5.血濡れの像
5人目は資料によると一駅先のこれまた公園らしい。
入り口から歩く事数百㍍、目指す場所は見えてきていた。その場所をメインとしたその造りは人々の憩いの場であったことが容易に知れる。今はその人も通り過ぎるだけで、閑散としていた。そしてやはり此処も木々が多いことに気がつく。様は隠れやすいのだろうと思った。ルナはデータに再度眼を通し始める。
「5人目。レオナ＝アリトウ、22才。1人目の公園の数百㍍先の噴水にて刺殺。物陰に潜んでいたと思われる犯人によると思われる。首筋に牙の痕があり事件性を出した。発見時は噴水が赤く染まっていて、今も像には血がこびりついている…」
読みながら、そのまま顔を像に向けた。成程、西洋建築の一部になっていてもおかしくなさそうなその女神像はその下部を中心に彫刻の隙間などに赤黒いものが見える。カインが無言でその噴水に近づいて像に触れた。しばしの沈黙の後、ややあってイライラとした表情で口を開く。
「……ふん、ホシがハデに散らかしたせいで欲しいネタが掴めん。まあ「血濡れの像」として評判は呼ぶだろうな、ありがたいことに。最後に喰ってるんだかの映像が見えた。そちらはどうだ」
カインはそのまま立ち尽くし思念を読んでいるルナに声をかけた。
読みながら、彼女はぽつりぽつり、箇条書きのように説明を加えてくれた。
「気配からして…かすかにヴァンパイアっぽいのもある…でも後は発見時の混乱が酷かったせいか入り乱れてる……彼女は顔も見てない…暗いから…そのまま意識を失った…」
「………そうか。ダメだな。ヤツはこれも見越してたのか？ ったく」
媒体の噴水につっ込んでいた手をはずし、水に濡れて液体となった血のりをピッとはらって悪態をつく。
―そう言われてもなあ…
ルナはぼんやりとカインをながめてポツリとそう心に呟いた。夕方の空気が寒いはずなのに、自分は汗をかいていることに気がついて袖で拭う。空を仰ぐ。今日は頼りないばかりの細い三日月が浮かんで、薄暗い空に浮かんでいた。
「月に帰るとか、言わないでくれよ」
気づけばカインが眼を細めながらこちらを見つめてきていた。
「帰るって…」
夜風がそよいで、髪が顔に散った。通り抜けてそれは木々を揺らして去っていく。カインが近づいて、顔にかかった髪を爪で肌を傷つけないようにしてそっと耳にかけて笑った。
「姫君をお返しする訳にはいかぬので」
カインと目が合う。蛍光灯の光がそのアメシストに似た瞳に入って、その瞳を婀娜めかせてみせた。
トクン。
「悪魔が姫君を、頂いていくことにしよう」
ニタリと笑った唇から、2本の犬歯がこぼれた。
言い返せばいい。それなのに。
（囚われている）
そう思ったのは気のせいだろうか。ふわりと持ち上げられた髪の毛が擦れた音を立てる。
「美しいな」
彼が言ったのはこの月か、それとも自分の髪の事だったのかは、分からなくて。
「次へ行こう」
そのまま戻って、近くに止めてあった車に乗って次へ向かっている時はもう真っ暗になっていた。そう真っ暗になるまでも捜査は出来ない。夜になるとテンションの上がるカインを徒歩では行かせられない。案の定、カインは何か…イキイキしてる。流れていく街中のネオンを目で追いかけては戻りをしているカインに、余計な事はしないでね、と一応釘を刺しておいた。
「余計な事とはどのような？ 血を頂く事か？」
面白がって遊ぶように運転中のルナの首筋をスス…と指で辿った。
「ゃ………総合的によ！ そういう事も止めて！」
慌てふためいて声を荒げれば、安心しろ、と彼ははははっと軽快に笑う。
「遊び半分に人を殺しはせぬ。そこらへんで遊んでいる若造のようにな」
「………ホント？」
遊び半分以外は殺すのかとかいうつっ込みはあえて言わないでおこう。彼は馬鹿ではないし、自分の立場はきちんと踏まえているはず。カインは鼻歌でも歌いそうなくらい陽気に頷いた。
「ああ。しかしこうして身動きの取れないお前で遊ぶのは楽しいな。ははっ」
「っちょ………さらに血管辿るのやめてよ！胸までさりげなくいこうとしてるでしょ！ 運転集中できないったら！ セクハラ！」
「はは、やはりばれていたか。惜しかった」
「っ………！！ カイン！」
「ほらそこ右に曲がるのだろう？」
「もう早く言ってよ！」
ハンドルを大きく切ったと同時にキキキキキッとタイヤが激しい音を立てて擦れて曲がった。
「着いたな」
携帯用地図ビューアと実際の道を見比べながらカインはさっきの事なぞもう忘れたとばかりにしれっと言ってのける。ルナはそれを聞いてぐったりとハンドルを持った手にそのまま顔を置いてうなだれた。もう運転だけで疲れることって最近なかった気がする。
「少し、歩くな」
降りよう、とカインが言ってそのままドアを開けた。続くように自分もドアを開け、バタンと音を立てて降りる。通行の邪魔になる事が気になったが、誰も通らない事を祈るしかない。住宅街の手前の大きめな十字路。角の電柱には夜闇に浮かび上がる白い花があった。ルナは手にした資料をそっと取り出して目を通した。
―6人目。アオイ＝トシザキ、20才。学校から帰宅するはずの20：00を過ぎても帰宅しない事を心配した家族が捜索したもののその日は見つからず翌日朝5：00電柱の下になだれかかる彼女を発見した。その間、学校から帰宅するところ以外彼女を見たと言う目撃者は今の所見つかっておらず、学校を出てからの間に殺害された模様。首筋には２つの牙痕があり、血が多少抜かれていた事から連続殺人事件の被害者となった。
資料をバックにしまい、現場を見直す。これと言った物は見当たらないのは当然だ。何か発見できるのだろうか。現場の前に立ち、手をかざす。
（能力者って読んでるだけだと必ずアヤシイ人になってるのよね…）
その発見現場の道端で集中しつつ、思う。やがて意識が現場の映像の海へと集中していく………
『―虚ろな彼女の瞳。にぎわう街中。影。声を掛けられて。それをみて光が射した。うれしい。イッショニ行く。路地。電柱の後ろ…いる………ブスリッ！………さされた………れ…の？ …………る……………ブツ』
情報がなくなった途端、まるで砂嵐のように映像がぶれて見えなくなった。
――ハッ。
意識が現実に戻って、大きく安堵も込めたため息をつく。そのまま両腿に手をついて、上半身を軽く折り曲げた。汗が拍子に地面に落ちて吸い込まれていく。最後に残るのは、いつもコレだ。
白くなっていく死体の瞳。
生暖かい血が冷えていく事。
冷えた身体。
戻ってこない、すべて。
（気持ち悪い…）
感情がまだ読めて、残滓を鮮明に残している。少しして残っていた空気を残らず溜め息として吐いた。これを見られるからこそこの仕事にありついているのに、いつだって気分がいいことはない。当たり前だ。人が死んで気分がいいなんて、加害者かよほどの狂った人間かそれ以外かどっちかだもの。私はそれでも気分なんて良い方じゃない。少し心を落ち着けてカインに読んだイメージを伝えると、カインは訝しげに現場を見て言った。
「女はココでヤラれたのは間違いないとは思うが…誰かに話しかけられていたと言ったな。顔見知りか？」
「違う…ナンパ？ ヴァンパイアの色気じゃなくて？ そういう力があるんでしょ？」
「あるが使わないな俺は」
「必要ないじゃない貴方」
「ルナがいるからな」
「いい加減セクハラで訴えるわよ」
「ますます喰いたくなるから止めておけ」
ニヤニヤと言葉を言葉で返してくるヤツが心底意地悪く見えた。我慢我慢、と必死に念じて耐えてみせる。頭に青筋を浮かべたままだったが。
「………でも少なくともこの件はヴァンパイアが絡んでる」
「不十分だ。データが足りない」
両手を腿について立ち上がって、カイン。
「どんなに可能性があっても決して確定はするな」
「……分かってるわ。確定はしない。選択肢はまだ残ってるもの」
言われるまでもない。
「ところでこの現場をどう思う？」
「え？」
不意に発せられた質問に思わず疑問で返してしまうと、カインは現場―十字路の丁度真ん中に立って両手をまっすぐ中に伸ばしてこちらを挑戦的な瞳で見据えた。
「ヒントは十字路だ。聡いルナであれば少し考えれば分かるだろう」
「ヒントって……」
十字路…そう呟いて、しばし考え込む。そんな自分をカインは手を降ろしじっとこちらを見つめていた。ややあってその瞳を見返しながらおそるおそる口を開く。
「…………十字架？」
カインは少し苦笑まじりにまあ半分辺りかな、と笑った。
「………十字路や三叉路なんかはいつの時代においても霊的、呪的な意味を持つのだ。敵を呪殺する場であったり、または霊に出会う場であったりと」
「ふうん」
「ヴァンパイアにもそれは使えるのだ。ヴァンパイアを退治するひとつの方法として、十字路や三叉路で焼き殺すのも有効手段の一つとして考えられている」
「でもこの被害者は人間よ？」
「霊的な意味を持つ、と言う事においては、意図するところがないとも言えなくないだろう？ 現にこの十字路のど真ん中で殺されたとしても、遺棄はご覧の通りの道の端だ。人間だから、と言うことであえてここにしたのかもしれない。それとも単純にこの人間を魂まで呪い殺したかったか、とか」
「……推測の域からは出られそうにはないわね」
聞きながらルナは疲れたような溜め息を漏らす事に留めておいた。様はこの現場も犯人が意図的に作り上げたものだということだ。その考えはあくまで候補の1つにすぎない。
「それは残念」
カインはそれでも余裕の笑みで、こちらに向かって肩をすくめた。
そして５人目の噴水と６人目の道端の現場で、特に収穫もなくお開きになった。読みすぎて人間のこちらの方が疲れた。人間的な証拠はほぼ警察が捜したのだ。能力者が見てダメなら、ないのだろうとカインは言った。右に同じ意見だった。
まあお開きにしても、どうせ帰る所は同じなのだけれど。
相手の食事を作らなくていいだけマシなのかも、と思って、帰りにコンビニでゴハンを買って帰った。コンビニの店員はキョロキョロながめるカインを思い切り頬を染めて凝視していたのを見て、何故かムカッときた。お腹すいているせいだ、きっと。
帰って、早速カインは冷凍血液を解凍して、2人でダイニングのテーブルに向かい合ってゴハンにする。カインが来てから夜の照明を間接照明にしていた。何だかんだで部屋はカインの仕様に変わっている事に、自分が驚く。こうなれば目が悪くなることも覚悟しなければならないかも。考えているとカインが皿の中を指しながら言う。
「ルナ、ちゃんと食べるのだ」
「ほっといてよ。カインこそ貧血でぶっ倒れないようにしといて」
「そうなったらルナの血をくれるといい」意地悪い笑みがこちらに向けられる。
「我慢するって言ったわ！」
「ならルナもちゃんと喰え」
パチン！ と箸をテーブルにたたきつけて反戦するも、あっさりとやられ。
「意味わっかんない……」
「ほらニンジンもだ」
「う……………」
１日そこらでこの環境に慣れてしまう自分も恐いな、と思った。もぐもぐと口を動かしながら合間に言葉を挟む。にんじんっていつも美味しくない、もう。
「結局、5人目も6人目も同じ感情しか読めなかった。痛い……何故…暗いし背後からだし、よく見えないのも当然かしら…6人目は顔見知りではなかった。街中で声かけられてそのままって感じ」
「でも最後は死体の上に覆いかぶさるヴィジョンがどちらにも見えた。あれがナニしてるのか血を頂いているのかは分からぬものであったが……」
「そう……」
ナニしてるだけ余計だわセクハラ紳士め。じと、っと睨み付けるが、カインはと言えばしれっとその視線をかわし、ニヤニヤと笑みを浮かべて返してくるだけだった。
「邪険にするな。今も昔もそういう人間もいる。死姦とかな。今回は違いそうだが」
「そうね。わざわざヴァンパイアの咬み跡残して死体を血で着飾って見せびらかす面倒するならヤルだけヤッってとっととおさらばするんじゃない？ 死体を持ち帰るとか。今回の事件それらしくヤられた人間はいないって報告書には書いてあるし。そもそもネクロフィリアは冷たくなった人間を墓場から掘り起こして悪戯するんでしょ。冷たい肌に勃つヒトだったら、生暖かい肌には感じないんじゃない？」
ひゅー♪ と口笛を吹いてカインが目を丸くした。
「…なかなか大胆な事をいうんだな。その通りだ。わざわざ２つの穴を開ける必要もない。ネクロフィリアの定義、観念としては1つは死者への猛烈な愛によるものと言われている。もう1つは死という完全な束縛による支配だ。死という最高の緊縛状態においてのサティズムと言ってもいい。どの時代でもそれは性倒錯の最大の禁忌だった」
「今の時代でも殺しながらヤろうってヤツはごまんといるしね。なんか分かんないけど、首絞めながら事をすると死ぬ直前の筋肉の痙攣で極上の上をいく天国が味わえるってある事件の犯人は言ってたわ。結局のところどんな人間にもそんな感情―支配したいって感情はあるのよ。
そうでしょう？ 子どもの童話にだって美しいお姫サマが眠ってるって噂を聞きつけた王子がキスで目覚めさせるアレだって、お姫サマは様は〝死んではない眠った身体〟なのよ。キスというのは自分の生命力を分与させる意味も持つ。生命力とは貴方の大好きな血、そして男性の液。キスはそれを象徴している。それをして生き返ってさあ結婚が待っていますってまさに支配と性そのものよね」
「茨に囲まれたアレとかもな。それと唇は生命力の象徴であると共に女性器の象徴であったりもする。他にも親愛・愛情もろもろの表現もあるが……人間とは面白いな」
カインがニヤニヤしながらこちらを見つめてくるのに気づいて、何でか恥ずかしくなってくる。むっとして睨み返してやった。
「……何よ、グロイ捜査に関わってれば耐性もつくわよ。……男女のもつれからなんてしょっちゅうだし」
「しかし綺麗な女がそういうこと言うのは興奮するな」
「バカ言ってないで食事して下さい」
最後の一口を口に入れて咀嚼し終えて、パチンと箸を置いた。とりあえずセクハラにはとことん流して然るべきだわ。手を合わせてから器の片づけを始める。それを頬杖をついて見ていたカインが笑って事も無げに言ってのけた。
「ところでルナ、デザートはお前の血でしめたいな」
「前に言ったこと分かってます？ カイン」
「冗談だ。これからどうする」
「少し仮眠とってまた署に戻る。事件を一度見直しておきたいから」
洗い物を済ませ、水道を止めて既にルナはベッドに向けて歩き出していた。
