第二十六話 昔々の昔
『――まずお断りしておきますが、私もすべてを知っているわけではありません。これは、この施設に記録された情報や周辺を調査した結果に基づいて、私が導き出した一つの結論です』
抑揚のない合成音声が、貴臣に語りかける。
『私がここで冷凍処置を受け眠りに就いたのは、西暦二〇三五年のことでした。そして、目覚めたのは――』
鉄のゆりかごで眠る老婆の口に取り付けられた呼吸器から、ごぼりと空気の泡が湧きだした。
『西暦五〇四六年のことでした』
◇ ◇ ◇
なぜこれほど長い間、私が眠ることになったのか。
施設内の記録によれば、二〇五〇年代に大きな戦争があり、それ以降この施設は処置中の我々をのぞき完全に無人となっていたようです。
施設が無人となった後は、コンピュータ内に存在するAIがすべてを管理していました。
温度管理に保守点検。
驚くべきことに、劣化した部品の交換やエネルギー調達なども、独自に機械を作り出し行っていたそうです。
そして誰も、誰の蘇生指示を出すこともなく、数千年の時が経過したのです。
しかし――この完璧な施設にも、ついに終わりが訪れました。
地殻変動です。
この地は、太平洋周辺のような火山帯などに比べ地震の頻度は少ないものの、全く無いわけではありません。
数千年に一度や二度、破滅的な地殻変動が起きてもおかしくはなかったのです。
そして――それが我々の目覚ましとなるには、十分でした。
私は目覚めました。
格納されていた鉄棺の気密扉が破損して、外から魔素が侵入したせいで。
当時の状況は酷いものでした。
直接、破壊に巻き込まれた者。
緊急蘇生処置がうまくいかず、気密を保った鉄棺内でそのまま朽ち果てた者。
ある区画では電源供給を断たれたせいで蘇生処置が行われず、ゆっくりとただ解凍されただけの者。
いくら『原種』が死んでも蘇生するとはいえ、跡形もなく消え去ったり、脳が損傷を受け過ぎた場合は蘇生ができなくなるようです。
――結局、生き残ったのは私だけでした。
それが幸運だったのか、不運だったのかは今でも分かりません。
その後、私はこの施設を拠点として、周辺を調査して回りました。
世界は一変していました。
見たことのない生物。
見たことのない人類。
――私の知る世界はすでに消え失せていました。
それと、人類がいたのになぜこの場所が荒らされることなく存続し得たのか。
ここは、岩山の上に築かれた古城を改装して作られた施設です。
それに周囲百キロ四方は険しい山岳地帯と荒れ地に囲まれた無人地帯です。
しかし、誰かが足を踏み入れる可能性もあった。
それが数千年の間、荒らされることなく静かに我々の目覚めの時を待っていたのです。
その理由は、調査ですぐに明らかになりました。
私達が生きていた時代と比べ、大幅に文明が後退していたのです。
それこそ、中世に逆戻りしたかのように。
村や街はまばらで、飛行機も、自動車も何もない。
多くは徒歩で、乗り物としてもせいぜい馬車がある程度です。
しかし、代わりに我々の時代と異なる技術が発達していました。
それが『魔法』です。
大気中に存在する『魔素』を媒介として発動する、『魔法』。
私自身も、すぐに自分が魔法を使えることに気付きました。
私は、私と同じような『原種』を探すことにしました。
幸い食料や日用品の備蓄は数百人が数十年間生活できる分はありました。
それに私の後に処置に入った人々は裕福な者ばかりだったのでしょう、莫大な財産が施設に蓄えられていました。
気が咎めなかったかと言われれば嘘になりますが、すでにそれらを使う人はこの世にいなくなってしまったのです。
ありがたく使わせてもらうことにしました。
仲間を探して、あてのない旅をする毎日。
旅から帰ってきては、その結果を検証する。
施設に残された記録や、周囲の新人類たちから得た情報を元に、さらに遠くへ旅に出る。
その繰り返しでした。
肉体が限界を迎えると、私はこのチャンバーで生命を維持しつつ、体細胞で作ったクローンを使い、さらに『原種』の捜索に力を入れました。
――そして、三百年が経過しました。
クローンは幾度となく代替わりし、時によってはその数を増やしてみたりもしましたが、一向に手がかりを見つけることさえできなかったのです。
しかしひと月ほど前、ついにその手がかりを――いえ、『原種』そのものを見つけたのです。
◇ ◇ ◇
それがあなたです、と無機質な合成音声が告げた。
沈黙が、辺りを支配する。
チャンバーが放つ低く唸るような機械音だけが、空間を薄く満たしていた。
「俺は……どうやって死んだんだ」
貴臣が、重々しく唇を動かした。
『……わかりません。施設は世界で起きた細かい事件や事故を記録しているわけではないからです。しかし、あなたの遺体が発見された場所から鑑みるに、登山中の遭難事故あるいは飛行機の墜落事故等が考えられます。二〇五〇年代以降、地球規模で寒冷化が起こった記録があります。それゆえ、氷河が消失せず、適切な保存状態が保たれたのでしょう』
合成音声が淡々と告げる。
「……死ぬ直前の記憶がない以上、それくらいしか分からないか」
息をひとつ吐き、貴臣は肩をすくめた。
『お力になれず、申し訳ありません』
詫びの言葉も、相変わらず感情のない声だった。




