旅程
まだ仄暗い早朝。ダペルは洞窟で二度目の荷物確認をした。よく研いだナイフに水筒、地図、金貨や銀貨を数枚と干し肉などの携行食糧。服装は軽い革鎧を着て、その上から顔まで隠れるローブを被った。これなら最悪人前で分身を使っても顔を見られない。
「よし、行くか」
持ち物は持った。分身は上限の三十二人まで出した。村のみんなには悪いが誰にもいわずに王都を目指さなければいけない。秘密を共有すればそれだけ危険がある。
「エアスラスト」
呪文と共に風のベールが身体を包み、地面を蹴ると風による推力でかなりの距離を跳躍。それを繰り返して凄まじいスピードで森を抜ける。この魔法を使っての移動はヘルハウンドより速い。あっという間に村が点のように見えた。
「ふう、少し休むかな」
それにしても、とダペルは思った。自分は魔法があるから移動が楽でいいが、商人などは大変だ。例えば水。魔法使いは僅かな魔力から綺麗な飲み水を豊富に生み出すことができる。それを全て保管して上手く配分しなくてはいけない。例えば火種。魔法使いは火種に事欠かない。例えば魔物や盗賊の襲撃。有事の際、魔法が使えれば最低限の戦闘能力は確保できる。北が分かる魔法や清潔さを保つ魔法など、戦闘に役立たないものも旅には大いに役立つ。加えて自分には分身がある。見張りや護衛や勿論、食糧の確保だってやってくれる。実質、彼自身がするのは移動して眠ることだけだ。
「思ったより早く着きそうだな」
「俺も今そう思っていたところだよ本体」
「あとどのくらいで着くかな?」
「そうだな、このペースならあと五日ってところじゃないか」
「俺もそう思ってたよ分身」
「だろうな」
彼らはそもそも一人の人間なので一見すると意味のない会話だが、これも思考を整理するのに役立っている上に、なにより孤独が紛れる。
斯くしてダペルの人生初の一人旅はなんの困難もなく進んでいた。そんなときだった。
「……! おい本体!」
「ああ、一人やられた」
斥候に出していた分身の反応が一つ消失した。
「気をつけろ! 必ず二人一組を作って敵を見つけたら声を出せ!」
「いたぞー!」
ダペルが警告して直ぐに分身の一人が声をあげ、すぐに全員がその方向へ殺到する。
「なんだあいつ……」
すでに分身たちが集まっているその中心には、巨大な人型の魔物がいた。身長は大の大人二人分ほどで、体中を深い体毛が覆っている。手には子供の背ほどの長さを誇る杖が握られており、ダペルの分身たちによって放たれる高威力の魔法に眉一つ動かさない。反対に魔物の杖が輝いてから現れる魔法の数々は分身を次々に飲み込み、消して行った。
ダペルは魔物からなるべく離れて観察し、全く魔法の効かない魔物についてある一つの仮説を立てた。
「魔法抵抗か」
魔法抵抗。全ての生き物は生まれつき、魔法に対して一定の抵抗力を持っている。生まれたばかりのそれは無きに等しく、魔法をその身に受けることで強くなって行くものらしい。魔法を受けるような経験があればあるほどその力は強くなり、目の前の魔物のように魔法を使うものならばその初期値も高い。それは人間に於いても例外ではなく、魔法を受ければ受けるほど魔法抵抗もつくのだが、普通、魔法抵抗が目に見えてつくほど魔法を食らった場合、先にその魔法で死んでしまうので魔法抵抗の強い人間はあまり多くない。
魔物は相変わらず魔法を放ち続けており、次から次へと現れる分身を冷静に消し去って行く。分身たちも肉弾戦に持ち込もうとナイフを持って特攻するが、所詮は剣の心得もない子供の攻撃。距離を詰める前にやられてしまう。
「これじゃあキリがねぇな、魔法以外も鍛えなきゃダメだ」
このまま魔物の魔力が切れるのを待ってもいいが、その兆候は見られない。その間に別の魔物が現れでもしたら厄介この上ない。ダペルは護衛の為に側で控えている分身たちに指示を与える。
「これから二人組で死なない程度に魔法を撃ち合え。充分ボロボロになったら俺と同期だ」
分身たちはすぐさま互いに魔法を放つ。こういうとき、本体と同じ思考回路の彼らは便利だ。説明しなくともなんのために何をすればいいのかがわかっているし、簡単な命令をすればそれを直ぐに実行する。
あるものは炎を、あるものは雷を、あるものは風の刃を、またあるものは氷の礫をその身に受けて、半数ほどが消えてしまった。残ったものも全身を焼け爛れさせ、凍らせ、あるいは片腕を失い無事とは言い難い。
「うわぁ……結構えぐいな、でも痛みはないはずだしな。無事かお前ら」
ダペルが安否を確認すると全員が親指を上にあげた。
「そうだよな、びびって損した。さっさと来てくれ」
ダペルがそういうと満身創痍の分身たちは彼の中へ入って行く。同時に自分が魔法に対して強くなったのが感覚的にわかった。
「よし、これで大丈夫だろ」
魔物に向かっていた分身は既に全員消されており、ダペルは現在出現可能な分身四十人を全て出した。分身たちを向かわせると魔物は相も変わらず魔法を放った。
「な!?」
驚きの声をあげたのはダペルの方だった。先頭の分身が僅かに耐えた後消えてしまったからだ。あれだけの傷を受けて魔法抵抗を上げたにも拘らずこんな魔物一匹の魔法にまだ耐えられないのだ。魔物抵抗の高い人間が少ないのも頷けるというものだ。
しかし分身を消すのに僅かな時間を要するようになった魔物は、先ほどまでのように次から次へと襲いかかる分身たちを倒すのが追いつかず、特攻の波に飲み込まれてしまった。
なんとか魔物を倒すことができたものの日はすっかり傾いていた。肉弾戦の弱さや魔法抵抗の低さも今後の課題だ。
「しかしまあ、魔法抵抗の方は直ぐになんとかなるか」
そういうとダペルは分身を全て出す。数人は護衛。残る三十人以上の分身には先ほどと同じ作業、つまり魔法の撃ち合いをさせる。
「じゃあがんばってくれ、おやすみ」
分身たちの夜は長い。