ここがあの女のダイナーね
『竜のしっぽ亭』
無口で見た目が怖い親父と愛らしい娘で切り盛りしている定食屋だ。
小さい店だが、どこかアットホームな雰囲気を感じさせる店内と安くて美味い飯はいつだって冒険者を迎えてくれる。
無口な親父は来訪する客を決して拒まない。老いも若いも、富める物も貧しい物も、人間も獣人も平等に美味い飯を提供する。
そして1人娘である少女。愛嬌があり、いつだって元気で、満面の笑みを持って客を迎えてくれる。彼女のファンは多い。彼女に会う為だけに、毎日街の反対側から通う熱心なファンがいるほどに。
そんな小さくも住人達から愛されている店の前に、俺とクーリエちゃんは立っていた。
「ここが例の……」
「ああ。俺がバイトしてる店な。今日はここで食事をしようと思って」
これは前から考えていたことだ。
いつかクーリエちゃんにこの店を見せてやりたいと思っていた。俺が外でバイトをすることをあまりよく思っていないクーリエちゃんに、この店がどれだけいい店で、店の人たちがどれだけ優しくしてくれているか……それを見せたい。そして出来るなら、友達が少ないクーリエちゃんが新しい友達作るきっかけになれば、そう思っている。
「……ふぅん。なるほど。このお店が……いいですね。わたしも一度来たいと思っていましたし」
どうやらクーリエちゃんも乗り気な様子。
ただ何というか、その表情が険しいというか、戦いに赴くような凛としたもので……。まあ、気のせいだと思うけど。
今から食事を楽しむとは思えない表情のクーリエちゃんを伴って、店の扉をくぐる。
店内に入ると、見覚えある常連客の目が一斉に向かってきた。
軽く手を上げて挨拶してくる人や笑みを向けてくれる人が数人。それ以外は「は? なにしに来たの?」みたいな敵意が篭もった表情だ。ここだけの話、俺は結構な数の客に敵を向けられている。理由? そりゃアレだ。看板娘のワカバちゃんと仲良くしてるからですよ。こればっかりは仕方が無い。基本的に敵意を向けられるだけで、実害を被ることはないし。
「わふっ!?」
驚いた声に視線を向けると、看板娘のワカバちゃんが驚いた表情でこちらを見ていた。
運んでいた食器を下げて、ばたばた駆け寄ってくる。
「わわっ! やっぱりエチゼン君だ! なになにどうしたの!? 今日バイトじゃないよね?」
耳をぴょこぴょこ、尻尾をふりふり揺らし、今日も元気なワカバちゃん。
相変わらず彼女が発する明るいオーラは、見ている人に元気を与えてくれる。ほんまワカバちゃんの笑顔は太陽やで……。
「今日も元気だね、ワカバちゃん」
「えへへ! そうかな? うーん、でも今日は朝からあんまり元気出なかったかも。エチゼン君がお休みだったし……でも今はエチゼン君の顔を見たから、すっごい元気になっちゃった! 元気満点だよ!」
そう言ってワカバちゃんがピョンピョン飛び跳ねるので、ワカバちゃんのたわわが揺れる揺れる。俺も色んな所が元気になりそう。
「それで今日はどうしたの? あ、も、もしかしてだけど……私に会いに来たの? なんちゃって!」
ちょっと悪戯っぽい表情を浮かべるワカバちゃん。
まあ、間違いではないので、その通りと頷く。
「わふっ!?」
瞬間、顔を真っ赤にして口をぱくぱくさせるワカバちゃん。
耳と尻尾はツンと上に逆立っている。ジブ○っぽいリアクションだ。
「そ、そそそうなの? あは、あはは……嬉しい。すっごく嬉しいな……えへへっ。うわぁ、ど、どうしよっ。嬉しくて恥ずかしい! あああ、すっごい恥ずかしいよ! 何かなこれ! すっごいドキドキする! な、何か急に走りたくなってきた! あわわわっ、どうしようどうしよう!」
たわわな胸をギュッと抑えながら、混乱したように呟き、その場で足踏みを始めたワカバちゃん。
一方俺も、突然ワカバちゃんが走りたいとか言い出したので、どうすればいいか分からない。え、俺別に変なこと言ってないよな。ワカバちゃんに会いに来たって言っただけだよな。ズボンのチャック全開だったとか、そんな事ないよな。
「パパ! ちょっと走ってきていいかな!?」
厨房の奥にいる親父さんの返答は――バッテン。
そうですよね。今、一番忙しい時間ですからね。
「……わふぅ。で、でもこのままじゃ仕事になんないよぉ。……ってアレ? エチゼン君。そっちの子は?」
「え? ああ、そうそう」
俺の陰になっていたクーリエちゃんを紹介する為に、少し横に退く。
クーリエちゃんは俺と手を繋いだまま、ジッとワカバちゃんを見ている。
「わっ、可愛いー! この子誰? エチゼン君の妹?」
可愛いクーリエちゃんを見て、ワカバちゃんが両の手を合わせる。
色んな角度からクーリエちゃんを見るワカバちゃんに対して、ただクーリエちゃんは無言で観察するようにワカバちゃんを見ている。
よかった……。クーリエちゃんの可愛さのお陰で、ワカバちゃんが落ち着いたようだ。
さて、ワカバちゃんにクーリエちゃんを紹介しようか。
しかし今更だが、何て紹介しようか。俺を養ってくれてる子……だと、色々マズイよな。下手したらポリスマン的存在を呼ばれて(この世界から)一発退場だ。
やはりここはベタだが……妹だろうか。ワカバちゃんもそう思ったみたいだし。
俺はクーリエちゃんにアイコンタクトを送った。ここでは兄妹で通すようにと。
「……!」
流石のクーリエちゃんは、俺のアイコンタクトを一発で理解してくれたようだ。任せとけ、といった表情で頷く。
この辺り、信頼関係の賜物ですわ。半年も一緒に住んでいるだけある。
任せたぞ、クーリエちゃん。
「ワカバちゃん。この子はクーリエって名前で。俺の――」
「どうも。半年前に死に掛けのエチゼンさんを拾って以来、エチゼンさんを養っているクーリエです。初めまして」
「よし、クーリエちゃん。一回外に出ようか」
俺はポカンとした表情をしているワカバちゃんを置いて、店の外に出た。
■■■
「クーリエちゃんや」
「はい」
「何であんな事言ったの?」
「あんな事、ですか? 間違ったことは言っていませんが……」
間違ってないから問題なんだよ!
常識的に考えて、自分より年下の女の子に養ってもらってるとか、問題ありまくり!
しかもクーリエちゃんの年齢が年齢だけに、犯罪臭しかしないし。……うん、何だか自首したくなってきた。
俺は今にも自首しそうになる心を必死で支えながら、さっきの発言のマズさを説明した。
「……確かに、そうですね。もしわたしがそんな歪な関係の男女を見たら然るべき所に通報すると思います」
どうやら俺の説明にクーリエちゃんは納得してくれたようだ。
つーか歪って。いや、歪だけど! だからこそ冒険者になってこの歪な関係から抜け出そうと頑張ってるわけで。
「ではどういう関係と説明するんですか?」
どうやら俺のアイコンタクトは全く伝わっていなかったらしい。
俺たちの半年間とは一体……。
「家族だよ家族。家族なら俺たちの関係は全くおかしくないだろ」
「家族……ですか。なるほど……ええ、分かりました」
クーリエちゃんが確認するように、何度も頷く。
「エチゼンさんと家族を演じるなんて……死ぬほどイヤですが仕方ありません。わたし達の関係を怪しんだ誰かが通報して、家を荒されるなんてことはゴメンですからね」
「ああ、イヤだイヤだ」と何だか満更でもない表情で呟くクーリエちゃん。
やっぱり何だかんだで、家族ってものに憧れているのかもしれない。
改めて店の中へ。
店に入ると、ワカバちゃんが不思議そうな顔で待っていた。
「エチゼン君。あの、さっき養ってるとか何とか……」
「ああ、違う違う。気のせい気のせい。ほら、クーリエ。ちゃんと挨拶して」
俺はクーリエちゃんをスッと前に押し出した。
やれやれ、これでようやく食事にありつけそうだ。
クーリエちゃんはペコリと頭を下げた。
「初めまして。いつも夫がお世話になっています。妻のクーリエです」
「はい撤収」
またしても通報待ったなしな発言をしたクーリエちゃんを連れて、店の外へ。
「え? なになに? 今のどういう……」
一緒についてこようとするワカバちゃんに向けて焦りの余り
「ワカバちゃん! 待て!」
と言ったら、嬉しそうな表情で「わん!」と言って、その場で待機をしてくれた。犬としての本能だろうか。
俺たちの話を聞かれるのはマズイから、助かるけど……色々ワカバちゃんが心配になるな。悪い奴に騙されそうで心配。『待て』を筆頭に『おすわり』『ふせ』……そして『ちんちん』からの『おかわり』――これは薄い本が厚くなるな。
■■■
「……今度は何ですかエチゼンさん」
「何ですかじゃないよ。オイ、クーリエちゃんオイ。オイコラ、ザッケンナコラッ」
俺は被害者面してるクーリエちゃんの態度にイラッと来て、思わず片言になってしまっていた。
「マジで。マジで勘弁してくださいよクーリエさん。何であんな事言ったの? 見た? ねえ見た? あの瞬間、店内にいたみんなの表情」
「いえ。興味が無いので見てませんでした」
じゃあ説明してあげよう。
完全に犯罪者を見る目だったよ。老いも若いも、富める物も貧しい物も、女も男も、人間も人間じゃない者も……店内にいる客、全員が俺を犯罪者を見る目で見てたよ。
マジで現行犯で捕まった痴漢の気持ちを理解したよ。アレはヤバイ。心臓がリアルに止まりそうになった。つーか一瞬だけ止まった。
「ですがエチゼンさんが、家族と説明しろと言ったんですが?」
「妹だよ妹!」
「……なら最初からそう言って下さい。全く、分かっていたらエチゼンさんの奥さんだなんて、屈辱的な役を演じなくて済んだのに……」
結果、俺は犯罪者というそれ以上に屈辱的な役を演じることになったんだが。
いや、早く釈明しないと役じゃなくてマジで犯罪者になってしまう。
慌てて店内に入る。
店に入ると、ワカバちゃんがどこかワクワクした表情で俺たちを待っていた。
「ワカバちゃん。さっきのも無しで。いい? さっきのは幻聴だから。夫とか妻とかそんな事実は無いから」
俺はワカバちゃんと、そして店内に聞こえる声でそう言った。
店の中にいる俺を敵視している客の視線は相変わらず、犯罪者を見る目をしている。だが連中はどうでもいい。
とにかくワカバちゃんだ。ワカバちゃんに誤解されると、この先辛い。あの澄んだ目が汚物を見る目に変わってしまったら、俺は間違いなく自害する。
「……」
そんなワカバちゃんだが、俺の言葉にも特に反応を起こさない。
ただジッとこちらを見ている。何かを期待するかのような目でジッと。
「あ、あの……ワカバちゃん?」
「……」
「ワカバちゃんってば」
「……」
この目……どこかで見たことがある。
そう、元の世界で見たテレビ番組の中で、ドッグトレーナーの特集をしていた。その時に出ていた犬の目。心から信頼しているドッグトレーナーからの次の命令を待つ目!
俺は恐る恐る「よし」と言った。
「わふっ。……えへへ、どうだった? 私ちゃんと待ててた?」
「う、うん。素晴らしい『待て』だった」
「ほんとに! わーい、ありがと! いきなりで急にびっくりしたけど、自然と身体が動いちゃったっ、えへへ」
そこ喜ぶところなのか? バイトに命令されて、上手く実行できて喜ぶとか……分からん。
唯でさえ女子高生ってのは理解できない存在なのに、そこに獣人って要素が加わると……もう理解できん。
「じゃあ、ご褒美……欲しいかも」
と言って上目遣いで頭を差し出してきたワカバちゃんの頭を、当然のように撫でてしまったが、すぐ隣から向けられるクーリエちゃんのジトっとした視線とか、店内の客が放つ殺意満点の視線とかで正直、ワカバちゃんの頭の感触を堪能することはできなかった。




