第二十三話 ドーン・オブ・ザ・龍狩り⑥
ぼおおおおおおおぉぉぉぉぉ――
咆哮が空気を揺るがす。
それとともに、異形の歪な前肢が貴臣に振り下ろされる。
「危ねえっ!?」
貴臣は横っ飛びに体を投げ出し、転がった。
一瞬遅れて、ずん、と地面に衝撃が走る。
衝撃で土や小石が跳ね上げられ、頬をかすめてゆく。
「クソ……っ!」
見れば、さっきまで居た場所にクレーター状の陥没孔が形成されている。
あのまま躱しきれず、打撃を喰らっていたら……
貴臣の背筋に、氷水を流し込まれたような怖気が走った。
一方、異形の前肢もその衝撃に耐えきれなかったようだ。
ただでさえ歪な腕のあちらこちらが崩壊し、中身の肉が露出している。
ぼおおおおおぉぉぉぉぉ――
嘆くような咆哮が辺りを揺るがす。
それと同時に、片方の腕の支持を失った異形がふらついた。
「今だッ!」
「もう一度肢をへし折ってやるばい!」
貴臣以外の面々も、手をこまねいていたわけではない。
この状況を好機とみるや、グラモスとガレミスが一挙に踊り出た。
そしてグラモスは大剣を腹に、ガレミスは戦鎚を後肢に、それぞれ同時に打ち込んでゆく。
直後、鈍い湿った音が辺りにこだまし、異形がゆっくりと横倒しになった。
その腹には黒々とした裂け目が生まれ、後ろ肢は異様な方向に捻じ曲がっている。
いくら異形とはいえ基本的な形状は酔龍のそれである。
致命傷には十分に過ぎる深手を負わせたはずであった。
「やったか……?」
グラモスが呟く。
一方、黒衣のノンナはこの状況にもかかわらず、大した反応を見せない。
にやにやと、事の成り行きを眺めているだけだ。
「……?」
その様子を訝しむ貴臣達だったが、すぐにその理由が判明することとなった。
異形は、再生していた。
グラモスの負わせた斬り傷から、傷口からミミズのような触手が無数に湧き出ている。
それらが絡み合い、まるで縫合するかのように傷口を塞いでゆく。
ガレミスの叩き折った後肢も、めきめきと音を立てながら在るべき方向へとその向きを正していった。
「これも……回復魔法の効果ってわけか」
苦々しげに貴臣が呟く。
黒衣のノンナはそれが答えだと言わんばかりに口の端を吊り上げた。
「なんつーマネを……」
再びグラモスが、ガレミスが、異形に攻撃を仕掛ける。
それに加えてリコッサが短剣を頭部めがけて投げ、他の蜘蛛族達も弓矢で援護する。
こうなれば総力戦だ。
だが異形の酔龍は、刀傷を、矢傷を、たちどころに回復してしまう。
攻撃を受けた時こそふらつき、その動きを止めるのだが――少しすると、また何事もなかったかのように襲いかかってくる。
「クソ……これでは埒が明かんな」
「叩いても叩いても回復されるばい!」
さしものグラモスにも、ガレミスにも焦りの色が見えはじめていた。
決定打がないのだ。
こちらの攻撃手段ではいくら果敢に攻め立てようとも、まるで効果がない。
一方、異形の攻撃力は決して侮れるものではなかった。
前肢による叩きつけに、なぎ払い。
ぶちかましに、後肢による踏みつけ。
動作こそ緩慢ではあるものの、その巨体から繰り出される攻撃は強力だ。
一撃でももらえば、土と砂利にまみれた肉塊と化すのみである。
そして――そのすべての攻撃が、貴臣だけに向けられていた。
まるで他の面々が存在しないかのように、執拗に貴臣だけに襲いかかってくる。
グラモスやガレミスが攻撃がを加えようとも、異形は見向きもしない。
「これじゃあジリ貧じゃねえか……くそ、どうする?」
「んふふー。どうしましょうぅ? どうしたらこの子を斃せるでしょうぅー?」
すんでのところで前肢によるなぎ払いを躱して、貴臣が呟く。
その様子を見ながら、黒衣のノンナが愉しげに嗤う。
――分かっている。
おそらく――こいつは俺が死ぬところを見たいんだ。
死んで、発動した召喚魔法でこのバケモノを消し飛ばすところを見たいんだ。
そういうことなんだろう。
でも――リコッサの話では、少なくとも氷河を崩壊させるだけの威力を発揮するらしい。
こんな森の中なら……完全にみんなをを巻き込む形になる。
それに次も確実に魔法が発動する保証もない。
ただ死ぬだけの可能性も――ないわけじゃない。
「くそッ、どうすれば……」
執拗に繰り出される攻撃を躱しつつ、考える。
一撃でこのバケモノを消滅させる方法――あるいは、動きを止める方法でもいい。
何か――何かないのか。
何か――
その方法を最初に思いつき、実行したのはリコッサだった。
「コイツが止められないなら、元を断つのみよ!」
そう言って、短剣を投げ放つ。
狙いは――異形の陰で不敵な笑みを浮かべている黒衣のノンナだ。
「あっ、オイ待てって! そいつが死んでアレが制御を失ったらどうするんだ!?」
だが、貴臣が叫んだのはそれが彼女の手を離れたあとだ。
短剣は虚空をまっすぐ切り裂いてゆき――黒衣のノンナの胸に深々と突き刺さった。
「んぐ……」
くぐもったうめき声を上げ、黒衣のノンナがよろめく。
苦しげに顔を歪め、血を吐く。
そして――
「んふふ。んふふふ、んふふふふふふふふふ」
彼女の顔に笑みが浮かんだ。
口の端と端だけを吊り上げた、気味の悪い笑みだ。
それから胸に突き刺さった短剣をずるりと抜き取った。
「やっぱダメか……」
リコッサも内心分かっていたようだ。
小さく舌打ちするのが貴臣にも分かった。
「だめよぅ。こんなのでわたしが死ぬわけないじゃないぃ。こんなみみっちいモノでぇ? 冗談にもほどがあるわぁ」
せせら笑いを浮かべて、短剣を持ったまま大きくかぶりを振ってみせる。
それからリコッサを一瞥した。
「でもぉ」
黒衣のノンナの顔が歪む。
「あんたぁ、ムカつくわぁ。普通、前座を倒してから、それからボスに挑むものじゃないのぉ? 礼儀がなってないわぁ。なってないわよぉ、アナタぁ。礼儀も知らない虫ケラなんかぁ……」
彼女の手が開かれる。
青白い指先から短剣が滑り落ち、地面に刺さった。
「さっさと死ねよ」
言葉とともに、異形がゆらりとリコッサを向く。
それから彼女めがけて一気に跳躍した。
「なっ!?」
さきほどまでの鈍重な動きからは想像できない俊敏な動作だ。
リコッサは一瞬だけ反応が遅れた。
「リコッサ! 逃げろ!」
貴臣が叫ぶ。
それと同時に駆け出す。
リコッサが我に返り、踵を返す。
異形が空から襲いかかってくる。
『タカオミ、リコッサが〜!』
「分かってる!」
パルドーサが叫ぶ。
貴臣も叫び返す。
時間が――ない。
異形が歪な前肢を、虚空で振りかぶる。
影が、リコッサを捉えた。
そのまま勢いをつけて叩きつけ――
「あああああああああぁぁぁぁぁ!」
貴臣の手が、間一髪のところでリコッサを突き飛ばした。
直後、今までにない猛烈な衝撃が貴臣を襲った。
体がびりびりと震える。
小石や泥が頬を打つ。
突き飛ばした勢いで、貴臣はそのまま地面に倒れこんだ。
ややあって、貴臣は倒れこんだまま顔を上げた。
衝撃のせいか、体が痺れたようで動かしづらい。
視界の真ん中に、尻もちをついたリコッサが見えた。
――よかった。リコッサは無事か。
でも、何でそんな驚いた顔をしてんだよ。
口に手なんか当ててさ。
さっきの攻撃に驚いたのか。
涙なんか浮かべて。
よっぽど怖かったのか。
パルドーサもだ。
こっち向いて、何か言ってやがる。
でも――あれ?
なにも聞こえない――
二人してこんな時に、俺のことからかってるのか?
人のこと、指さすなよ。
俺は大丈夫だか、ら――
貴臣はため息をひとつ吐いて、体を起こそうとした。
息苦しい。
体が、ピクリとも動かない。
おかしい。
金縛りか?
訝しんだ貴臣は、唯一動いた首を回して、自分の体を見た。
下半身が、無かった。
本来足腰があるべきところには、土と石にまみれた肉塊があるだけだ。
その奥には、ヒトと龍を繋ぎ合わせた、異形の影が見える。
――あれ? 俺の、足……腰も……な…………
……………………。
…………。
「んふふふふ、んふふ、んふふふふ」
黒衣のノンナが嗤う。
楽しくてしょうがない、と言ったような、含みのある嗤いだ。
「さぁさぁさぁぁぁ、あなたの力を見せてちょうだぁい? 『タタリ』なんて呼ばれる素敵な魔法をぉ、今すぐこの場でぇ、今すぐぅ!」
直後、貴臣の死骸の下から光が湧き上がった。
それは、複雑な紋様を地面に描き出し、魔法陣となる。
そこから伸びた光の蔦が、一瞬で異形の腕に絡みつく。
貴臣を叩き潰した歪な腕が一瞬光り、爆散する。
ぼおおおおおぉぉぉぉ――
異形がよろめく。
失った腕を押さえ、吼えた。
飛び散った光の粒子は収束し、貴臣の欠けた部分を補ってゆく。
「ヤバいわ……」
リコッサは呟いた。
かつて見た光景が蘇る。
虎犬の群れを一瞬でを屠った暴虐の嵐を予感して、彼女はは後ずさった。
「んふふ、んふふ、んふふふふふふ」
黒衣のノンナは相変わらず嗤ったままだ。
森の上空には、巨大な魔法陣が出現していた。
樹冠の隙間からみえるそれは、空を覆い尽くさんばかりだ。
「みんな! 今すぐここを離れて! でないと、みんな死ぬわ!」
「どうしたんだ? タカオミの身になにが起こったんだ? それにこの空の光はなんだ?」
「お空、キレイばい……」
「いいから走って! ほかのみんなも!」
戸惑うグラモスやガレミスに、怒鳴る。
そして、自分も全力で駆け出した。
辺りを見回すと、巨木にどんどん光の蔦が絡みついている。
背後を確認すると、爆散し光の粒子と化した巨木の残骸が、天に昇ってゆくのが見えた。
やがて魔法陣の範囲を抜けると、森の奥で轟音が響いた。
巨木に阻まれその全容は分からないものの、何か巨大なモノが空に浮かんでいるのをリコッサは見た。
それから、異形の咆哮。
だが、直後に猛烈な閃光が走り、後から轟音と爆風が追いかけてくると、それも途絶えた。
森に静寂が戻った頃、リコッサ達は貴臣のいた場所に戻った。
「タカオミ? ……パル姉?」
そこには、何もなかった。
巨木、下草、岩に土、全部だ。
そこには巨大な陥没孔だけが、黒々とした口を開けていた。
リコッサはその縁に立って中を覗いてみたが、どのくらいの深さなのかさえ見当がつかなかった。
――もちろん、貴臣の姿も、パルドーサも、そして黒衣のノンナの姿もそこには無かった。
 




