第五話 スイート異世界ホーム
リコッサは自室の壁際に設えた寝床に腰かけていた。
窓から水平に差し込むオレンジ色の光をぼーっと眺める。
この時間なら、振り向いて窓から外を望めば、遠くの山々が世界を闇色に塗りつぶしてゆく様子が見て取れるはずだった。
リコッサは、自室から見るその黄昏の風景が好きだったが――今日ばかりは、その美しい光景を眺める余裕はなかった。
姉のパルドーサは生きていた。
ただし、実体を持たない魔素に投影された虚像として。
――そういえばパル姉、いっつも体重気にしてたなぁ――とか益体もないことを考えつつ、部屋の扉に目をやる。
虚像のパル姉が言うには、タカオミとかいうあのヒト種の少年とパル姉は、言うなれば融合状態――パル姉の体を分解、再構成してタカオミの身体を形作った、ということらしい。
――まるで粘土をこねて竈で焼き上げたみたいに。
「……バカじゃないの? ホント、バカみたい。あんな魔法、見たことも聞いたこともないわよ」
リコッサが誰に聞かせるともなく呟く。
――少年は、リコッサが大立ち周りを演じたあの尋問の後、すぐに縛めを解かれた。
父と母は、雪崩から生還(?)したパルドーサの姿と見知らぬ少年の姿を見て、喜ぶと同時に腰を抜かさんばかりに驚いていた。
しかしリコッサが経緯を説明し、さらにパルドーサが妹の幼少期の恥ずかしい過去をつらつらと語り出したのを見て、一応は本物であると認めたようだった。
その話しぶりたるや――調子に乗ったパルドーサが、最近妹がハマっている、とある趣味についても語り出したので、リコッサは慌てて口を塞ぎにかかったぐらいだった(結局、虚像のパルドーサに触れることはかなわず、全てを暴露されたリコッサは部屋に退避し引きこもるハメになった)。
「あああああああぁぁぁぁぁぁ……」
一連の出来事を思い返し、寝床に顔を埋めしばし悶絶する。
すると、扉をノックする音が部屋に響く。
次いで、件の少年の声が聞こえてきた
「あの……リコッサ。君のご両親が、その……食事の時間だから呼んできてくれ、って」
『パル~? いつまでもしょげてないで出てきなよ~』
「…………………………………………今行く」
実際の話、そろそろ限界だった。
ぐうぐうと鳴るお腹が外に出るように促している。
リコッサは深い深いため息を吐き出しながら、寝床から起き上がった。
◇ ◇ ◇
「これが……異世界メシですか…」
食卓に並んだ料理の数々を見て、貴臣は思わず息を漏らした。
手前には食欲をそそる香りを立ち上らせる、干し肉と薬草の黄金スープ。
その奥は木製のボウルに盛り付けられた、春の訪れを告げる若草色と山吹色の山菜サラダ。
そして……中央に控えるは、香草を中に詰め、こんがり焼き上げた肉汁滴る仔ドラゴンの姿焼き。
そのほかにも、見たこともない、色とりどりの食材が並んでいる。
香ばしい肉の焼けた匂いやハーブの香りが鼻腔をくすぐる。
席に着いた貴臣は、口腔内に湧き出してくる唾液を何度も飲み下さなければならなかった。
「ええと、タカオミ……君だったわね、遠慮せずに何でも食べて下さいね」
ボムビークス家の母ピラータは席に着くと、そう言って貴臣に微笑みかけた。
リコッサと同じ赤い瞳が優しく向けられ、貴臣は思わず頬を掻く。
「ありがとうございます。……でも、本当にいいんですか? 自分でいうのもなんですけど、何者かも分からない俺なんかを受け入れてもらって」
「そうですね。パルドーサのことはびっくりしましたけど……リコッサと一緒に虎犬の群れと戦った、というのは事実なんでしょう?」
「ええ、まぁ……はい。ただ、その時の記憶が全くないので、正直な話、実感はないんですが……」
ピラータはその答えを聞いた後、笑ってこう答えた。
「その事実だけで十分だわ。本当に、ありがとうね」
「私からも、重ねてお礼申し上げる。リコッサと共に闘ったこと、感謝する。ヒト種の少年よ」
ボムビークス家の主アルクトも、椅子からはみ出さんばかりの大きな体躯を揺すり、豪快に笑った。
「あれくらいの虎犬、わたし一人で撃退できたってのに……」
リコッサがむくれた顔で山菜サラダをつつく。
『あら~? お得意の蜘蛛糸流奥義、真★無明逆流で~?』
「そ……そんな奥義知らないわ」
『え~? リコ、いっつも仕事の合間に練習してたじゃない~』
「し……してない」
パルドーサの猛追を逃れようと、リコッサは貴臣に顔を向けた。
「大体、こんなお漏……」
「おい、それは言わない約束じゃ……」
「なによ! 大体パル姉がこんなになったのは誰のせいだと――」
『あら~、この姿も気楽でいいのよ~? 何でも気楽に喋れるし~』
「パル姉……それ以上は怒るわよ?」
――あぁ、そういえば家族一緒に食事したのなんていつぶりだろう――貴臣はリコッサ達の団欒を見て元の世界での両親のことを思い出すと、感傷的な気分を抱かずにいられなかった。
――貴臣は考える。
俺は、確かに自分の部屋に居た。
適当にネット巡回して、居眠りして――
起きたら、パルドーサが部屋に入ってきて――
よく分からん魔法陣に召喚されて、異世界に飛んできた。
リコッサは氷河で何かの死骸を見つけた後、パルドーサが消えて、俺が現れた、と言った。
でも俺、魔法なんか使えないし。
どういうことなんだろう。
大体、異世界ってなんだ?
もしかして――
いや、もしかしなくても、それは状況からすると、これしか考えられないよな、うん。
――リコッサの発見したという死骸とは――俺自身だった。
なんで俺の死骸が氷河の中で氷漬けになっていたかとか、そもそも死んだ人間が勝手に蘇生するのかとか、分からないことだらけではあるけども。
ならば、今俺がいるこの世界は――少なくとも俺が元いた世界の延長線上にある、ということになる。
つまり――未来だ。
どれだけ時が経っているのかは分からないが。
氷河に埋まっていた、ということは中央アジア? ヨーロッパ? ……それとも北極や南極?
いや、そもそも気候が変動している可能性だってあるな。
でもそれより。
そんなことよりも、分からないことがある。
今俺が見ているこの世界は――なんでこんな異世界異世界しているのか、ということだ。
「……ちょっと! ねぇタカオミ! ねぇ聞いてるの?」
思考の海に身を委ねていた貴臣は、リコッサの声で我に返った。
口の中で仔ドラゴンの芳醇な肉汁がはじけ、その余韻が後を引いている。
「急に黙り込んでどうしたの? もくもくと食べるのはいいけど、もっとなんか喋ったら? あんたの歓迎会も兼ねているのよ? ……ていうか、そろそろわたし限界なんだけど」
『あら~、リコの可愛い幼女時代のこと、話し足りないわ~』
「ホントもうお願いやめて」
食卓の向かい側で、虚像のパルドーサがふわふわとリコッサの周囲を飛び回り、からかうのが見えた。
貴臣は一つ、疑問を投げかけてみた。
「……なあリコッサ。あのあと、俺はどうやってお前を助けたんだ? 俺、ただの人間だぞ?」
「あんたが虎犬に齧られたあと、上から大きなドラゴンが降ってきたのよ。あんたが召喚したんじゃないの?」
「ドラゴン? ドラゴンって……あのドラゴン?」
「多分、そのドラゴンよ。三つ首で、そのそれぞれがものすごい火球を噴いて……あっという間に虎犬たちをやっつけちゃったわ」
「なんだそれ。俺、ドラゴンなんか召喚できたの?」
「知らないわよ、あんたが出したんでしょ」
貴臣はゲームが大好きだし、アニメもよく観る。漫画雑誌だって毎週欠かさず買って読む派だ。
ドラゴンが何たるかなんて――飛行機が何たるかよりもよく知っている。
俺が、召喚した? ドラゴンを?
何を言ってるんだこの娘は。
そもそもここって、未来とかじゃないのか?
だいたい、三つ首? 親父と観た映画の特撮怪獣かよ。
ひょっとして、アレか?
異世界に召喚されたから、なんかチートな能力を身に付けちゃったとか、そういうアレなのか?
貴臣はうむむと、再び黙り込んでしまった。
「……そういえばタカオミ君。見たところ君はまだ〈刻印〉を受けていないようだな。ならば明日、リコッサと一緒にカストラへ行ってみてはどうかな?」
ボムビークス家の主であるアルクトはそう言って、自分の首筋に触れ、貴臣の方に向けた。
見れば、よく日に焼けた太い首のうなじ辺りに、民族調の入れ墨のようなものが入っている。
「〈刻印〉……ですか」
貴臣はその意味するところが分からず、首筋に手を当てつつ、曖昧に答えた。
「〈刻印〉はヒト種、亜人種の区別なく、魔素の恩恵を受けるために必要なものだからな。その歳で無いのなら不便だろう。しかしこの辺りだと、カストラ町長しか処置できる者がいないのだ」
「はあ」
「それに、彼女は魔法やこのあたりの歴史や事件について詳しい。君とパルドーサの境遇についてもなにか解決策があるかも知れない」
「なるほど……〈刻印〉の話はともかく、俺とパルドーサさんについて何か分かるなら、是非行かなければなりませんね」
貴臣は、自分に言い聞かせるように呟いた。
「なら話は早い。明日早朝、出発できるように君の分も荷物を用意しておこう。リコッサもそれでいいね?」
「……パル姉に関わることだし、そもそも仕事のついでだし、別に構わないわ」
リコッサも肯く。
「それじゃ、食事を再開しましょ。せっかくのお料理が冷めちゃうわ」
ぽん、と手を叩いたピラータはそう言って、皆の顔を見回した。