第三十話 亀裂
一糸乱れぬ動きで、給仕たちが駆ける。
一瞬の出来事だった。
ある者はナイフを、ある者はフォークを、尖ったその先端部分をノンナ達の首に突き付ける。
給仕のうち二人が貴臣に背を向け、両脇に立つ。
両隣のノンナ達からかばうような格好だ。
「「「あなた方を傷つけることはしたくありません。タカオミ様とパルドーサ様を返して頂きます。大人しく私に従ってください」」」
給仕たちの口から、同時に言葉が発せられた。
「まさか」
貴臣の正面のノンナが呟いた。
「まさか」
さらにその隣のノンナが呟く。
「……カトリナなのね」
貴臣の右隣のノンナが苦々しげな様子でその名を呼んだ。
「「「お久しぶりです。みなさんはお変わりなく?」」」
四方八方で、同じ言葉が飛び交った。
その言葉に、ノンナ達の顔がみるみる歪んでゆく。
「どの口でそれを言うッ!!」
怒りのこもった声が響く。
それと同時にノンナの一人がどこから取り出したのか、ナイフを給仕に放った。
銀色の光が一直線に給仕の額目がけて進んでゆき――
キン、と鋭い金属音が弾けた。
それから、カラン、という音とともに、床にナイフが落ちる。
見れば、給仕が掲げた手には鉄製の盆が握られていた。
「「「あなたの手口はよく知っております。魔力を通した得物で刺し、相手の身体を操る。そう簡単にこの身体の支配権を明け渡す真似はしませんよ」」」
やはり同時に、四方八方から同じ言葉が発せられる。
ぎりり、と歯ぎしりをして、ノンナが黙り込む。
給仕たちに先ほどより深くナイフを突きつけられ、椅子に釘付けにされてしまう。
いくら回復魔法が使えるノンナ達とはいえ、喉を切り裂かれてしまえば、あるいは頸椎に刃物を突きたてられてしまえば、即座に蘇生することはできない。
彼女たちは観念したように、身体の力を抜いた。
◇ ◇ ◇
「ここならば、落ち着いて話ができますね。ちょうど、彼女もいますし」
「ふざけないで。拘束を解きなさい」
「こんなことしてただで済むと思っているのかしらぁ?」
ノンナ・ルキーニシュナ・カリーニナの入ったチャンバーを背に、カトリナが言った。
彼女の眼前には、拘束されたノンナ達。
古城の地下深くに建造された冷凍処置室は魔素をシャットアウトした空間だ。
魔法が使えなければ、いかにノンナ達といえどただの人間に過ぎない。
目の前で騒ぎ立てる彼女たちを眺めながら、貴臣は先にカトリナとともに地下に入っていたリコッサに話しかけた。
「おい……一体どうしちゃったんだ? ていうかさっきからアレ、ホントにカトリナさんなの? さっきまでリコッサに置いてかれて死にそうになってたよな? なんか頼もしすぎない?」
「わたしが知ってるカトリナはただのカストラの街の長よ。まあ、頼りになるかは置いておいて……物知りなのと魔法をちょこっと使えることぐらいしか知らないわ。ていうか何この空間? 冷凍処置室って言ってたけど。見たことないモノばかりだわ」
「そういや、リコッサはこういうの初めて見るのか」
「カトリナがさっき言ってたけど、古代の施設なんだっけ?」
「まあ……一応そうだな」
ひそひそと小声を交し合う。
二人の眼前では、カトリナとノンナたちの押し問答が続いていた。
「――あなた方のお気持ちは分かります。ですが、関係ない方を巻き込むのは止めて下さい。私の知っている人々ならば、なおさらです」
「カトリナ……お前が――いえ、お前たちがそんなことを言う資格なんてあるの? 私達を――世界をこんなにしたお前たちが、それを言うの?」
『お前たち』。
貴臣の頭に疑問符が浮かぶ。
確かにさっきまでの『カトリナ』は、『お前たち』だ。言葉としては、適切だろう。
しかし今、ノンナの言葉が指し示すであろう「カトリナ」は――一人だ。
それじゃあ、「たち」とは、一体誰なのか。
「世界を変えたのは……私ではありません。私はこの施設を管理、維持することだけを目的に、生まれたのですから」
カトリナが言った。
「いいえ。我々人間から見れば――お前たちに区別なんかないわ。個性があろうがなかろうが、施設を管理していようがしていまいが、全て同じ。魂を持たない人工知能に違いなんてないわ」
ノンナの一人が吐き捨てるように言った。
人工知能。彼女が?
貴臣はこれまでのことを思い返してみたが、どの記憶でも、カトリナは血の通った人間だった。
蜂蜜色の綺麗な髪をしていて、透き通るような碧眼で、多少人間離れした美貌だったかもしれないが――多少物知りで、魔法を教えてくれて、仕事に追われて寝不足のあのカトリナが?
だが、貴臣はその可能性を否定することができなかったのも事実だった。
パルドーサを分離する方法をすでに知っていたからだ。
――脳から存在を抽出して、新しい身体に移植する。
それは理論上、元ある人格だけでなく、架空の人格でも可能なはずだ。
たとえそれが――この施設を司るAIだったとしても。
「あなた……どこぞの街で人間の振りして一丁前に町長なんかやってるらしいわね。もともとここで眠っていた人たちの認識票だった〈刻印〉を現地人に付けたりしてみたり、なんの真似かしら? 人間を支配して、管理して、飼ってでもいるつもりなのかしら?」
「私は人間の役に立つために生まれた存在です。適切に魔素の恩恵を受けられるように、人々に〈刻印〉を施すのは当然のことです」
「それならば、私達を殺して人類の役に立ってみせろッ!」
部屋中に怒声が響き渡る。
「それはできません。私に人間を殺す権限はありません。先ほどのことも、何かあったとしても、魔素で回復ができると判断してのことです。ですが、ここではそれは不可能です」
淡々と、しかしはっきりとした意思を感じさせる声色で、カトリナが言った。
やはり、貴臣には彼女が人間だとしか思えなかった。
「それで? カトリナ、あなたは私たちをどうしたいのかしら?」
ノンナの一人が問いかける。
「どうもしません。ただ、この場からタカオミ様やパルドーサ様、リコッサ様を帰して頂ければ結構です」
「それは無理な相談ね。やっと見つけた『原種』ですもの。しかも、私達を殺すことができる唯一の手段なの。あなたなんかに渡すものですか」
「今でなくては、駄目なのでしょうか。それに、まだ他に手はあるかもしれません」
「そういってすでに何百年が経ったと思っているの!? もう打つ手なんて、一つも残っていないのよ」
最後の言葉は、吐き捨てるような、嘆くような呟きになっていた。
「無限に増殖するだけの肉の塊になって、脳も神経もめちゃくちゃになって、それでも死ねない。永遠に苦痛にさいなまれるだけの存在になるのよ。おまけに、増殖するために他の物質を取りこんで、どんどん増えてゆくのよ。そのうちこの地を全て呑み込むわ」
「手は……きっとあります。私が、見つけてみせます」
カトリナが、力強く諭すように、彼女たちに声をかけた。
――その時。
ぽーん、と音が響いた。
エレベーターの到着を告げる、電子音だ。
貴臣が振り向く。人影が見える。
そこには、先ほど食堂で見かけた女給が一人、立っていた。
手には、薄緑色をした小瓶が握られている。
「んふふ。カトリナ。詰めが甘いわぁ。きちんと支配権を奪ったままだったら、よかったのにねぇ」
ノンナの一人が含み笑いをする。
カトリナの顔が焦りの表情に変わる。
「まさかそれは……いけません! ここでそれを使ってはなりません!」
「高地で魔法を使うために、魔素を貯める瓶。これってカストラの売れ筋商品じゃなかったぁ?」
女給が、瓶を手に、大きく振りかぶり、投げた。
瓶は大きな弧を描いて、貴臣達に向かって飛んでくる。
ぱりん。
近くの機械にぶつかり、割れた。
瞬間、薄緑色の靄が周囲の拡散する。
魔素の色だ。
「この閉鎖空間なら、別に脳が半分他人の『原種』でも、十分役に立つわ」
ぱりん。
硝子の割れる音が、もう一度響いた。
貴臣は音のした方を向いた。
見れば、チャンバーの窓に幾筋もの亀裂が走っていた。
最近遅くなりがちですいません。
次話も一週間ほどかかるかもしれませんが、お付き合いいただければ幸いです。




