あの日見たトラウマの克服方法を僕はまだ知らない
「――まだ、冒険者になるのを諦めていないんですか」
悲しげな表情でそう言うクーリエちゃん。どうしてそんな表情をするんだ。まるで、俺が冒険者になるのが、悪いことにように思えてしまうじゃないか。
いや、実際に悲しませているのだろう。クーリエちゃんは俺に冒険者になって欲しくない。そんなことは分かっていた。感情を表に出さず、用いる言葉も冷たい彼女だけど、本当は誰よりも人のことを想うことができる優しい子なんだ。俺は彼女と過ごした半年間で、それを知った。
それでも、クーリエちゃんを悲しませてでも、俺は冒険者になりたかった。諦めることはできないままでいた。
「諦めてないよ。最初に言ったろ? 俺は絶対冒険者になってみせるって」
この後に続けるべき言葉はまだ言えない。それは俺が冒険者として大成してから言うと決めていた。
クーリエちゃんは悲しげな表情のまま言った。
「あんな目にあったのに、まだ冒険者になるなんて言っているんですか? わたしははっきりと覚えています。あの日、エチゼンさんと出会って丁度1ヶ月経ったあの日」
ああ、俺もはっきり覚えている。俺はクーリエちゃんと些細な言い争いをして、この家を飛び出したんだ。悪いのは俺で、クーリエちゃんに一片の非はなかった。自分より5つも年下の女の子に養われている情けなさや、元の世界に帰れない悲しさや、迷宮の最前線で命をかけているクーリエちゃんに何もしてあげられないいらだちや、そういった感情が爆発してしまったのだ。そして俺は逃げた、この家から、クーリエちゃんから。
そしてふと思い出したのだ。この世界、剣と魔法の世界に来て初めて思った『この世界をどこまでも冒険したい』その感情を。それからその足で、初めて冒険者ギルドに向かった。
「エチゼンさんが家を飛び出して、それから1時間も経たないで家に戻ってきて、わたしは安心したと同時に凄く驚きました。あの時のエチゼンさんは肉体的にも精神的にもボロボロで……廃人同然でした」
あの日のことを思い出す度に、体の中をナイフで抉り回すような鮮烈な痛みが走る。今でもあの日のことを夢に見て、夜中に飛び起きてしまう。
「一体……あの日、エチゼンさんの身に何があったんですか? そろそろ、教えてくれてもいいんじゃないですか?」
あの日のことを思い出すように俺は天井を見た。視界に映る天井にうっすらと靄がかかり、代わりに薄暗い雲に覆われた空が見えた。そう、あの日の空はこんな色だった。俺の鬱屈した感情を表したかのような、薄暗い空。今にも雨が降りそうな、そんな空。
あの忘れられない日が、まるで走馬灯のように目の前にその姿を表した。
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あ、ごめんちょっと無理。
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「――おろろろろろぉぉぉっ」
「いやぁぁぁっーー! エチゼンさんが吐いたぁぁぁっー!」
回想シーンに入ろうとしたが、どうやらあの日のトラウマはかなり根深いらしく、俺は精神的な変調をきたし、結果嘔吐することになった。クーリエちゃんはパニックを起こし、その表情は虫嫌いの子供がゴキブリに触れてしまったような、世界の終わりを表した表情だった。あ、無表情以外の顔、初めて見た。
「落ち着いて、クーリエえぇぇぇぇぇろおぉぉぉっ……ちゃん」
「吐きながら人の名前を呼ばなさい下さい!」
迷宮で強靭な魔物を容易く屠る彼女でも、目の前の人間が突然嘔吐したら驚くらしい。
「いやぁぁぁぁぁっ!! やだぁぁぁぁぁ!」
というか驚き過ぎ。なんでだろう。何をそこまで驚いているんだろう。
ただ普通に、クライムをチャネルだけなのに。
「どうどうどう……もう大丈夫だって。いや、ごめんごめん。まさか回想シーンに入った瞬間に限界を迎えるとは思わなかったよ。あははは」
「何を笑ってるんですか!? びっくりしたんですよ!? 遠い目をしたと思った瞬間、そのままの状態でノーモーションで吐き出して、本当にびっくりしたんですよ!? 初めてモンスターハウスに迷い込んだ時に30倍はびっくりしましたよ!?」
それはスゴイな、俺のトラウマ。俺のトラウマってことは、つまり俺自身でもあるわけだよな。つーことは、俺スゴイってこと? っべーわ、俺、クーリエちゃんにスゴイって言われちゃったよ。
「……はぁ、はぁはぁ」
普段殆ど声を出さないクーリエちゃんだから、先ほどの絶叫はそうとうキツかったのだろう。食卓に手を付いて、肩で息をしていた。
「よし、俺も落ち着いたし、もう1回あの日の出来事を語るとするよ」
「やめてください。殺してから、蘇生させてもう1回殺しますよ」
いつものクールなクーリエちゃんに戻ったようだ。言ってることも物騒だが、実際にそれ(無限地獄)ができる辺り笑えない。
「えっと……どうしようか。あの日のこと話そうとすると《エチゼンリバース現象》起こっちゃうし、俺が冒険者を目指す理由とか、聞く?」
「……いえ、今日はもう、いいです。大きな声を出して疲れました。……疲れました」
どうやら偶然にも、当初の目的通り本題を誤魔化すことができたようだ。ウルトララッキー!
■■■
クーリエちゃんの魔法を駆使して部屋を掃除し、食事を食べ、風呂に入り、クーリエちゃんからスキルの手ほどきを受け、寝室に入ったのは夜の10時頃になった。
「電気消すぞー」
「ちょっとだけ明るくするのを忘れないで下さい」
「はいはい」
電気を消し、2人でベッドに入る。
丁度2人が収まるベッドで、俺とクーリエちゃんは背中を合わせるようにして横になった。
「ところでエチゼンさん」
「ん、なに?」
「結局、エチゼンさんは冒険者ギルドに何をしに行っていたんですか? エチゼンさんはまだ最初のチュートリアルクエストもクリアしていないんですよね? ギルドに何の用があったんです?」
冒険者を目指している俺だが、現状、正確に言えば半分は冒険者といえるのだ。どういうことかと言うと、冒険者になろうとする人間は、冒険者ギルドに行き、まず《冒険者証明書(仮)》をもらう。そしてそれから受けるチュートリアルクエストをクリアすることで、証明書の(仮)が外れ、冒険者ランクFの冒険者として正式に活動できるのだ。
そして俺は未だそのチュートリアルクエストをクリアしていない状態。いわゆる冒険者未満の存在なのだ。半人前と言ってもいい。だが半人前を馬鹿にすることなかれ、俺がいた世界では半人前の魔術師が成長して英雄を倒すビジュアルノベルが――
「エチゼンさん」
「おおう」
俺の肩の辺りを、トンと何かが叩いた。そして肩越しに感じる吐息と髪の匂い。背中合わせの状態から、クーリエちゃんが反転したようだ。
「話の途中で寝ないで下さい」
いや、寝てたわけではなく、懐かしい思い出に浸ってただけなんだけど。そういえば今頃リアルタイムでアニメやってるんだよな……はぁ。
「ギルドに行ってた理由?」
「はい。早く冒険者になりたいなら、さっさとチュートリアルクエストをクリアすればいいじゃないですか」
「いやそれは……。あれ? ていうか、俺が冒険者になるの反対だったんじゃないの?」
「よくよく考えてみると、どうせ冒険者になったとしても、エチゼンさんならたかが知れてるなぁ、と。Eランクより上には上がれないでしょうし、その辺りのクエストをフラフラ受けるなら、別段危険じゃないなぁ、と。……そう思っただけです」
「……へっ、そうですかい」
迷宮の最深部で、たった一人で、ギルドで受けるSランクなんて目じゃないレベルの危険に身を置いている少女は、そう言った。彼女は知らないのだろう。彼女が俺のことを心配している以上に、俺が彼女のことを心配していることを。……知らないんだろうなぁ。
誰よりも他人に優しい彼女は、自分に向けられるそれに気づかない。そんな余裕なんてある筈がないから。だから俺は冒険者になって、上を目指して、目指して、目指して……彼女の横にならんで、支えてあげたいのだ。これが俺が冒険者を目指す、理由の1つ。
「それで、どうしてクエストをクリアしないんですか?」
「それが聞いてくれよ。俺さ、ギルドに行って、ほらアレあるじゃん。掲示板」
「はい。パーティの募集や装備のトレード希望ができる掲示板ですね。まぁ、わたしは利用したことないですけど」
「で、それ使ったんだよ」
「……はい?」
「いや、だから、チュートリアルクエストを一緒に攻略してくれるパーティの募集、したの」
「冗談ですよね?」
「ほんと冗談みたいに誰も集まってくれないんだ、これが」
「当たり前でしょうっ」
クーリエちゃんの平手が、ほぼゼロ距離で俺の尻を叩いた。小娘の分際で俺のまろやかお尻の価値に気づくとは、なかなかやる。でも、俺達まろやかヒップ同好会の合言葉は『イエスヒップ、ノータッチ』でしょうよ! 触ったらその時点で除籍だからね。今回は多めに見るけど、次はないよ。
「チュートリアルのクエストですよ? チュートリアルの意味分かってます?」
分かってるっつーの。クーリエちゃん俺をナメてるな。今まで数々のゲームのチュートリアルをスキップしてきた説明書不要拳伝承者の俺を誰だと思ってるんだ? 俺、誰よりもチュートリアルを軽んじてる自信あるぜ?
「あれ、どんな人でもクリアできるようになってるんです。ギルドのクエストって言っても戦うばかりじゃないですから、戦闘に自信がない人でも冒険者になれるよう、本当に簡単なクエストに。……そんなクエストのパーティ募集に参加する人がいるわけないでしょう?」
呆れを通り越して苛立ちを感じているのか、ガジガジ肩を噛んでくる。肩はいいけど、首はやめて欲しいな。一応俺、彼女募集中だし首筋の噛み跡なんて見たら、女の子達が遠慮しちゃうし。
「そんな無駄なことをする為に、ギルドへ……」
ため息が俺の耳を撫ぜる。
教えてやろうか、この世界に無駄なものなんて一つもないと。雑草などという草はないと。でも『少なくともエチゼンさんは無駄なものと言えますよね』とか真顔で言われたら、俺ショックのあまりスライム使って溺死するわ。
「誰か一人でもいいから、参加してくれる人いると思ったんだけどなぁ」
「……ちなみに募集条件にはどんなことを書いたんですか?」
「え? そりゃアレだよ。『集え勇猛果敢たる獅子達! 我、エチゼンと共に益荒男道を邁進スベシ! オッスオッス!』って感じで」
「本当は?」
「『容姿に自信あり、胸の大きさが80cm以上、付き合っている彼氏がいない、彼氏がいるがそろそろ別れようと思っている、よく人に性欲が強そうな顔と言われる、多少のお触りはコミュニケーションの範囲内だと思っている、吊り橋効果を信じている、エチゼンという言葉に得も知れない興奮を覚える、抱いてほしい、一人の夜はもう嫌、一夜だけの過ちカモンヌ、最近夫が構ってくれない――以上の項目に3つ以上当てはまる方は、今スグパーティにIN! アットホームなパーティ目指してます! クエスト前の飲み会も企画中! みんなやってるから大丈夫!』……って、ちょっと条件が厳しすぎたかな? ははっ、アオゥ!?」
無言で太ももの側面に膝を入れられた。これは痛い。
「……もう寝ます。寒いのでくっつきますけど、変な勘違いをしたら、手足を切断してから生やして、また切断してから生やしてを繰り返して、どんどん増えていく切断された手足で圧死してもらいますから」
こういう発想しちゃう子供が増えているのは、テレビで言われてるような『ゲームが与える影響』ってのを悲しいけど否定できないよね。あれ、この世界ゲームなかったわ。じゃあ、クーリエちゃんの素の発想ってわけか。サツバツ!
言葉通り俺の背中にしがみつくように密着し、すぐに寝息を立てるクーリエちゃん。どんどん眠りに入る時間が短くなっているのは、俺を信頼してくれているからか。やっぱり守りたい。家だけでなく、他の場所でも守ってあげたい。守れる存在になりたい。
でもそうする為には冒険者にならなければならず、なる為にはチュートリアルをクリアしなければならず、クリアする為にはあの日のトラウマを克服しなければならない。ジレンマだ。
「明日から頑張ろう……」
いつかきっと冒険者になる。そしてクーリエちゃんの隣に並ぶ。その過程で同じように冒険者始めたばかりの女の子と仲良くなって、パーティを組んでなんだかんだでまた女の子が増えて仲良くなって、そんなハーレムパーティを築くという冒険者になりたいもう1つの理由が達成されたらいいなぁ……そう思いつつ眠りにつくのだった。




