第32話 アイリーンの涙
道中一度野営をして、ロウバードやらリトルラビットやらの雑魚モンスターを狩りながらレイ達は目的の湖畔へと到着した。
森の中にぽっかりと空いた空間に、アイリーン湖は存在している。
「綺麗ね」
ティオニアがゆっくりと呼吸をする。
夕日が沈む中、湖は水面で赤い光を反射させ輝いていた。
レイフィードとミリルも幻想的な光景に心を奪われる。
やがて周囲が暗闇が満ちてくると、3人は気持ちを切り替えて野営の準備を始めた。
薪の燃える音がする。
レイは音を立てないよう静かに火の勢いを調節していた。
「ティオさん、寝ちゃった?」
仮眠から目覚めたミリルが、レイの隣に座る。
ミリルとは逆側でティオは丸くなり、身体には毛布がかけられていた。
本来であれば、ティオが火の番をしている時間であった。
「いいペースで来ましたから。疲れていたんでしょうね」
ティオが寝返りをうつ。
レイは乱れた毛布を整えた。
「ティオさん、張り切ってましたから、ついついそのままのペースで来てしまいましたけど。
日程には余裕がありますし、もう少しゆっくり行けばよかったですね」
「そうかも。私も少し疲れたな」
夜の森にしては静かだった。
湖面を通る小さな風の音、遠くに聞こえる虫の音。
間近で燃える薪の音が一番大きかった。
揺らめいた火を見て、レイは新しい薪を足そうとして手を伸ばそうとして、
「はい」
ミリルに薪を手渡された。
「ありがとう」
「いえいえ」
レイが火にくべると、炎は少しずつ勢いを取り戻していった。
「ねぇ、姉さん。明日もここで野営しない?」
「……どうしてですか? 日程的には問題はありませんが」
レイは、今回の行程については今日は道中で野営して、明日到着する見込みで考えていた。
早めに着いたため、明日ここを出立する必要はないが、今回の依頼は湖の水を持ち帰るだけだ。ここに留まる理由はなかった。
「だって」
ミリルは膝をかかえて湖を見る。
「夕方も綺麗だったけど、夜も綺麗だから」
「……そうですね」
月明かりに照らされた湖は、夕日に光っていたときとは別の感動を与えていた。
暗闇の中、静かに包み込むような優しさを感じる。
レイは眠るティオに顔を向ける。
ぐっすりと眠っているところを起こしてしまうのは悪い気がするが、さりとてこの光景を見れずに帰るのも気の毒な気がした。
「それに、もしかしたら妖精も見られるかもしれないし」
「そういえば、そんな噂もありましたっけ」
アイリーン湖には妖精が住まうという伝承があった。
妖精を見た、という人間は数多くいるが、どれも眉唾ものと扱われているものばかりである。
妖精が姿を現していたのは遠い昔の話だ。
森の妖精と評されるエルフでさえ、妖精を見たという者は僅かな長寿の者だけと言われている。
「こんな森の中にぽっかりと湖があるのも、妖精さんが何年もの間泣き続けたからだっていうでしょ」
御伽噺の一種である。
その昔、数多の妖精が存在していた。
しかし、魔物に対して武器と魔法という対抗手段を得た人は、次第に世界中で増加の一途を辿った。
人が増えるに連れ、大地や森、水からの魔力を得られなくなった妖精は、ひとり、またひとりその姿を消していった。
レイが暗闇に光る湖を眺めながら呟く。
「この地で最後に残ったのは、水の妖精。
妖精は孤独の中、消えてしまった妖精を想って泣き続け、やがてその涙は湖となる。
そして水の妖精は、悲しさに耐え切れず湖と同化した」
救われない話だ。レイはこの話を聞いたとき、率直にそう思った。
今も顔に出ていたようで、ミリルがくすりと笑った。
「私もね。その御伽噺、好きじゃないんだ。
でもさ、本当にそんな妖精がいるなら、見てみたいなって思った。会って、お友達になれるかなって」
「友達、ですか?」
「うん。ひとりは寂しいからね」
そう言って笑うミリルに、レイは一瞬、郷愁に駆られた。
「きっとミリルみたいに考えた人がいたんだろうね。
……アイリーン湖の前で晩餐を開くと、いつの間にか用意した料理が減ってるって言い伝えもあるみたい。
騒ぎにつられた水の妖精が食べにきてるんじゃないかって、ね」
「食いしん坊な妖精ですね。
ミリルと気が合いそうです」
「ふん。そうだね。
……もし私が妖精さんと仲良くなれても、姉さんには紹介してあげないから」
「ごめんなさい」
即座に謝るレイに、ミリルは思わず苦笑する。
「いつになく折れるのが早いね」
「私はほとんど魔法が使えないですからね。
魔と共にある妖精と直接仲良くなれる才能はないでしょうから」
「うん。
……じゃあ、明日はここにいるってことで。
あとは私が起きてるから、姉さんは休んでいいよ」
「ええ、ではお願いしますね」
「おやすみ」
レイは自分の毛布を取りに行き、草の上で横になった。
悪意の気配だけは感じられるよう感覚を残して、レイは眠りについた。




