最終話 まんまるの青
ぼんやりとした光が見えた。
ちょうど、視界の真ん中あたりだ。
「う……」
焦点が徐々に合ってゆき、そこが部屋の中だということが分かる。
ぼんやりとした発光体は、点きっぱなしのパソコンモニタから漏れ出る光だ。
正面の机の上に載ったまま、煌々と辺りを照らしている。
その脇には、ふとんが散らかったベッド。
懐かしくも、見慣れた光景だった。
貴臣は、自室の入り口で、ぼんやりと立っているのに気付いた。
「あれ……?」
呑み込まれたはずだった。
確か、チャンバーの中のノンナに魔素が触れ――彼女は、意思を持たないただひたすら増殖するだけの肉塊になってしまった。
カトリナとリコッサはエレベーターで避難した。
他のノンナ達は、肉塊に呑み込まれた。
それに、自分とパルドーサも――
「まさかの夢オチ――」
「だったらよかったわね~」
隣から、ため息混じりの間延びした声が聞こえる。
顔を向けると、一人の女性が立っていた。
見知った顔だ。
銀髪に映える淡い褐色の肌、端正な顔立ち。
彼女の翡翠色をした瞳は、貴臣に向けられていた。
「――パルドーサ。なんで……」
呼びかけに応え、パルドーサはにっこりとほほ笑みを返す。
「私は、この部屋でなら実体を保てるのよ~。虚像だった時も、たまにここに戻って寛いだりしてたのよ~」
「それ初耳なんだけど……」
「そうだっけ~? タカオミは現実世界で楽しくやってたみたいだし~、特に言う機会もなかったわ~」
「いや、それ結構大事なことだよね!? ……まあ、もう別にいまさらって感じだけどな」
頭を押さえながら、貴臣はため息をひとつ吐いた。
「で、一体ここどこなんよ? パルドーサが自由に出入りできた部屋が、ただの俺の部屋ってことはないだろ。それに、夢オチでもないってんなら――」
「それは、私が説明するわ」
背後から声が聞こえ、貴臣は振り返った。
「ここは――人格を格納するデータ領域の、仮想空間よ。あなたの脳に存在する、ね」
黒髪、碧眼の女が立っていた。
顔は整っているものの、どことなく不健康そうな青白い肌だ。
すらりとした肢体に張り付くような黒衣、その上に研究者のような白衣を羽織っている。
彼女もまた、貴臣の知っている女性だった。
「……ノンナ。なぜここに?」
貴臣とパルドーサが初めて会ったのは、この部屋だった。
しかしそれは、現実世界で二人の身体が融合した結果のことだ。
つまり、ノンナがここに存在するということは――
「ご想像のとおりよ。多分」
「つまり――あんたの増殖した肉塊に呑まれた俺たちは、あんたと融合状態になってるってことか」
「そういうことになるわね。……それもまあ、一時的なことだけど」
ノンナは貴臣とパルドーサの間をぬって部屋の奥へと歩いてゆく。
そう大きくない部屋の先、パソコンデスクの前までたどり着くと、彼女は貴臣たちの方を向き直った。
「別にたいしたことじゃないわ。私たち『原種』は、死亡すると魔素による蘇生が始まるのはすでに知っているわね」
「ああ、俺も何度も死んだみたいだし」
「そのときに、精神的なショックや物理的に脳が損傷を受けた場合に人格が破壊されることを防ぐために、脳内――あるいは脊髄内とか神経節の別の場所のときのあるけど――人格の退避領域が設けられているの」
「退避領域?」
「要するにバックアップのようなものね。それで、あなたは現地人――パルドーサだったかしら、彼女と体が融合したことによって、この退避領域が占有されたままになっていたのよ。退避ができない人格では、記憶もバックアップされないわ。多分、死亡した魔法が発動したときも、その間のことは何も覚えていないのでしょう?」
「……確かに」
「要するにあなたを格納すべき領域に、パルドーサの人格が居座っていたということね。本来ならば、一人分の身体には一人分の人格しか、存在しないわけだから」
「それなら、なんで今、俺ら三人もこの空間に存在してるんだ?」
「それは……ここは私の肉体の中だから。増殖する肉体には、無数の神経節や脳が存在しているの。あなたの身体が、それらに触れたせいで、三人もの人格が一堂に会しているというわけなのよ」
「そうか……それなら、俺たちはずっとこのままってことか?」
「いいえ。あなたの肉体は、生命の危機に晒されると、自動的に魔法が発動するようになっているわ。だから――すぐに、私は消える」
ノンナはそう言って、寂しそうに笑った。
「短い間だったけど、同じ『原種』に会えてよかった。そして――さようなら」
その瞬間。
ブツン、と空間にノイズが走った。
耳に飽和したような異音が流れ込んできて、視界がぶれる。
「おわッ!?」
「キャッ!?」
強烈な違和感と眩暈を感じ、貴臣は目をつぶり、その場でたたらを踏んだ。
「な……なんだ?」
違和感は一瞬だったが、まだ頭がくらくらする。
貴臣は中腰のまま、おそるおそる目を開いた。
ノンナの姿は、すでに消えていた。
◇ ◇ ◇
はるか遠くに、ぽっかりと丸く削られた空が見える。
蒼く吸い込まれそうな空の外側は、ごつごつとした岩の影だ。
細くたなびく雲が、早く流れて行く。
弧を描いて飛んでいるのは、おそらく鳶の類だろう。
貴臣はそんな光景をただひたすら眺めていた。
というか、眺めていることしかできなかった。
身体がすさまじく重くて、指一本動かすのも億劫だ。
近くで見えるものは、くすぶる瓦礫だけだ。
何本のもの煙がゆらめきながら、青い空へと立ち昇ってゆく。
その爆心地の一番深い場所で、貴臣は仰向けに寝転んでいた。
「腹減ったな……」
口だけを動かす。
倦怠感で、それ以外のことができる気がしない。
もちろんその理由は分かっている。
貴臣の身体が肉塊に呑みこまれた後。
例のごとく魔法が発動して、ノンナの肉体もろとも地下施設を吹き飛ばしたのだ。
「お腹、減ったわね~」
隣で、パルドーサの声がした。
「ああ、早く帰って、熱々のステーキが食べたい」
「ホントね~。早く帰って、山盛りのサラダを食べたいわ~」
「ホントだ……ぜ?」
貴臣はパルドーサの返答に違和感を覚えた。
食べる?パルドーサが?
声は、隣から聞こえた。
仰向けになったまま、顔を横に向ける。
半身を起こした女性の姿が見えた。
銀髪で翡翠色の瞳、淡い褐色肌の女性。
貴臣の見慣れた虚像ではなかった。
「パルドーサ? その姿……」
「あはは……なんでか知らないけど、生き返っちゃたみたい~」
頭を掻きながら笑うパルドーサ。
「いや、それは嬉しいんだけど……なんで?」
「なんでだろ~」
二人の頭に?マークが浮かぶ。
しかし貴臣はそこで、ある可能性に思い当たった。
ノンナがどうしてあんなことになったのか、その原因に。
なぜ、彼女は増殖を際限なく続ける肉塊と化さなければいけなかったのか。
それは、回復魔法だ。
回復魔法が暴走して、無限に自分の肉体に掛かり続ける。
だがそのとき、それは何を核として回復するものなのだろうか。
そもそも、正常な肉体に掛かる魔法は何を頼りにして肉体を修復するのか。
それは、人格じゃないんだろうか。
貴臣はそう考える。
つまり、人格が二人分なら――回復の核は二つあったということだ。
彼女の肉塊の中でばらばらとなった肉体は、自分とパルドーサに分離した。
そして、どちらに分離しても、貴臣の身体であることには変わりはなかったということだ。
図らずも、ノンナの望んでいた、貴臣とパルドーサの分離は成功したというわけだ。
「……皮肉な話だな」
「なに~?」
「いや、こっちの話」
言って、貴臣は改めて空を眺めた。
こうやってぼんやりと雲が流れていくのを眺めていると、数千年の時の流れなんて、別に大したことでないように思える。
「おーーい」
小さな、しかし大声で呼びかけているだろう声が穴の底にこだました。
見れば、遠くの穴の縁で二つほど、小さな影が動いている。
「なあパルドーサ。リコッサとカトリナが手を振ってるぞ。俺らも振り返した方がいいかな?」
「そうね~。どうせそのうちここに降りてくるんでしょうし、寝ころんだままでいいんじゃない~?」
「だな。もう疲れて動きたくない」
「私も~。久しぶりに実体化して、身体が重いわ~」
「そんじゃ、寝とくか」
お互いの顔を見て、笑い合う。
それから、仰向けの貴臣は真っ直ぐ前を見た。
深い穴の底から見える空は、どこまでも落ちて行きそうな、まんまるの青だった。
了
これにて完結です。
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