第二十九話 レッツ・ゲット・デンジャラス!③
肉を焼いた、香ばしい匂いが鼻腔をくすぐる。
色とりどりのサラダやスープが、目に眩しい。
テーブルにはたくさんの食べ物が盛られ、貴臣の鼻を、舌を、耳を、誘惑する。
「こちらは、朝狩りたての翼龍ステーキ、ポテトと香草添えでございます」
側に立つ執事が、抑揚のない声でメミューを告げた。
眼前に、まだ熱い鉄板がコトリと置かれる。
じゅうじゅうと肉汁が弾ける。
貴臣はこらえきれず、ごくりと唾液を飲み下した。
だが、その魅惑的な料理の向こう側に目をやると――それらはたちまち色を喪ってしまった。
「何日も寝ていたんだし、お腹も空いているでしょう。そう思って沢山用意したわ」
「たくさんたべてねっ!」
「んふふ。この前は悪いことしちゃったわねえ」
貴臣とテーブルを隔てて向かいに座るノンナが声をかけてきた。
彼女の右隣には、幼い姿のノンナ。天真爛漫な笑顔だ。
左側には、妙齢のノンナが艶やかな笑みを浮かべている。
もちろん貴臣の両隣も、その隣も、さらにその向かい側も、全部ノンナだ。
大きな食卓を囲む貴臣とパルドーサ以外の全員が、年齢のバラつきこそあれ、黒髪碧眼、同じ顔をして、彼に微笑みかけている。
食事は最高に美味しそうだ。
腹も、これ以上ないくらい減っている。
しかしそれでも――その光景に、貴臣は頭がおかしくなりそうだった。
「やべえ……カトリナさんには悪いけど俺、もう限界かもしれん……」
『ちょっとタカオミ~! それじゃあ作戦がご破算よ~!?』
「クソ……耐えるしかないのか……」
頭を抱え、俯く。
それから誰にも気づかれないように小さくため息を一つ吐いた。
横では、パルドーサが真剣な顔をして、貴臣を見つめている。
「……仕方ない」
貴臣は気付けに両手で頬を張ると、目の前の肉を切り分け、口に運んだ。
歯で肉の繊維を断ち切り磨り潰し、喉の奥に押し込んでゆく。
味は分からなかった。
◇ ◇ ◇
「私はこれから地下に潜り、ノンナ――ノンナ・ルキーニシュナ・カリーニナと話をしにゆきます」
話しは少し遡り、客室での事。
カトリナはそう言って貴臣を見据えた。
沈黙。
「今……なんて?」
貴臣はカトリナの発した言葉の意味をはかりかね、聞き返した。
「ちょっと? どうしたのタカオミ? パル姉も何よその顔」
貴臣とパルドーサの顔を交互に見て、リコッサが怪訝な顔をする。
「ここの給仕はみんな地下のことを知ってるんですか?」
「……少なくとも私はよく知っていますよ。あの子たちのお世話は私の役目でしたので」
「じゃあ、ここが冷凍処置の為の施設だってことも?」
「はい。すべての期間ではありませんが、私が管理しておりました。」
「ということは……ノンナが何千年も前の人間だってことも知ってたんですね?」
「はい。タカオミ様は……すべて知ってしまわれたのですね」
カトリナが少し困ったような顔で貴臣を見た。
「……過去に何があったかとか、ノンナたちの身に何が起こったのかとか、そういうことは分からないです。まあ、俺も今よりずっと昔の人間だったのにはちょっとびっくりしたけど」
「そうですか」
なぜかほっとした顔をして、カトリナは先を続けた。
「あの子は、タカオミ様が必要なんです。いえ、正確には、タカオミ様の持つ能力が必要なんです」
「死んで発動する魔法のことですか? 確かにとんでもない威力ですけど、俺一人の力でできることなんて、せいぜい氷河がちょっと崩れたりする程度ですよ?」
「確かに、今のタカオミ様の状態ではそうかも知れません。ですが、タカオミ様の脳のうち、パルドーサ様が占有している領域を魔法発動に割り当てることにより、その威力は何十倍にも跳ね上がります」
「……ノンナは俺の魔法を使って一体何をしようとしているんですか? 世界征服でも企んでるんですか?」
貴臣の問いに、カトリナはこう答えた。
「いいえ。あの子……ノンナは、自分を殺してくれる人を探していたんです」
「え……?」
予期せぬ答えだった。
ならば、なぜチャンバーに入ってまで命を長らえようとしているのか。
「タカオミ様もご自分で体験されたかと思いますが、旧人類とされる人々は、魔素のあるこの世界では滅多なことでは死ぬことができません。ですが、あの子の能力はさらに特別でした。それは、常に身体に回復魔法がかかり続ける能力。肉体が一片と成り果てても、そこから完全な状態まで回復してしまうのです。しかし、加齢自体は通常通り進んでゆく。どんなに年老いても、命だけは落とすことはありません」
「それは……キツいな」
「それだけではありません。加齢で劣化した肉体は、放っておけば回復魔法の誤作動が起こり暴走してしまうことが分かったのです。つまり、肉体が原形を保つことができず、際限なく増殖してしまうのです。これを防ぐための苦肉の策が、あのチャンバーです。あの子は、あそこからもう一歩も出ることはできないのです」
「要するに心中相手を探してたってことか」
「ある意味、そうですね。もちろん、私は反対しました。自分の主を殺す相手を探すなんて、とても受け入れることはできません。しかしある日――それを理由に、私はここを追い出されてしまったのです」
カトリナはさらに話を続ける。
「彼女が死ぬためには、身体の一片も残さず瞬時に消え去る必要があります。そして、それが可能なのが、唯一タカオミ様の魔法だけなのです」
「……でもそれなら、カトリナさんがノンナと話をしたところで、何の解決にもならないのでは?」
貴臣が疑問を投げかける。
「おっしゃる通りです。しかし、そのためにタカオミ様とパルドーサ様を分離するということは……地下をご覧になって、あの子と話をしたということは、どういうことかもうすでにご存じですよね」
「ああ。それは絶対にダメだ」
「彼女の意思は、尊重されるべきです。しかし、そのために無関係な人の存在が脅かされるのは許されるべきではありません。昔の馴染です。間違った行いは正さねばなりません」
「ですから」カトリナは続けた。
「彼女を説得している間、時間を稼いでください。可能ならば、施設の管理権限を奪います」
◇ ◇ ◇
晩餐会は滞りなく進んでいった。
サラダを食べ、スープを飲み、ステーキに舌鼓を打つ。
会話に、花が咲く。
貴臣は時折話しかけてくるノンナ達に適当に相槌を打っていた。
「なあ、パルドーサ。カトリナ達はうまくやってるかな」
『リコも一緒だし、大丈夫だと思うわ~』
俯いて、ひそひそと小声を交わし合う。
ノンナ達は互いのお喋りに夢中で、二人の様子に気付くそぶりはない。
給仕たちは、空いた皿をどんどんと下げていった。
テーブルから余分なものが消え去ると、いよいよデザートだ。
「本日のデザートは、近くの山々で採れた果物のジェラートでございます。ふんだんに果汁を使って――」
執事がデザートの説明を始めていた。
後ろを見ると、女性の給仕たちがいそいそとデザートを運んできている。
朱に橙、紫に桃色。
色とりどりの美味しそうなジェラートだ。
「まあ、とりあえず甘いものなら多少は味が分かるだろ」
緊張のあまりほとんどの料理の味が分からなかった貴臣だったが、氷菓の類ならちょっとは味わえるだろうと、期待を寄せていた――その時。
がしゃん、と音がした。
貴臣が音のする方を見やった。
給仕達の手から、ジェラートが滑り落ちていた。
足元には、カラフルな水玉のような氷菓がぶちまけられている。
「おい? どうしたんだ」
給仕達の動きが、停まっていた。
まるでネジが切れた人形のように、瞬きもせず、その場で硬直している。
「おい?」
貴臣の側に立つ執事も、デザートの説明を途中で止め、まるで蝋人形のようにその動きを停めていた。
「おいノンナ。これはどういうことだ?」
「あら……どうしたのかしら」
「直近の当番は誰でしたっけ」
ノンナ達も困惑しているようだ。
互いに顔を見合わせ、口々に言葉を交し合っている。
貴臣とパルドーサも、この奇妙な光景を前に、顔を見合わせるしかなかった。
――と、唐突に執事と給仕達に動きが戻った。
「「「失礼致しました。代わりのジェラートは、すぐにお持ち致します」」」
「……お願いね。ジェラート、楽しみにしてるわよ」
執事と給仕が、謝罪の言葉を述べる。
動き出した彼らの姿を見て、ノンナがほっとしたように息を吐いた。
「「「申し訳ございません。しばらくの間、ご歓談をお楽しみください」」」
貴臣とパルドーサは、顔を見合わせた。
「……なんか、おかしくないか?」
『別に~? さっきはちょっとビックリしたけど~』
貴臣は、一瞬覚えた違和感の正体を確かめようと、彼女らの挙動を見守った。
給仕たちは、一糸乱れぬ仕草で、床に落ちたジェラートの掃除をしている。
執事は、相変わらず側に立ったままだ。
何も、おかしくはない。
何も。
「いや……何だこれは」
給仕たちは、その全員が、全く同じ挙動でジェラートの掃除をしている。
足元が汚れていない給仕も、同じ挙動をしている。
「なんだ、これは」
貴臣は得体のしれない何かを感じて、鳥肌が立つのを感じた。
ノンナ達も、怪訝な顔で、彼ら彼女らの動きを見守っている。
やがて掃除が終わると、給仕たちは一糸乱れぬ動きで、その場で姿勢を正した。
貴臣の側に立つ執事も、同じ姿勢を取った。
それから、彼らは、全く同じタイミングで口を開いた。
「「「お疲れ様でした。タカオミ様、パルドーサ様。今すぐ、この城を出ましょう」」」




