第一話 コート
7/7改稿しました。
〈Pardosa_a09854が入室を求めています 入室を許可する/入室を許可しない〉
パソコンのモニタ上には、ポップアップが一つ、表示されていた。
苅田貴臣がそれに気付いたのは、つい先ほどのことだ。
その日はまさに、貴臣の典型的な一日だった。
高校から帰ってきて、夕飯を食べて、自室に戻る。
パソコンで、ぼけーっとネットを巡回して――
それにも飽きて、うとうと居眠りを始めたのも、やはりいつもどおりの事だった。
どれくらい眠っていただろうか。
びくりと体が痙攣して、目が覚める。
何の夢を見たかまでは覚えていなかったが――机に流れた涎の量が、結構な時間、惰眠を貪っていたことを示していた。
貴臣は慌ててそれを拭うと、顔を上げた。
そしてモニタ上に表示されたそれが、視界に入り込んできたのだった。
貴臣のパソコンには、いわゆるチャットソフトの類がインストールされている。
ゲームをする際や、ネットをぼーっと観ているときなど、いちいちメールのやり取りをするのが面倒なときに使うつもりで入れた、ちょっと前のタイプのやつだ。
ただ、その直後にもっと便利なスマホ用チャットアプリが世に出回り、結局それを使う機会はなかった。
だから、モニタに表示されたそれが、そのソフトによるものなのかどうかは、貴臣には判断が付かなかった。
「スパム……とかだったらすぐに切ればいいか」
見慣れない表示だったので、一瞬ウイルスの可能性を疑ったが――それでも、その時の貴臣は、とにかく暇だった。
好奇心も手伝って、貴臣は〈入室を許可する〉をクリックした。
ポップアップが消える。
そして――何も起こらなかった。
「変だな……もしかして固まっちゃったのか?」
しばらく待ったあと、マウスを左右に動かしてみた。
それに追従して、画面上のポインタが左右に振れる。
別に、フリーズしたわけではなさそうだ。
「さっきの、なんだったんだ……」
光沢タイプの液晶モニタには、室内灯で反射した自分の顔が映りこんでいた。
どこにでもいそうな男子高校生の、平凡な面構えだ。
さらにその後ろには、漫画がギッシリ詰まった本棚と、部屋のドアのノブなどもかすかに見てとれる。
貴臣は後ろを振り返り、ため息をついた。
――やっぱ、ツヤ消しタイプにすればよかった。部屋が明るいと、画面が見づらいんだよな……
再度、モニタを見る。
そして――それに気付いた。
モニタに反射した部屋の奥で、ドアノブがゆっくりと回っている。
「なっ……!?」
貴臣はぎょっとして、後ろを振り向いた。
現実の方のドアノブを見る。
確かに、それは回っていた。
「な……なんだコレ?」
貴臣の見守る中、回りきったドアノブが、その動きを止めた。
「……か、母さん? おいちょっと母さん! 部屋入る時はノックぐらいしてよ!」
怒鳴る貴臣を無視して、ドアが徐々に開いてゆく。
やがて、半開きになったドアから、何者かが姿を現した。
予想に反して、それは若い女性だった。
ドアに半身を預け、不安そうな表情で、部屋の様子を伺っている。
そして――貴臣と、目が合った。
「あのお~。ここ……どこなんでしょう~? 魔法陣を踏んだと思ったら~、知らないところに出ちゃって~」
女性は、おずおずと話しかけてきた。
しかし貴臣は――それに応答することができなかった。
言葉が理解できなかったわけではない。
彼女は日本語で喋っていたからだ。
貴臣が固まった理由は、そこではなかった。
彼女は、いわゆる異国風の――美人だった。
見たところ、年は二十歳前後。
絹糸のような長い銀髪が目を引く。
それから、日焼けしたような淡い褐色の肌。
端正な顔立ちで、両眼は深い翡翠色をしている。
そして、その瞳が――少し眠たそうな半眼で、貴臣を見つめていた。
その様子は――彼女の憂いのある表情も相まって、得も言われぬ色香を醸し出していた。
さらに見ると、女性は分厚いコートの様な服を着込んでいた。
半身がドアに隠れているため、体のラインまでは、はっきりと分からない。
しかしながら、袖から見えるほっそりした指先や、襟元からのぞく華奢な首元から察するに、その美貌にふさわしい肢体の持ち主であることは、貴臣には容易に想像することができた。
貴臣はごくりと喉を鳴らしたあと、口を開いた。
「あ……あ、あの……。だだだ、誰?」
――おい。違うだろ。初対面のおねえさんに対してそれはないだろ。
貴臣は脳内で、自分にツッコミを入れる。
口の中が乾いていて、うまく言葉が出てこない。
――今、『魔法陣』って言ったか? 最近のパソコンって、美人なおねえさんを召喚する機能でも搭載してるんか?
貴臣がまごまごしていると、銀髪で美人のお姉さんがさらに話しかけてきた。
「あ、私ですか~? 私は~、パルドーサといいます~。ここから帰るのは~どうしたらいいんでしょう~?」
独特の、間延びしたような口調だ。
困惑した様子ではあるが、緊迫感も敵意も感じられない。
――相変わらず言っていることの意味は分からないが、とりあえず泥棒とかではなさそうだ。
貴臣は少しだけ心にゆとりを持つことができた。
「えーと。帰るなら家を出て、歩いて十分くらいのところに駅があるから……」
「エキ? ここ、サティス山脈じゃないんですか~?」
「さてぃ……なんだって?」
パルドーサと名乗る女性の挙げる地名に、貴臣は心当たりがなかった。
「あの~、もしかして私、死んじゃったんですか~? ここは、死後の世界だったりとか~」
「えっ? いや、俺は生きてるし、パルドーサさんもみたところ元気そうですけど」
「ならいいんだけど~。でもこの部屋、不思議な造りだわ~。壁も天井も真っ白だし、見たことない材質だわ~」
言って、パルドーサがさらに扉を開く。
物珍しげな様子で、部屋に足を踏み入れた、その時。
貴臣の座る椅子の下から、まばゆい光が湧きあがった。
「な……なんだ!?」
貴臣が床に視線を落とす。
見れば、椅子を中心として、光の円環が出現していた。
パルドーサが、のんびりした口調で「あっ、これこれ~」と呟くのが聞こえた。
「魔法……陣?」
貴臣の口から漏れる言葉に呼応するように、円環の内部に複雑な紋様が描き出される。
直後、魔法陣から伸びたつたのような光が貴臣に絡みついた。
「うわッ!? なんだ、これ」
戸惑う貴臣をあざ笑うかのように、光は明るさを増してゆく。
やがて魔法陣全体が閃光に近い光を発するようになった。
パルドーサはあまりの眩しさに、手で顔を覆っている。
直後、破裂音が部屋中に響き渡った。
光が消え失せ、部屋に静寂が戻る。
パルドーサはそれを確認すると、顔から手をおろした。
先ほどまで椅子に腰かけていた少年の姿は、どこにも見あたらなかった。