赤い男
ミレアは疾走する。これまで経験したことがないほどの全速力だった。
「く、ここにも……クソッ!」
悪態を吐くミレアの視界に、またしても死が横切った。
その遺体は会食でクリスに文句を付けられていた女中だった。ミレアにとっては見知った顔であり、とても熱心に働く優しい娘だった。おそらく騒ぎが起きた折、逃げるよりも情報伝達を優先したのだろう。
「どこの誰だか知らないけど、絶対に殺す!」
謁見の間へ辿り着く。この部屋を抜ければメイルの私室までは眼と鼻の先だ。
だが、そこに待ち受けていたのは倒れた数人の衛士と、その中で一人佇む緋色髪の闘争者であった。
「おぉ? ちっとは骨のありそうなのが来たかぁっ!!」
耳鳴りがするほどの大声が広間に木霊した。
ミレアは殺意顕わに男を睨み付けた。
「……これ、アンタがやったの?」
「これ? これって何だぁ? それとかこれとか意味分かんねえぞぉ! 言いたいことははっきりとぉ! 大きな声で言えぇっ!!」
不愉快なほどの大声であった。たとえ演劇でもこうも無意味な大声は出さない。
しかし、ミレアは話を続ける前に構えていた。
それを見た男は歓喜を声に乗せる。
「おお、いいねいいねぇ! わかってるじゃねえかぁ! 俺が誰だとか、そこに転がってる雑魚共がどうしたとか、小難しいことは要らねぇ!! 俺様の前で構えてるってことは、手前は理解してるってことだよなぁ!?」
「そうね。アンタが誰か知らないけど、ドが付くバカだってことは分かった」
「ハッハァ! 上等だぜ姉ちゃん!! 俺様の名はリーブ!! 暗殺団『クラニア』で最強となる男だぁ!!」
二人が床を蹴った。
直後、部屋が崩れかねないほどの衝撃が中心から波及した。拳と拳がぶつかり合い、互いの身に割れんばかりの激痛が奔る。
(コイツ……さっきの奴とはレベルが違う!?)
「おお、おおおおおおおおおおぉ!? すっげえなぁ、姉ちゃん! 俺の鉄拳制裁を正面から受け止めたのは手前で三人目だぁ!」
「それは光栄ねっ!」
気迫か信念か。とかく激しい感情が渦巻き、直近距離で火花を散らす。
「チ、邪魔をしないで! 今は急いでるのよ!」
「はぁ? 手前の事情なんざ知るかぁ! そんなに進みたきゃ俺様を倒せやぁ!!」
「いいから――どけッ!!」
ゴツッ! と鈍い音が鳴った。
ミレアが眼前の鼻っ柱に向けて頭突きを放ったのだ。
「ぐがっ!?」
男は地毛よりも赤い鼻血を吹き出しながら後ろへ倒れた。
ミレアは男の身体を踏み越え、謁見の間を後にした。何事か男が叫んでいたようだが、一切を無視しながら。