第九話 龍狩り共①
カトリナ邸での騒動のあと、貴臣たちは街の飲食店で遅めの夕食を取っていた。
店の一番忙しい時間帯はとうに過ぎていたが、それでも店内には多数の客が残り、それぞれ食事を楽しんでいた。
「そういえば『トリュウサイ』ってなんだ?」
次々と料理が運ばれてくる中、貴臣がリコッサに尋ねた。
「そういえばタカオミはここの人間じゃなかったもんね。知らなくて当然か。……カストラの街は龍狩りの拠点でもあるのよ」
「龍狩り?」
『他の地域でもいくつか同じようなことしてるところがあるみたいだけど~、この街から山を越えたところに、酔龍の繁殖地があるの~。ちょうど今頃が、繁殖期なのよ~』
「酔龍は周辺の人や家畜を襲うから、退治して、ついでにその鱗や肉、それに酒を手に入れちゃおう、というのが、屠龍祭なの」
「スイリュウ……? ああ、龍ね。 でも……ドラゴンと酒と、何の関係があるんだ?」
龍とは全く関係のなさそうな単語が出てきたので、貴臣は疑問を投げかけた。
『酔龍は自分の身を守ったり餌を取ったりするために~火炎を吐くんだけど~、その体内の火炎の素が強い酒精なの~』
「いっつもお酒を体に蓄えているから、『酔龍』っていうわけ」
「なるほど」
目の前のプレートに載った白身魚のフライをつつきながら、貴臣は頷いた。
『酔龍から取れる酒精は~、すごく美味しくて貴重品だから~、みんな血眼になって狩りにいくのよ~』
「だいたいこの季節はこの辺の村から人を募って討伐に向かうんだけど、それでも人手が足りないのもあって、他の地域に募集をかけたりもしてるの。それで龍狩りで一山当てようって連中が大勢来るのよ」
――だから街に活気があったのか。貴臣は合点がいった。
「……じゃあリコッサたちも、その酔龍を狩りに行ったりするのか?」
『毎年、村からはグラモスたちが参加してるわ~。私たちは仕事が忙しかったし~』
「龍狩り……なんかわくわくするな」
目を輝かせる貴臣。
だが、リコッサの言葉は、にべのないものだった。
「素人が手を出せるモノじゃないわよ? 確かに酔龍は翼は無いし、龍狩り連中の話だと、比較的狩りやすい種類らしいけど……先日の虎犬を捕食するくらいには強いからね。ちょっと魔法が使える程度のタカオミじゃ、あっというまに酔龍のヒナたちの餌ね」
「でも……」
「わたし達は仕事があるし、行かないわよ?」
「……」
リコッサの言葉に、貴臣は肩を落とすしかなかった。
確かに、仕事は大事である。
人は、仕事をして、対価を得なければ食べて行くことはできない。
これは、異世界だろうが、どこの世界だろうが、人が人である以上、同じだ。
でも――
貴臣の脳裏に、勇ましくドラゴンと戦う自分の姿が映し出される。
鎧兜を装備して、巨大な剣と盾を持って、強大なドラゴンに挑む。
男の、憧れだ。
しかし、今の自分は――ヘンテコ魔法が使えるだけの、一般人……らしい。
単身で挑めば、エサになるだけだということは、貴臣にも想像できた。
「死んだら、もう一度あの召喚魔法が使えるのかな……」
ぼやきつつ、貴臣はフライの残りに手を付けた。
――と、その時。
「オイコラ! 酒がまだ来てねーぞ! いつまで待たせんだ!」
怒号が、店の中いっぱいに響き渡った。
貴臣は食事の手を止め、思わず辺りを見回した。
給仕の女性が、奥のテーブルに酒を持って走っているのが、視界の端に見える。
「……だからイヤなのよ、屠龍祭は」
『この季節はガラの悪い連中が増えるのよねえ~。商売だから仕方ないけど~』
リコッサが悪態を付き、パルドーサはうんざりしたようにため息を吐く。
貴臣は件の席に目をやった。
どうやら、ヒト種だけで構成されたグループの様だ。
しかめっ面の男と、頭が禿げ上がった赤ら顔の大男が、テーブルの奥側に座っている。
手前には痩せ形の男と黒髪の小柄な女が座っていた。
その席の傍らには、大きな武具が、人数分立てかけられている。
――これがリコッサの言っていた、龍狩りの連中か。
貴臣が、それとなく様子を伺う。
どうやら、酒を催促しているのは赤ら顔の男のようであった。
「しっかしよー、こいつのおかげで今度の屠龍祭は楽勝だな」
赤ら顔の男が、下卑た顔で黒髪の女を眺めている。
「街道筋で俺らが拾ってやらなけりゃ野垂れ死にしてたんだ。ええノンナ? 借りを返すまできっちり働いてもらうぜ。……もちろん、夜の方で返してもらっても、いいんだぜ?」
赤ら顔の男は大声で喋っていて、貴臣たちのテーブルまで、会話がまる聞こえであった。
「なにアイツら。大声でなに下品なこと話してんの。これだから龍狩りは……」
『ま、まぁ~落ち着いてリコッサ~。あんな連中でも、間接的には私たちのお客さんなんだから~』
「ふん。あんなクサレ龍狩り共なんかに手の届くモノなんか、売ってるつもりないわよ」
――と、貴臣と赤ら顔の男の目が一瞬だけ合った。
慌てて目をそらす貴臣。
がたり、と男が立ち上がる。
貴臣を睨みつけながら、よたよたと近寄ってきた。
「オイコラテメー。さっきから何じろじろ見てんだよ。ケンカ売ってんのかテメー」
男の顔が貴臣に近づく。
泥酔してるのか、完全に目が座っている。
貴臣の心の中で、警鐘がガンガンと鳴り始めた。
――これはいわゆる、輩という奴だ。
目が合ったのは――まずい。
酒に酔っているなら、なおさらだ。
なるべく刺激しないように、穏便に、穏便に――
「アア!? コラ!」
男は貴臣を睨み付けながら、さらに顔を近づけてくる。
息が――顔にかかる。
何度も、酒臭い息が――息が――
貴臣は、そのあまりの酒臭さに顔をそむけずにはいられなかった。
「……酒臭っさ!」
「んだとコラ! テメーさっきからケンカ売ってんだろ!」
思わず口をついて出てきた言葉に、赤ら顔の男がさらに真っ赤になる。
貴臣はしまったという顔をするが、時すでに遅し。
貴臣は男の丸太のような腕で胸倉を掴まれ、そのまま片手で持ち上げられてしまった。
「ちょっと! あんたら何やってんのよ!?」
リコッサが叫ぶ。
パルドーサはあらあらまあまぁと口に手を当てている。
「ぐ……」
襟首に全体重がかかり、ぎりぎりと締まってゆく。
喉を潰され、言葉を発することができない。
――これじゃ、せっかくの呪文が唱え……られない。
マジデ、ヤバイ……。
貴臣の顔が紫色に変わってゆく。
「ガキはもうねんねの時間だろ! 床に転がって寝とけや!」
男のもう一方の腕が、限界まで引き絞られる。
次の瞬間、拳が、貴臣の顔面目がけてまっしぐらに――
――向かってこなかった。
どういうわけか、男の拳は、貴臣の顔から少し離れたところで、ぴたりとその動きを止めていた。
「ちょっと。なんばしよっとね」
どこからか、独特な訛りのある女の子の声が聞こえてきた。
そして――それと同時に、男の顔が苦悶の表情に歪んでゆく。
「痛ててててててててて!? クソっ誰だ! は、離しやがれ!」
貴臣が足をぶらぶらとさせたまま周囲を見渡したが、声の主は見当たらない。
男の顔はすでに蒼白だ。
「こがんとこでケンカばせんでもよかろ?」
貴臣の胸倉から男の手が離れ、足が床に付いた。
男は苦悶の表情のまま、膝を付く。
すると――男の向こう側に、小柄な少女が立っているのが見えた。
年のころは、十三~十四歳ほど。
ふわふわとした、栗色の髪。
くりくりとした、金色の瞳。
日焼けのない、真っ白な頬にはそばかすが浮かんでいる。
背丈は……貴臣の胸の辺りといったところか。
そして――成長途中と思しきほっそりとした、体躯。
それだけ見れば、可愛らしい少女だった。
唯一つ、彼女の前腕部が、異様な大きさだということを除いては。
それはまるで、サイズの合わない甲冑の籠手を装備したかように、少女の身体と比べて、不釣り合いな大きさをしている。
おまけに、その腕は指の先まで、硬そうなウロコで覆われていた。
その彼女の片腕が、男の腕をがっしりと掴み、背後から捩じり上げていた。
「ちょっと……頭、冷やさんね」
少女はそう言うと、まるで大きなぬいぐるみでも扱うかのような気軽さで、男を担ぎ上げてしまった。
それは、なんとも現実味のない、不思議な光景だった。
「お、おい……! 離しやがれ!」
バンザイの格好をした少女の上で、大男がじたばたと暴れる。
しかし少女は、その言葉を無視して――男を放り投げた。
「はぶっ!?」
男はそのまま宙を舞い――店の壁に激突して、潰れた蛙の様な声を上げた。
そのまま伸びてしまった男を見て、仲間が慌てて介抱に向かった。
「ガレミス! 今仕事終わったの?」
「さっき仕事上がったとこばい。リコッサは今日はここに泊まってくと?」
「うん、明日の朝発つ予定」
貴臣はリコッサと親しげに話す少女を見て、リコッサに尋ねた。
「……お知り合い?」
「うん。ガレミスは土竜族で、取引先の工房の職人さんなの。仕事が終わったら一緒にご飯食べようって、話してたんだけど……とんだ邪魔が入っちゃったわね」
モグラというより、その腕はオケラじゃないのかとか、ご飯の話きいてねえよとか、そもそもその怪力は一体何なんだとか、貴臣は色々聞きたいことはあったが、ひとまず黙っておくことにした。
――そのままリコッサとの世間話を側で聞いていると、ガレミスと目が合った。
「お兄さん、リコッサの知り合いなん? さっきは危なかったね!」
「ガレミスさん、だっけ? 助けてくれてありがとう。俺は苅田貴臣。貴臣の方が名だよ」
「よろしく、タカオミ! そういえばパルドーサはどうしたと? 風邪でも引いたと~?」
口に指を当て、ふわふわ頭を傾げるガレミス。
その様子は、先ほどまでの大立ち回りを演じた少女と同一人物とは思えないほど、愛らしい。
『私はここにいるわ~。訳あって、こんな姿になっちゃったけど~』
「……!?」
貴臣の傍らで、虚像のパルドーサがひらひらと手を振った。
ガレミスが、くりくりの金色の瞳をさらに大きくして、彼女を見つめる。
そしてガレミスは、鱗で覆われた大きな手で彼女に触れようとしたが――虚しく空を切るだけだった。