第七話 暴風ハニー②
「なんだこりゃ……」
――扉を開けた貴臣が、思わず呟く。
玄関口からは、吹き抜けの大きなホールが見て取れる。
その二階部分には、左右に大きな明かり取りの窓が開いていている。
そこから差し込んだ夕日が燃えるようなオレンジ色で館内を照らし出していた。
開放感のある、なかなか瀟洒な造りだ。
ただし――ホールの大半を、書類と本で占拠されてなければの話だったが。
ホールの中ほどには、来客用と思しき椅子とテーブルが数セット配置されていた。
いずれも年代物のような、味のある調度品だ。
さぞや、名のある職人の手によるものなのだろう。
もちろん、そのいずれにも大量の書類や本が山積みになっている。
そして、その両端には二階へと続く石造りの階段。
ホールと二階部分の壁全体には本棚がはめ込まれており、その全てにずらりと本や書類が詰めこまれている。
これも、なかなか雰囲気のある造りだ。
しかしその本棚は、ところどころ崩壊していて、その下には雪崩れた本や書類が積み重なっていた。
しかも――吹き抜けのためよく見える二階の廊下部分からは、同様に崩壊した本棚からあふれ出た書類が、紙吹雪となってホールに舞い散っていた。
まごうことなき、修羅場であった。
貴臣とパルドーサともども、その惨状に唸らざるをえなかった。
貴臣が目を凝らすと、ホール中ほどの来客席の奥には、これまた書類や本類がうず高く積み上がった木製の机がいくつか置かれている。
その向こう側には、慌ただしく働く女性達の姿をわずかに見て取ることができた。
どうやら、そこが受付のようだ。
貴臣は床を覆い尽くす書類を避けながら奥へ進み、動き回る人影に声をかけた。
「あの……」
返事はなかった。
みな一様に書類や本と睨み合いながら、なにやらブツブツと独り言をつぶやいている。
「あの、すいません!」
さらに一歩踏み出して声をかけてみるが、突然の来訪者に気付く素振りすら見せない。
「あのう! 町長のカトリナさんはいらっしゃいますか!?」
ホール中に貴臣の声が響き渡ると、ようやく女性達の動きが止まった。
一番奥の机で紙束と本に埋もれながら書類と格闘していた、ヒト種と思しき女性がゆっくりと面を上げた。
――年のころは二十代後半といったところか。
まず、最初に目を引くのは蜂蜜色の長い髪だ。そのきめ細やかな金糸は頭の後ろでゆったりと束ねられ、よどみなく背中へと流れている。
白雪の思わせる肌は、今にも融けて消えて行きそうな儚さがある。
そして――精巧な人形細工のように整った貌には――これ以上ないほど濁りきった瞳が鎮座していた。
一体どれほど徹夜すれば、そうなるのだろうか。
目元に大きな隈を作り、いまにもずり落ちそうな黒縁眼鏡がさらにその惨状を引き立てている。
なまじ美人なだけに――そのあまりにも残念過ぎる有様に、貴臣は目をそむけずにはいられなかった。
「あら、来訪者の方かしら。私がカトリナです。ご用件は?」
カトリナは、ずり落ちた眼鏡を人差し指で押し上げ、頬をひきつらせたまま、精一杯ほほ笑んでみせた。
◇ ◇ ◇
「それではタカオミ様、始めましょうか」
蜂蜜色の長髪を整えながらカトリナが、すがすがしい最高の笑みを浮かべて言った。
それを見て、貴臣は肩で息をしながら、リコッサ、パルドーサとうんざりした様子で互いの顔を見合わせた。
――館に入ってしばらくの間、貴臣とパルドーサはカトリナと職員達の仕事が片付くのを待つことにしたのだが――いつまで経っても仕事は終わりそうになかった。
これに業を煮やした貴臣は、せめて床一面に散らかった書類の整理だけでも、と願い出たのだったが――これがいけなかった。
散らばった書類の片付けが終われば本棚の帳票の整理を。
今度はホールの片隅に溜まった木箱の中身(これも何かしらの書類の束だった)を二階へ上げてくれ。
あれはここ、それはあそこへ――
館の面々は、全くの初対面でお客のはずの貴臣を散々っぱらこき使ったのだった。
ちなみに――途中で貴臣達を迎えに来たリコッサも、同様に館内を右往左往する羽目になった。
結局、ある程度の仕事が片付いた頃にはすでに辺りは暗くなっており、すでに館内は魔素の照明によって、うすぼんやりと照らされていた。
カトリナは他の職員達に何やら指示を出したあと、来客用の椅子(上に載っていた書類は貴臣達で片付けた)に腰かけるように促し、テーブルを隔てて対面の椅子に座った。
「……まさか異世界に来てまで肉体労働に駆り出されるとは思わなかったよ」
「なぜわたしまで手伝うことに……」
『私は特になにもしてないんだけど~』
「でも、皆様のお陰で随分と館内が片付きました」
職員の一人が運んできたお茶をすすり、カトリナがほうと息を吐く。
「他の職員の人は力仕事はダメなんですか? 見たところ皆、亜人種……の方みたいですけど」
「彼女らは頭脳労働専門で腕力はからきしなんですよ、私も含めて」
貴臣は仕事に勤しむ職員達にちらりと目をやった。
彼女達は残りの業務に追われているようで、それぞれの持ち場で一心不乱に書類と格闘している。
「さて、皆様は改めましてどんなご用件で参られたのでしょうか? 転入、転出届でしたらマニカへ。街での出店申請でしたらポルマンへお願い致します。苦情受付でしたら……ええと、リンナスでしたっけ。それと……屠龍祭の受付でしたら、明日からになります」
「えぇと、二つほど相談事がありまして。まず一つは、ここで〈刻印〉をしてくれるって聞いてここに来たんですが……」
「えぇ、〈刻印〉でしたら確かに私が承りますが……はて? お子さんはどこにいらっしゃるのでしょう?」
貴臣の隣でブフっと吹き出す音が聞こえた。
リコッサがそっぽを向き肩を小刻みに震わせている。
「あの? 子供ってなんですか? 〈刻印〉が必要なのは俺なんですけど」
「……? あの、タカオミ様は見たところすでに十分成長なさっているようにお見受けするのですが……」
リコッサの肩が大きく震えだし、うつむいて何かを堪えている。
「どういうことですか? 俺、最近ここに来たばかりでよくシステムが分かんないんですよね……」
「〈刻印〉は通常、子どもが生まれた時にする処置です。いわば出生届けのようなものですね。これを行って初めて魔素による恩恵を受けることができる――つまり魔法を使えるようになるんです。通常はご両親が生まれたあとにすぐ子供を連れてくるのですが……」
リコッサが苦悶するように体を「く」の字に折り曲げ、ついに大きな笑い声をあげ始めた。
「あーははははははははは! 要するにタカオミは生まれたばっかの赤ちゃんなんだってさ! こーんな大きい赤ちゃんがいるかっての! あーダメ死ぬ! あはははは苦しい苦しいあはははははは!」
笑い転げ、ばたばたと手足をばたつかせるリコッサ。
貴臣はそれを横目に睨み付けつつ、続けた。
「信じてもらえるか分かんないですけど、実は俺、先日イグセルスム氷河ってとこで、この……隣で笑い転げているヤツに発見された、らしいです。らしい、ってのは俺が自分の部屋からいきなりこの世界にやってきたっていうか、なんというか……」
――カトリナの顔から、笑顔が消えた。
「世界……? それは転送魔法の事故……ということでしょうか。そもそも危険なので、人間を転送することは通常ありえないんですが……」
「いや……転送魔法とやらを使った覚えはないんですけど……というかその辺の記憶が曖昧でなぜ、どうやってここにいるのかも分からないんですよね」
「……タカオミ様は気付いた時には、氷河の上に居た、ということですか」
「そういうことになりますね」
と、ここで笑い地獄から生還したリコッサが口を挟んできた。
「わたしが氷河の中から変な生き物の死骸を見つけて、それから光が起こって――わたしの姉、パルドーサが消えて、このタカオミが現れたわ。普通に考えれば、その死骸がタカオミなんじゃないの?」
「……それはすぐに死んだ人間の死骸、ということですか?」
「いや、真っ黒でかなり年季の入った死骸だったわ……身体のほとんどの部分が無かったし」
「……欠損した身体を再生する魔法や、ある程度の時間まででしたら死んだ人間を蘇生する魔法は存在しますが……今のところ、死後何年も経過した人間を蘇生する魔法は――」
カトリナは少しばかり、間を置いて答えた。
「存在しません」
皆が顔を見合わせる中、貴臣はおずおずと口を開いた。
「分かりました……それともう一つの相談でもあるんですけど」
――貴臣はパルドーサの事を話した。
「――まぁ、事故で体が融合……てっきり妖精種の方だと思っていたので……」
『こんなに背が縮んだら見間違えられても無理ないと思うわ~』
「それで、回復魔法で誰かと融合しちゃったのは元通りにすることはできるんですか?」
「そうですね……誰かと誰かが融合してしまったという事例で、回復魔法がどう作用するのかまでは私では分かりかねます」
『やっぱり元通りになるのは難しいのかな~』
落胆を隠せないパルドーサにカトリナが話しかける。
「……この館には過去の出来事や、様々な知識を、本や書類として保管してあります。先ほどお手伝いしていただいたお礼、と言ってはなんですが……少々お時間は頂きますが、こちらでお調べしてみましょうか?」
『「お願いします」』
貴臣達はカトリナに頭を下げた。