第二十二話 ドーン・オブ・ザ・龍狩り⑤
貴臣は走った。
多分今までの人生の中で、一番走った。
すでに肺が焼け付きそうなほど痛む。
目の前もチカチカする。
それでも、足を止めることはできなかった。
「クソ……どこまでも追いかけてきやがる」
貴臣が後ろを振り返ると、少し距離を空けて酔 龍が追ってきているのが見えた。
とはいえ、ガレミスが粉砕した肢までは再生しきっていないのか、それほどの速さはない。
酔龍にとっては、ほとんど歩くような速度だ。
だが、森の中のことである。
木の根っこが張り出していたり、岩が転がっていたりして、まっすぐ進むことができない。
平地を走るような速度は出せないのだ。
かたや酔龍は、遅いとはいえ踏み出す一歩は、貴臣のそれとは数倍の差がある。
それゆえ、両者の距離が開くこともなかった。
『タカオミ~。その袋を捨てないと、キリがないわ~』
貴臣の横を飛びながら、パルドーサが心配そうにささやく。
しかし貴臣はかたくなにそれを拒否した。
「ダメだ、ダメだ、ダメだ。これは、絶対に渡さん」
『……まったく~。これだから男の子は~』
酔龍は徐々に距離を詰めてきている。
というより、貴臣の速度が疲労により落ち始めていた。
もう一度貴臣は振り返った。
酔龍のさらに後ろに、リコッサとガレミスが一緒に追ってきているのが見える。
頭上には、グラモス達ら蜘蛛族の面々が木々を伝ってきているのが見える。
――やっぱり、酒袋なんて捨てて行った方が……
貴臣の頭に若干の後悔の念がよぎる。
――と、その時。
「おわッ!?」
貴臣は突き出た岩に足を取られ、転んだ。
走った勢いは殺すことが出来ず、二度三度、地面を転がる。
そして正面の木の幹にしこたま体をぶつけ、止まった。
激突の衝撃で、肺から空気が絞り出される。
頭も強打したのか、星がちらつく。
「いってぇ……」
貴臣が頭に手をやると、ぬるりとした生暖かい液体の感触がある。
まさか。
慌てて手を見る。透明な液体だ。
――これは、唾液?
『タカオミ! 前~!』
パルドーサの声に、はっと顔を見上げる。
酔龍の巨大な牙が、貴臣に迫っていた。
「…………は?」
だが彼の目は――その絶体絶命の危機を見据えてはいなかった。
その背後の、空を飛んでいるガレミスに向けられていた。
「あああああああああああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!!」
雄たけびを上げ、戦 鎚を振りかぶって、ガレミスが向かってくる。
すごい速さで貴臣に接近してくる。
直後、ガレミスが戦鎚を振り下ろすのが見えた。
ばかんと鈍い音がして、酔龍の頭蓋が陥没する。
飛沫が顔に掛かる。
真っ赤な血と灰色の脳漿が混じった、熱い飛沫だ。
そして――頭部の厚みが半分になった酔龍は、ゆっくりと横倒しになった。
「ふーっ、危なかったばい。もうちょっと遅ければ、食べられるところだったとよ」
「まったく……もうちょっと考えて行動しなさいよ」
ガレミスは戦鎚を酔龍の頭から引き抜くと、とことこと貴臣のもとに歩み寄った。
見れば、リコッサも側に立っている。
「ガレミス……リコッサ……どうやって?」
確か、二人とも酔龍の後ろにいたはずだ。
貴臣には、そう見えた。
「あー、それね。グラモスと同じことをしただけよ。木の枝に糸を引っかけて、一気に距離を詰めたの」
「リコッサがわたしのことを抱えて、ここまで投げてくれたとよ。楽しかったばい!」
要するに、木の枝を支点として投石器のようにガレミスを投げ飛ばしたのだ。
その際の落下の位置エネルギーと、慣性エネルギー。それにガレミスの得物の重量。
なるほど、いかに酔龍といえどもこれに耐えられるはずもない。
昨日の森で、最初に頭を吹き飛ばされた死人の様に、脳を破壊されれば動きを停めるのだ。
貴臣は、そう解釈した。
周りを見回すと、他の面々も集まり始めていた。
見れば、逃げ遅れたノンナと、カイという男もいる。
「……あんたらはディルクと逃げなかったのか?」
「いえ……情けない話なのですが、この森のことを熟知しているのは龍狩り経験の長いディルクとエッボだけでしたので……私達だけでは迷ってしまうのです」
「エッボは……どうしたんだ?」
「私の回復魔法でも、下半身を失った人体を再生することまではできないのです。ですからエッボ様は……」
「そうか……悪い」
ノンナは目を伏せた。
貴臣は飲食店での出来事を思い出した。
ノンナはエッボに拾われたと言った。
貴臣から見て、ノンナはかなり酷い扱いを受けているように見えたのだが、それでも彼女なりに恩義を感じていたのだろう。
さすがに死んだ者のことまで、悪くいう気は起きなかった。
「それじゃ、帰りましょうか」
『カストラの街が恋しいわ~』
リコッサが、うーんと伸びをして言った。
パルドーサも、どことなく疲れた口調で同意する。
隣のガレミスもはしゃぎすぎたのか、ちょっと眠そうだ。
「ああ、もう疲れたよ」
貴臣も、それに応じる。
それから酔龍の血で汚れた顔を拭い、立ち上がった。
――と、その時。
「あらぁ、寂しいわぁ。 もう帰っちゃうのぉ? 私ともうちょっと遊んでいかないぃ?」
どこからか、女の声がした。
「誰だ!?」
貴臣が、声のした方を向く。
見れば、少し離れた巨木の脇に黒衣の女が立っている。
黒髪碧眼の、美しい女性だ。
しかし、その容貌とは裏腹に、貴臣はその女からは妙な妖気が発せられているのを感じ取っていた。
まるで底冷えする地下室に閉じ込められたような、嫌な感覚だ。
「あんた……何者だ」
貴臣の問いかけに、女は答えない。
ニイ、と口の端を歪めただけだ。
「ノ、ノンナお姉さま……なぜここに……?」
「あらぁ? あなた、こんなところで何をしているのぉ?」
震える声でその答えを発したのは、意外にもディルク達と行動を共にしていた少女、ノンナだった。
「えっ? お姉さま? 同名? どういうこと……?」
混乱する貴臣らをよそに、黒衣のノンナは話を続けた。
「んふふ。面白いわぁ。廃棄したはずの貴方が、できそこないの貴方がぁ、まさか龍狩りなんてしてたなんてぇ。すっごく面白いわぁ。……それで、あのエッボとかいう男は、救えたのかしらぁ?」
「それ、は……」
唇を噛み、下を向く少女ノンナ。
「まあ、別にそれはどうでもいいのよぉ。半端な回復魔法しか使えないあなたには興味ないしぃ。それに今日はぁ、そこにいる『タタリ』のお兄さんと遊びにきたんだからぁ」
言って、黒衣のノンナが貴臣を指さした。
「はぁ? 俺?」
貴臣も、自分で自分を指さす。
――意味が分からない。
俺と、遊びに来た? 何を言ってるんだこの女は?
「そうよぉ。 でも、遊んでもらうのはこの子とよぉ」
黒衣のノンナが大仰に手を振りかぶり、彼女の背後を指し示した。
彼女の背後――木立の奥に、巨大な影が見える。
ダンプカーのごとき巨体。
羽毛に覆われた体躯に、強靭な後肢。
酔龍だ。
「なっ!? 酔龍? まだいたのか!?」
貴臣の横でグラモスが驚きの声を上げる。
その酔龍はどこかおかしかった。
まず――首から上が無い。
正確には、首から上にこぶのような肉塊が一つついている。
それに、前肢。
貧弱なはずのその前肢が、異様に大きい。
それに歪に捻じれて、ささくれ立っている。
その前肢が地面に付き、四足の状態になっている。
「なによ……アレ」
リコッサが呆けたように口を開けた。
「んふふ~。これぇ、私の自信作なのよぉ。回復魔法もこんな素敵な活用方法があるのよぉ? たっぷり愉しんでいってねぇ」
黒衣のノンナの顔が凄絶に歪む。
笑みを浮かべているようだが、まるでそうは見えない。
異形の酔龍が地響きを立て、貴臣に近づいて来る。
うめき声の様な、嘆くような奇妙な鳴き声を上げながら、こちらに向かってくる。
やがてその全貌が明らかになると、貴臣は猛烈な吐き気を催さざるを得なかった。
その酔龍は――死人の肉でできていた。
よく見れば、首の上のこぶは――人間だ。
断頭された酔龍の首元に、人間の腹から上が癒着するように生えている。
そして歪に捻じれた前肢は、全てが人間の身体でできていた。
頭部に胸部、腕に脚。
それぞれがばらばらにされて、まるで一度溶かして押し固めたように癒着している。
腹には、大きな傷跡が見える。
これも、人間の身体が癒着して塞いでいる。
その姿は、醜悪そのものだった。
「こんな……こんな魔法の使い方って……」
リコッサが口を押え、絶句する。
すると声に反応したのか、首元の上半身が面を上げた。
その顔に、貴臣は見覚えがあった。
「まさか……ディルク。それに酔龍の腹の傷跡……これは昨日見た死骸か」
貴臣が呟く。
「んふふ、んふふふふふ、んふふふふふふふふ。いいでしょうぅ? 素敵でしょうぅ?」
それが答えとばかりに、黒衣のノンナが愉しそうに笑みを漏らす。
ぼおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおぉぉぉぉぉぉぉ――
異形が咆哮する。
それはかつて人間だったモノの喉から発せられたものとは思えないような、凄まじい音量だった。
次話は週末辺りにに投稿予定です!




