんで?」
「なんでって……」
ミリルの疑問にレイは、ティオに背を向けるよう回り込んでカッと目を見開く。
(私が男だからに決まってるでしょう!? それも、今はこんな格好をしているんですよ!?
今の私は、男湯にも女湯にも入るわけにはいかないでしょう!!)
(…………あぁ、そだね)
レイが男湯に入るのは正しいが、今の女装した状況で入りにいけるわけがない。
女湯も同様である。
(ちょっとミリル。先ほどの『なんで』って、素で言ってたんですか? 素で言ったんですか?)
(や、やだなぁ。ちょっとお茶目なジョークだよぉ)
レイが焦点のない目を向けてきたので、ミリルは慌ててごまかした。
今のレイは冗談の通じない顔をしていた。
「貴女はこないの?」
「…………はい。私は先に戻ってます」
「そう? 貴女、寮のお風呂場で見かけたことないし、たまには一緒に入るのもいいと思ったのだけど」
(だからダメなんです!!)
ティオの目を見られず、レイは背中に冷たい汗をかいた。
「ね、姉さんって、あんまりお風呂とか好きじゃないから!」
さすがにどうしようもないので、ミリルもレイの援護をした。
しかし、あらぬ方向から新たな刺客が現れた。
「そうなのですか? 意外ですね。いつも清潔にしているように見えますが」
いつの間にか、メイド姿のナナミがレイの隣に並んでいた。
レイの手や首筋に視線を向ける。
「い、一応、ちゃんと毎日お湯で拭いたりはしますから……」
「そうですか。正直な話、若などよりもよほどよい香りがするので。というか若はちゃんと身体を洗っているのですか?」
ナナミは、少し離れたところを歩いていたドルドレーグに侮蔑の混じった視線を向ける。
「洗ってるよ!? なんでいきなり僕を不潔扱いしようとするんだ!?」
「だって若、く…………いえ、なんでもありません」
「臭くないよ!? ナナミ、お前冗談でも言っていい事と悪いことがあるんだぞ!?
臭いなんて自分じゃわからないときだってあるんだから…………え? 僕、臭くないよね? 大丈夫だよね?」
「知らん」
「知りませんわ」
「ちょっとぉ!? そこはちゃんとフォローしてよ!? 不安になるでしょ!」
心底興味なさげなナージュ&マリー兄妹に、ドルドレーグは一人わたわたとしていた。
◇ ◇ ◇
結局、レイ以外の者は皆王都の街にある風呂屋に寄って帰ってきた。
レイは、演習に行かずに待機していた生徒もいることから、寮の風呂も普段どおりに使用中で行くわけにもいかず、仕方なく湯を用意して自室で身体を拭くにとどめた。
「……いいんです、いいんです。実際には汗かいてないわけですし」
むなしきひとりごとで自分を慰めるが、ミリルが帰ってくるなり勢いよくドアを開けて、
「姉さん姉さん! 王都のお風呂屋さんって超すごいんだよ!!
なんでか滝みたいのあるし、お風呂もいくつもあってね! 温度も温いのとか熱いのとかあるし、泡が出てるところとか、ぬるぬるしてるのとかいろいろあって、すっごい新鮮だったよ!!
ティオさんもナナミさんも楽しんでたし。もー、姉さんもくればよかったのにぃ~」
「ウウウゥゥゥゥワアァァァアァッァアアァッァ!!!」
血涙でも流しそうな勢いで、レイは枕に顔をうずめた。
今更であるが、レイは風呂が好きだった。
熱い風呂で身体をかっかさせるもよし、温い風呂でゆったりとするもよし。
手足を伸ばして入れる風呂など至高で、露天であればいつまでも飽きずに景色を見ていられる。
そんな風呂好きのレイである。
ミリルの話は完全に猛毒であり、油断すれば誰彼構わず襲いかかってしまいそうなほど、八つ当たり度が限界近くまで振れていた。
「……あはー。まぁ、さすがに大丈夫じゃないよね。こればっかりは」
レイは、ウウゥゥゥウゥゥゥゥウウとモンスターのような唸りを上げていた。
ここまで壊れるレイは、ミリルもほとんど見たことがなかったのでちょっと引いていた。
現状寮生活の護衛任務のため、護衛対象者であるティオと共に入るのであれば問題はないが、それはミリルの役目であった。
人目を避けて風呂に入ることは不可能ではないが、リスクは避けられない。ゆえに、レイが風呂に入れることはほぼない。
ミリルはさすがに気の毒に思い、
「ね、姉さん。もう少ししたら、上級学校も卒業でしょ?
卒業したら、まずは温泉のあるところのクエスト探そ? 田舎のすいてるお風呂とかなら、姉さんものんびり入れるだろうし? ラグア村のふもとみたいに、天然温泉になってるところもいいよね?
わぁ、ミリルちゃんってばナイスアイディーアー、冴えてるぅー!」
「…………です」
「え? なに?」
「嫌です」
え? と首を傾げるミリルに、レイは枕からがばっと顔を上げて、
「すぐ行きます! 今度の休日には行きます!!
卒業するまで待つなんて絶対に嫌です!!! もう限界なんです!!!」
「……う、うん、うん。おーけーおーけー。姉さん、わかったから。……どうどう」
レイに、がしぃっと両肩を掴まれたミリルは、こくこくと頷いたのだった。




