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第十五話  仄クライモリ

 


「重い……暑い……」


 貴臣(タカオミ)は額に流れる汗を(ぬぐ)いつつ、ぼやいた。



 歩いているのは、薄暗い森の中だ。


 見回せば、神殿の柱の如く天を()く無数の巨木。

 見上げれば、それらが支える黒い樹冠。


 春先の樹海には、下草はまだほとんど生えていなかった。

 枯れた小枝や小さな小石、そしてわずかに()け残った泥まみれの雪ばかりが目につく。


 地面はそれなりにでこぼことしてはいるのだが――それさえ分かっていれば、特段歩きにくいということはなかった。


 間隔のある木立の隙間を、ひんやりとした風が通り抜けてゆく。

 その頬を撫でてゆくわずかな空気の流れが、貴臣にはありがたかった。




 ――マグナ・アルバ盆地。


 カストラの街から山を越え、一日ほど歩いた先にある小さな盆地の名である。

 樹林帯と草原帯がまだらに存在し、その間をぬうように川が流れている。


 この盆地には、真ん中を横断するようにカストラへの交易路が通っている。

 初夏から秋にかけてはそれなりの往来があるのだが――春先は酔龍(スイリュウ)の繁殖地となるため、龍狩り以外はほとんど訪れることのない場所であった。




 貴臣ら一行は、行方不明となったグラモス達を捜索するため、その交易路から外れた森の中の、道なき道を進んでいた。




「暑い……脱ぎてえ……」


 貴臣が本日五十回目の「暑い」を吐き出す。

 それを聞いたリコッサは、いい加減うんざりした様子で口を挟んできた。


「アンタねえ、この森全域が酔龍の縄張りなのよ? その辺の野山に山菜や茸を取りに行くんじゃないのよ? それくらいの装備だってまだ足りないくらいなのよ?」

「暑い……」


 リコッサの小言を無視して、五十一回目の「暑い」をどろりと吐き出す貴臣。

 自身の胴体と手足を覆う鎧を恨みのこもった目で眺めつつ、さらにため息を吐いた。



 着込んでいるのは、皮鎧だ。

 布の服と着て、手袋を着け、ブーツを履き、その上から鎧を装着している。


 多少標高のあるカストラの街ではそれほど暑さを感じなかったが、ここは街より低地であった。

 しかも陽光がほとんど届かない森の中とはいえ、ひたすら徒歩で進むのだ。

 体温の上昇は防げない。


 それに、いつ酔龍が襲ってくるかわからないので、休憩中もいったん脱ぐということもできない。


 それゆえ、蜘蛛(アラクネ)族の村で居候をする代わりにと始めた仕事――大量の生糸や反物を背負いながら山道を歩く仕事――に慣れ始めた貴臣でも、これはなかなかつらいものがあった。




 さらに、先を歩くリコッサの装備も体温上昇の原因の一つだ。


「せっかく立体的に移動ができる場所なのに、引っかかるところが多いと危ないでしょ」


 とは、リコッサの弁であったが――



 まず、彼女の体の線が見えるほどぴったりした暗色の肌着。

 これが、首から下を覆っている。

 それから胸の辺りを覆う皮鎧と、申し訳程度の腰回りの防具。それにブーツ。

 もちろん、短剣を腰に吊り、その他必要物資は背嚢(はいのう)にしまい込んでいるのだが――基本的にはそれだけだ。


 それゆえ、彼女のすらりとした太ももとか、程よくくびれた腰つきとかが、目の前でちらちらと踊るのだ。

 健全な青少年である貴臣には、少々刺激が強すぎたのだった。



 ちなみに、土竜(モグラ)族のガレミスは、布の服とブーツ、それに小物入れや背嚢といった装備で、貴臣の後ろをのんびりと歩いていた。

 持っている武器は、大人でも扱えるかどうか分からないような巨大な戦鎚(ウォーハンマー)だ。

 これは、怪力が自慢の土竜族ならではと言えた。


 そして……パルドーサはといえば、暑さ寒さと無縁の虚像(ホログラム)だ。

 燐光》を振りまきながら、一行の周辺を楽しそうにふわふわと飛び回っていた。



「なあリコッサ……マジで暑いんだけど」

「……だから何よ」

「鎧……脱げないんならさ」

「……それ以上は言わない約束よ?」


 しかし貴臣は言わずにはいられなかった。


「風魔法……使っても、いい?」

『「「ダメです(ばい)」」』


 貴臣以外全員一致で、その最高に冴えた(クール)な提案は却下された。


 即答だった。



「アンタ、その魔法でどれだけみんなが被害を被ったか分かってるの?」

『ちょっと~、それだけはやめて欲しいかな~』

「わたしは……いやいや、やっぱそれはダメばい」

「そんな……こんなの絶対おかしいよ」


 しょぼくれる貴臣に、三人娘から痛烈な視線が突き刺さった。







 ひと月ほど前――貴臣は、カストラ町長のカトリナから風の魔法〈起 動(サトゥス・スルスム)〉を教わった。


 それは本来、ほんのちょっぴり空気を揺らす程度の基本的な魔法であり、文字通り他の魔法の『基礎』となるはずだった。

 しかし貴臣が呪文を唱えた途端、どういうわけか暴風が吹き荒れて彼女の館をめちゃくちゃに散らかしてしまったのだ。



 ――きっと、何かの間違いだろう。


 そう思った貴臣は、後日改めて彼女に呪文を聞き直したのだが――結果は同じだった。


 その後も場所を変え、時を変え、何度も試してみたのだが、いずれも暴風を発生させるだけで、魔法を制御するには至らなかった。


 結局、その魔法はボムビークス家の物置を半壊させ、ガレミスの工房前のガラクタを屋根まで吹き飛ばし、街の広場で砂塵(すな)嵐を巻き起こし――その場に居合わせた全員の顰蹙(ひんしゅく)を買うだけ買って終わった。



「…………これ以上は、危険ですので教えられません」


 職員らが街の各方面からの苦情に右往左往する中、カトリナは苦い顔で魔法伝授の中止を宣言せざるを得なかった。







「はあ……魔法が使えない俺なんて、ただのヒトじゃねーか……」


 がっくりと肩を落として、貴臣はぼやいた。


「しかたないでしょ。とにかく、アレは絶対ダメ」

『風の魔法を使っちゃうと~、せっかく見つけた痕跡も全部吹き飛ばしてしまうわ~』

「暑い…………」


 これ以上の抗議は無駄だと悟った貴臣は、黙って歩を進めることにした。





 一方、先頭を歩くリコッサは、時折パルドーサと相談しながら、グラモス達の残した痕跡を辿(たど)っていた。


 木の幹の状態や、わずかに生い茂った下草の折れ具合などを、慎重に調べる。

 近くに、足跡がないか。

 焚き木の痕跡はないか。

 木の枝に、グラモス達の引っかけた糸が掛かってないか。

 樹冠に、人影は見えないか。

 登った木の上からは何か見えないか。

 風の匂いを嗅ぐ。

 葉擦れの音に耳を澄ます。


 あるとあらゆる感覚、知識を総動員して、追跡を行っていた。





 森に入ってから一体何十本、何百本の木の調べただろうか――森に差し込む木漏れ日が色づき始めた頃、リコッサは太い木の幹に見慣れない物体が巻き付いているのを発見した。


 ――鎖だ。


 それも、一つ一つの環が太く、ちょっとやそっとでは千切れそうにない代物だ。



 それが、ちょっとした小屋ほどの胴回りがありそうな巨木に、二重三重と巻きつけてある。


「……ちょっとみんな! こっちに来て!」

『どうしたの~』

「どうしたと? 痕跡が見つかったとー?」

「ええ。 これは……おそらくグラモス達が持って行った罠の鎖だわ」

「他の龍狩りの罠の可能性は?」


 貴臣の問いに、リコッサは少しの間を置いて答えた。


「……ここに来るまでに、いくつかの木の幹に蜘蛛族の糸が巻き付いているのを見つけたわ。罠を仕掛けた後、近くの木の上で待機したんだと思う。だから、この罠がグラモス達のものと見て間違いないと思うわ」


 そこまで言ったリコッサは、ふと気づいたように鎖に手を触れた。


「見て。この木の鎖……皮が剥がれてる」


 見ると、確かに鎖は木の幹に食い込んでおり、その周辺が削り取られたように、白い内部を露出させている。


「つまり……どういうことだってばよ?」

「これだけ木の皮が剥がれているってことは……罠にかかった、おそらく酔龍が暴れたんだと思うわ」

「しかし……それにしては静かだが? 何の気配もないし。それに、罠って放置して帰るものなのか?」

「……そうね。罠はおそらくこの反対側に仕掛けられているから……」


 言いながら、リコッサは巨木の向こう側を覗きこんだ。

 そして――彼女の動きが、止まった。


「……なにこれ……」

「どうしたんだ?」


 その声色が尋常ではないことに気付いた貴臣が、声をかける。

 それを見たパルドーサは木の幹の奥に飛んでゆき、ガレミスがその後に続いた。


『これは~……』

「かなり……まずかばい」


 木の向こう側には獣道と思しき小道が通っていたのだが――



 近くのわずかな草木はなぎ倒され、小道は掘り返されたように、乱れている。

 何か、大きな動物が暴れたような痕跡だ。


 つまり、罠は確かに発動したのだ。





 しかし――肝心の、鎖の先に存在したはずのハサミ部分は引きちぎられ、きれいさっぱり消え失せていた。



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