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前篇

 数日前、遠く王都に住まう父親から、この辺境の田舎町にまで手紙が届いた。

 それは彼の娘で、この田舎町に住んでいる十七歳の少女リィリに宛てられたもの。

 内容は、彼女の婚約の決定を知らせるものだった。

 そしてもう一つ。

 相手が挨拶のためこちらへ向かっているという、至急の連絡でもあった。

 

 父からの手紙に書かれていたことを思い出しつつ、リィリは目の前でにこやかな笑みを浮かべる青年を眺めていた。

 屋敷の応接室を入って直ぐのところで向き合い、丸い形の大きめの茶色の瞳で、背の高い男をじぃっと凝視する。 


(―――お父様からの手紙の通りだわ。真面目で純粋そうな、好青年)

 

 リィリのぶしつけな視線も笑顔で交わす彼は、背筋よく立っている。

 彼は思わず手を伸ばしてしまいたくなる、ふわふわの柔らかそうな金色の髪を持っていた。

 少したれ目気味で愛らしい印象を受ける(まなじり)

 そこに飾られた透明感のある翡翠色の瞳は(きら)めいている。


「っ……」


 目が合うと。同時にふんわりと笑み返され、その口の端にえくぼが浮かんだ。

 おっとりと優しげな美青年。何と言うか、絵に書いたような王子様然とした男性だった。


「ふーん。なるほどなるほど。あなたが、私の婚約者なのね」

「えぇ、お初にお目にかかります。リィリ・メトワンソル公爵令嬢」

「ごきげんよう」

「私はジョージア・メビスと申します。どうぞ私の事はジョージとお呼びください」


 彼は名乗りながら、突然に片膝を床に付けリィリの目の前に(ひざまず)いた。


「っ、あの?」


 常識でいえば挨拶は名乗りあって終了で、進んでも握手程度で十分なはず。

 彼の行為に、リィリは怪訝に首をひねった。


「そのままで。少しだけ…、どうかご無礼をお許しください」

「は?」


 リィリが呆けている間に、彼にそっと左の手を取られる。

 そしてとても自然な動作で、こうするのが当たり前だと言うふうに。リィリの手の甲に、男の薄い唇が付けられる。


「はい?」


 いきなりの、口付け。

 驚きで、リィリ元々丸い茶色の瞳が更に丸く見開かれ、細い肩が小さく跳ねる。

 自体が飲み込めなくて驚いて固まり、ただ瞬きを繰り返すしかできない出来ない。

しかしジョージは爽やかな笑顔を浮かべながら、低い声で、更に甘い言葉をその唇から紡ぐ。


「お会いしとうございました。私の未来の奥方殿。愛しの君」


(っ……!)


 跪いたまま、反応の無いリィリに彼はこてんっと可愛らしく首を傾げる。


「っ…」


( わ、わぁ。なんて気障な人なのかしら)


 リィリは、慌てて首をふった。なんとか自分を取り戻そうとお腹に力を込める。

 ……出会って速攻で口付けをされた衝撃は、なかなかに大きなものだ。でも、このまま彼に飲まれるつもりはない。


(こっ、この人のペースにはまるわけにはいかないわ!)


 リィリはぐっと気合いを入れる。

 目を細めて繋がれた手に冷めた視線を送り、苛立たしげに息を吐いてみせた。

 

(不意打ちに驚きはしたけれど。でも! 残念ながらこんな事でときめく乙女な性格はしていないのよっ)


 リィリには彼と仲良くなるつもり何て、これっぽっちも無い。

 

 ―――決めていることがあるのだ。

 貴族の令嬢としてのお勤めだから結婚はする。

 けれど、心までは渡さない。絶対に。


「…………ふんっ」

「リィリ様?」


 リィリは邪魔だとばかりに、握られたままの手を振り払った。

 更にあからさまにハンカチをドレスのポッケから取り出し、ごしごしと手の甲を拭う。

 それから片手を腰にあて、もう片方の手の指先を、普段よりずっと赤く濃い色で飾っている口元に当てて、彼を冷たく見下ろした。

 もうポーズからして典型的な嫌な女になっている、はずだ。


「私、馴れ馴れしいのは嫌いなの。気安く触れないでいただけるかしら」


 ジョージはわずかに目を見張り、払われた己の手を呆然と見つめている。

 この顔のいい男のこと。女性に拒絶されたことなんてきっと無いだろう。

 狙った通りに、ある程度のショックは与えられたと、そう思った。……なのに。


「そうですね。初対面で触れるなんて。申し訳ありません」


彼は謝罪を口にしながら、あっさりと立ち上がった。その表情に気分を害したような色は全く見当たらない。

 

(うん? 怒られるか、そうでなくても機嫌を損ねられると予想していたのに)


 笑ってかわされてしまってことに拍子抜けしつつ、リィリはもう一度ふんと鼻を鳴らし、とりあえず彼を椅子へと促した。

 

「……ジョージ様、おかけください。アニー、お茶の用意を」

「はい、お嬢様」


 使用人のアニーに声をかけ、側にあるテーブルへと向かいながら、リィリは肩に落ちた自らの茶色の髪を背中へと流す。


(今度こそ!)


 指先で髪を弄りつつ、小さく呟く。


「……まったく。婚約者なんて、古臭くて嫌になるわ」

「お嬢様!」


 リィリの小さな呟きは絶対に彼にも聞こえたはず。もちろんわざと聞こえるように言った。

 当然、同じく聞こえていたらしい使用人のアニーからはお小言が飛んできた。

 リィリは煩い彼女にそっぽを向いて唇を尖らせる。

 反省の色のないリィリの代わりに、アニーがジョージに向かって頭を下げた。


「お嬢様が申し訳ございません!」

「いいえ。大丈夫ですよ。起きになさらず。」


 ジョージは優雅な仕草で椅子に腰かけながら、柔らかく笑うばかりだ。

 リィリの態度を、本当に何にも気にしていないと言う風に彼はただ笑う。

 それはどれだけ時間がたっても同じだった。彼は本当にずっと、ふんわりと幸せそうな笑みを絶やさない。


 …椅子に落ちつき、アニーがお茶を入れてくれる傍らも。

 お菓子とお茶を楽しむ間も。

 リィリはちくりちくりと嫌味を交えて話すのだけど、ジョージはにこにこにこにこと、正面に座るリィリのことをずっと見つめてくる。


(何?)


 何だか居心地が悪くて視線を逸らしたら、しゅんとしょげた犬みたいに肩を落とされた。

 ふわふわの髪まで萎れて見えしまう。


「………」

「っ!」


 思わず視線を戻すとぱっと顔を輝かせてまた彼は笑う。

 今日が初対面でリィリの態度は最悪だったはずで、懐かれる覚えは一切ないのに、どうしてか子犬にまとわりつかれているような気分になる。

 心地の悪い中でもお茶会は進む。

 やっと二杯目のお茶も飲み終わりかけ、これで顔合わせも終了だろうと言う空気が流れ始めた。

 しかしそういう空気になってから、見計らっていたかの様にジョージが思ってもいなかったことを口にした。 


「この後……」

「はい?」

「お茶を楽しんだあと。宜しければ、周囲を案内してはいただけませんか? せっかくですし、あなたの住まうこの土地のことを貴方に教えていただきたい」

「は……」

 

 リィリは目を丸めたあと、怪訝に首を傾げてみせた。

 このお茶会で、もう婚約者との顔合わせと言う名分は済ませている。

 さらなる交流なんて必要ないはずだ。


「何あなたバカ? バカなの?」


 リィリは怪訝に首を傾げ、はっきりと問いただした。


「お嬢様!」

「だって……」

「失礼ばかりしてっ。私お恥ずかしいですわ」

 

 背後に控えるアニーはもう顔が真っ赤になっている。

 アニーが客人の前で怒ってしまうくらいに、間違いなくリィリの態度は褒められたものではなかったはずだ。

 不機嫌そうにずっと眉をひそめていて。

 丁寧に礼をしてくれる相手に対して偉そうに踏ん反りかえっている。

 その態度の中に恥ずかしくて意地を張っているような可愛らしさはみじんも無く、本気で彼を邪険にしていた。

 年下の小娘……しかも将来己に尽くして生きる立場になるはずの相手に、こんな態度を取られて、(なお)笑い、さらに散歩に誘うなんて意味が分からない。

 だから馬鹿なのかと思って、そのままを口に出した。

 なのに彼はくすくすと上品に笑い、目を細めて小首を傾げてくる。そしてまるでリィリの様子をうかがうかのように、恐る恐ると尋ねられる。


「―――駄目、でしょうか」

「だ、駄目……。私、これでも忙しいので」


 顎をつんと上げてそっぽを向く。

 実は何の予定も入っていないけれど、意地で拒否した。

 この後どころか明日も明後日も何もない。

 リィリは一年のほとんどをボーっと過ごしていて、今日のこの顔合わせと言うのも久しぶり過ぎる予定だ。

 本気で引きこもりのぼっち生活なのだ。 

 断ったあと、彼は悲しげに瞳をゆらしてリィリを見つめてくる。

 居心地が悪すぎて、リィリがどうしようかと一瞬視線をさまよわせると、目があったアニーに目力だけで強く後押しをされてしまった。


「う」

「少しの時間でもいいのです。お願いします、リィリ……」

「ど、どさくさに紛れて呼び捨てにしないでください」

「いけませんか?」

「さっ、さらにどさくさに紛れて手を握らないでください」


 ついさっき、触れないでと手を振り払ったのをこの男は忘れたのだろうか。

 相手を睨んでみせるのに、ジョージは今度はひるむことなく爽やかに返してきた。


「婚約者ですから、これくらいは構わないのでは?」

「それ、は……。構わないはずがないともうしますか…」


 普段まったく人付き合いをしていないリィリは、押されてしまえばぱっと言い反すことが難しかった。

 会話をしなさすぎて、口がうまく回らない。何より良い台詞が頭の中に出てこない。

 いつの間にか身を乗り出され、テーブルの上で手を握られているこの状況を、打開するほどに恋愛経験もなかった。

 

(どうして? なんで嫌がらないの?)


 今回の婚約は間違えようもなく家同士の政略結婚だ。

 公爵の娘であるリィリと、確かジョージは隣国の王家筋の人間だと父からの手紙に書いていた。

 挨拶をして、お茶をしつつ会話を交わす。

 これを済ませればもう、今回の用事は終了のはず。

 彼がリィリのそばにまだ居座る理由なんてない。

 あとは結婚の日までに何度か適当に会ってれば、面目はたつはずなのだ。

 どうしてまだ、自分に関わろうとするのか。 


 …リィリと関わったって、彼に特になる事なんて一つもないのに。


(もしかして、お父様の顔を立てているとかかしら。家同士を通り越して、国同士の関係強化のための結婚ってこと?)


 隣国の王家の血筋と言うから、国の政治的な部分もあるのかもしれない。

 世間の波から遠く離れた、この田舎町に暮らしているリィリには、その辺の詳しい事情は想像するしかない。

 でもそれならば、不敬なリィリの態度にも怒れない男の様子にも納得がいく。

 怒れないのではなく、立場的に怒れないのだと。

 きっとこの結婚は彼にとって成功させなくてはならない責務になっているのだろう。


「あの。別に、そんなに気を使わなくても、結婚くらいするつもりですよ。貴族の娘として生まれた責務ですもの」


 それに親の決定に逆らうような意地も反抗心も、もうリィリには残っていない。

 

「ご機嫌取りなんてしなくて良いです。貴方の立場を悪くするようなことしません」


 しかしそのリィリの台詞に、ジョージは首を横へふってしまう。


「立場なんて関係ありません。私はただ、リィリとの時間を過ごしたいのです。貴方を知りたい…、どうかご一緒していただけないでしょうか。お願いします」

「はぁ……。……ん?」


 ここまでしっかりと好意を伝えられて初めて、リィリは彼が自分に向ける目が、やたらと熱のこもったものなのに気がついた。

 好かれる要素など何一つもないくらい、初対面でリィリは良くない態度をとった。

 跪いてまでくれた相手を払いのけ、ぶっきらぼうにしていた。

 むしろ怒ったっていいだろに、何だこの反応。どうして懐かれる。

 政治的な婚姻だと言うことも否定されてしまった。

 つまりは本気でこの男はリィリを気に入っているということだろうか。何故。


(やだ。何、変態? いじめられるのが好きとか、そういう嗜好?)

 

 なんだかもう、それしか思いつかなかった。




 ―――結局、押し切られて彼女はジョージと散歩に出ることになってしまった。

 婚約者同志と言う間柄なので、二人きりでの外出もあっさりと許可された。

 もっともこのド田舎ではそうそう危ない人には出会わない。

 それどころか一時間の散歩で一人ともすれ違わないなんて日常の田舎っぷりだ。

 だからリィリはいつも留める使用人や護衛を放って一人で出歩いているのだが……、今日は隣に慣れない人がいるから、落ちつかない。


「へぇ。ここがリィリが生活している場所なのですね。自然豊かで心地のいいところだ」


 広い草原が続いている。

 おざなりに作られた道は舗装されていない。堅い土が、時々風に吹かれて巻き上がった。

 面白いものなんて何もない田舎の風景だ。

 でも彼は今にも鼻歌でも歌いそうな機嫌の良さだった。 


「ジョージ様はどうしてそんなに私に友好的なのですか?」


 態度の悪い女にどうして優しくしてくれるのかが分からない。

 だから尋ねてみると、ジョージは振り向いてきょとんとした顔で言う。

 

「私の妻になる方に優しくするのは当然ではないですか」

 

 当たり前のように告げられたその台詞にリィリは目を丸める。

 しかし直ぐにきゅっと口を引き結び、喉を唾を飲んで鳴らしたその後。

 小さく深呼吸してから、本気で彼を馬鹿にするふうに口端を上げて嘲笑ってやった。


「はぁ? あなた、どこまで頭たりないんですか」

「リィリ?」


 彼を睨みつけるリィリの様子に、ジョージはただ不思議そうに瞬きを返す。


「だっ、だって、知っているのでしょう? 私が変わり者のあばずれだって。変なことばかり言う狂言者だって」

「それはっ……」


 リィリは彼から目をそらし、ハッと重い息を吐く。

 綺麗な翡翠色の瞳を視界に入れたくなかった。


 普通に夫婦になるのだから仲良くしたい、と言う当たり前の理由はリィリの中にはまったくなかった。

 なぜならば彼の住む王都に広がっているリィリの話は、それはそれはもう最悪なものなのだ。

 そしてその噂は八割方が真実だ。

 言い訳も出来ないくらいに、リィリはこの国で浮いた存在だった。

 リィリは人の中では指を刺されて笑われる存在で、そんな自分と良い関係を築こうとする男なんて居るはずがない。仲の良い夫婦になりたいだなんて、本気で笑える戯言だった。

 

(同情や、見せかけの愛情もうんざり)


 一人ぼっちのリィリを気遣って掛けられる同情めいた言葉も、お前は可哀そうな子なのだと、言われているようで、気を逆なでされる。


 だから。

 一番最初の段階から、伴侶となる人を拒絶した。


「ジョージ様もおかわいそうに。私のような女との婚姻なんて、皆の笑いものになってしまいますのに」

「………」


 ジョージの顔色が曇る。それだけで、やはり彼は知っていたのだとリィリは悟った。



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