第44話 トロルとの攻防
レイフィードはトロルの振り下ろしてきた大剣を、右方へとステップを踏んで躱した。
大剣はダンジョンの床を砕き、細かい礫が飛ぶ。
真っ向から礫を受けるトロルは欠片も気にすることはない。レイは左手で顔付近に飛散する礫を払った。
(……くっ、通常のトロルとは比較にならないスピードですね。
剣も、ただ振り回すだけのものではない、ある程度訓練された兵士の技術と引けを取らないでしょう)
レイと比べれば剣の技術的には拙いものだが、トロルには圧倒的な力がある。
圧倒的な技術差は圧倒的なパワーで押し切られてしまう可能性は十分にあった。
「……だからといって、むざむざやられる気はありませんけどね」
礫が飛散する間に、トロルは再度レイへと接近し大剣を振り下ろした。
レイは地を踏みしめて、両手で柄を握り締めて勢い良く剣を振るった。
「ッ!!」
衝撃がレイを襲う。
剣を手放すことはなかったが、若干の痺れが次の一撃を放つ動作に遅れをもたらした。
「ふっ!!」
再度トロルが大剣を振るう。
横薙ぎにせまる大剣をレイは右後方へと大きく跳躍して躱した。
(パワー勝負はさすがに分が悪いですね。
……本気でやればやってやれないこともないでしょうけど…………)
レイは一瞬、数か月前にのした冒険者、ゲドー以下数名が脳裏に浮かんだ。
あのとき繰り出した武器を破壊するほどの剣撃であれば、目の前の敵とも渡り合えるだろう。
しかしレイは小さく首を振り、トロルの後方に位置取りをしたマリーに視線を向ける。
(マリーさんがいる前で、わざわざそこまでする理由はありませんよね。
それに…………)
トロルは数度の攻撃が通じずにレイを警戒したのか、今度は徐々に間合いを詰めてきた。
「普通は猪のように、間合いが離れれば突進を繰り返すものですけど……本当にトロルの知性じゃないですね」
トロルらしからぬ慎重さに、レイは思わず苦笑する。
レイとトロルは互いに睨み合いながら間合いを少しずつ潰していく。
あと一歩で、トロルの大剣がレイへと届くところまで近づいた。互いの緊張感と集中力がこれ以上ないくらいまでに高まり……、
「サンダー・スピア!!」
マリーがトロルの死角から雷槍を放った。
必殺の魔法は、しかしトロルが跳躍することで躱される。
「うそっ!?」
思わずマリーが叫ぶ。
マリーは完璧なタイミングで魔法を放ったと思っていたのだ。
躱されるなど微塵も考えもせず、ましてやトロルのでっぷりとした巨体が身軽と思わせるかのように飛んだことに、純粋に驚いた。
マリーが動揺したからか、トロルはニヤリと醜い顔をさらに歪ませて嗤った。
「やりますね……ですが」
レイがトロルを追うようにさらに速く跳躍した。
「グギギギ!?」
トロルは慌てて反射的に大剣をレイめがけて振り下ろす。
しかし、それは狙いが定まっておらず、レイは大剣の腹に剣を当てて容易にいなした。
「終わりです」
レイはトロルの眼前まで迫り、真一文字に剣を振るう。
トロルの首を寸断する一撃は、トロルが必死に構えた楯によって防がれた。
(あ、……楯の存在を忘れてました)
剣と楯がぶつかる衝撃が生じる。衝撃によってレイが右腕に痺れを意識したときには、トロルが振り回した大剣が目の前まで迫っていた。
レイは剣を楯にしてトロルの一撃を防御するが、力負けをして勢い良く吹き飛ばされる。
「…………けふっ」
レイはどうにか空中で態勢をととのえて、地面に叩きつけられることだけは防いだ。が、
(……まずい、頭がぼーっとしてきて……思った以上に力が入らなくなってきました…………。
グリーンスライムの毒、侮りすぎたようです)
この部屋に入るときのドアにかけられたトラップ。
これによりグリーンスライムに不意の襲撃を受けた際、レイは咄嗟に蹴りで対処していた。
レイは一撃でグリーンスライムを屠ったが、魔物もただでやられることはなく、レイに毒を与えていたのだ。
(もう少しイケるかと思ったんですけど…………やっぱり回復手段は重要ですね。
さて、どうしたものでしょう)
毒に冒されたことを意識すると、途端に身体が重く感じるようになる。
剣を構えたものの、いつもよりも明らかに感覚が鈍い。
「グギッ! グギギッギギギギギッ!!」
レイの動きがおかしいことにトロルは気づいていた。
トロルは優勢を悟ったのか、余裕の表情で歩きながらレイに接近していく。
「…………くふっ」
「……グギ?」
劣勢に立たされているはずのレイが小さく笑った。
得体の知れない雰囲気を感じ取ったのか、トロルが警戒心をあらわにする。
「いい表情です。
そんな顔をされたら……私も熱くならずにはいられません」
レイは未だトロルの後方にいて、詠唱を続けるマリーを一瞥した。
マリーは必殺の一撃を躱されて動揺したものの、すぐに気を立て直してもう一度詠唱を開始していたのだ。
当然、マリーもレイの様子がおかしいことには気づいていた。
その理由にまで思い至る余裕はなかったものの、レイが本調子でないことはすぐに理解していた。
(私という前衛が不調になれば、マリーさんはさぞかし不安でしょうに…………きっちりと自分の仕事をこなす様は好感が持てますね)
回復手段をもたないマリーが心配をしてレイに駆け寄る、などという無意味なことはせず、マリーは淡々と集中して詠唱を続けていた。
レイにとって、それは最善を尽くそうとする信頼できる仲間の行動だった。
「……少しだけギブアップも考えましたが、やっぱり貴方だけは片付けようと思います」
レイは、意を決してトロルを見据え、迷わず持っていた剣をトロルの顔面に向かって投擲した。
「グギッ!?」
レイの力で投擲された剣など、トロルにとっては大したダメージにはならない。
しかしトロルは反応した。左手に持った楯で顔を庇い、剣は弾かれる。
「はぁッ!!!」
レイが短く息を吐いて、トロルに肉薄する。
レイの気に押されたのか、トロルは大剣を振るわず楯を構えたままだった。剣を持っていないレイに対して、トロルは楯で首と心臓の急所を守っていた。
レイが腰に差していた短剣を引き抜き跳ぶ。
レイは力が入らないながらも、速く、荒く、激しく連続に幾度もトロルを斬りつけた。
一撃一撃は裂傷とも言えないかすり傷であったが、幾重にも重なりトロルを深く抉っていく。
やがて、トロルの左腕は楯を支えきれず、だらりと垂れ下がった。
「グギィィィィィイイイ!!!」
トロルが右手に持った大剣を袈裟斬りに振るった。
レイは防ぐ手段を持たず、不格好に転がるように跳んで回避する。
体勢が崩れたレイに、トロルはすかさず追い縋り、
「サンダー・スピア!!」
「ギィィィィィィィイイイイイイィイィイ!?」
数メートルまで接近したマリーが放った二撃目の雷槍が、トロルの心臓を後方から貫いた。
冷静さを欠き必死になってレイを追うトロルにとって、マリーの魔法は完全に意識の外にあった。
心臓を貫かれ激しく苦しみながらも、トロルは振り返りマリーに対して大剣を頭上に構えるが、
「穿て!!!」
ダメ押しの雷撃がトロルに落ち、トドメをさしたのだった。




