4.開始
たとえ自分が血を喰われたって、事件は待ってはくれない。
解っているけど、あの出来事は1日以上たっても脳裏から離れそうにない。一般人には刺激が強すぎた。カインはいつも通りだけども。ああ、自分だけか。バカみたいだわ。
夜に差し掛かった時間帯、緑豊かな木々も終わりを迎え始めた公園のありきたりに置いてあるベンチの前で、ため息ひとつ。カインの都合に合わせて調査をなるべくしなければならないので、調査は夜からだ。秋の差し掛かりとはいえ流石にこの時間帯は結構冷える。ぶるっと身体を震わせてから上に羽織った黒のコートの端を引き寄せた。カインといえば似たような格好をしていて、Yシャツに黒のパンツ、黒のトレンチコート。Yシャツは白で、衿を2つ程開けているのを見て寒気がした。白い端正な顔に月の光が差し込んで、夜の中で存在を放つそれに思わず目を奪われそうになる。
見惚れていた自分にハッとなって、かぶりをふった。
「どうした」
「なんでもない。貧血よ」
だいたいヴァンパイアの力で読めるなら今読んでほしい。使いどころ間違ってる。
「悪かった、といっているだろう」
むう、読みやがった。遅い。むくれているルナを見やって、カインが呆れた様に呟く。
「今度からは優しくする、と言っただろう。いい加減機嫌を直せ、ルナ」
「直ってますー。さて、お仕事ですカイン」
「全く…」
ぶつぶつとうるさい彼を尻目に、ルナはミニPCでまとめていたデータをある画面で止め、それを読み上げ始める。
「第一の被害者は28才のアカネ=ミシマ。8:00に仕事から帰途につき、その後高校時代の友人と夕飯を食べて分かれた後から消息不明。翌6:00にこのベンチに犯人の芸術作品として展示…ちなみに友人の話によれば、その日はなんの変わりもなくそのまま帰宅すると彼女は言い、夜も11:00をまわっていて、その後人と会う気配はなかった」
「なかなかの比喩表現だな」
「死体で発見、なんてよりいいでしょ。さあまずこれをどう見る?」
隣りで顎に手をあてて現場を眺めるカインを横目で見やる。
「普通に考えたら、公園内で拉致、もしくは殺して、どこかへ保管、人が来る前に遺棄…ってとこか」
まあ、そんなところだろう。
ベンチを見下ろす。事件以降、ひそかな注目スポットに成り果てて、お供え物も多かった。流石にもうここに座って休もうとは思えないのだろう。ふむ。しばし一考して、ふとカインを見上げる。
「そうやって一考している様は、凛々しいな」
観・察してやがった!むっと睨んだら反対にカインの瞳は穏やかに笑った。
(ばか…仕事、シゴト!)
思わず跳ねた自分の心臓の上を慌てて押さえて、心の中で首を振ってからすぐにデータに目を戻した。
「し…死因は失血死。被害者からは血が半分抜かれていた。なお後頭部に陥没痕、首にヴァンパイアと思しき2つの牙痕を発見…暴行の形跡はなし。抵抗した様子もないから殴られてそのまま意識を失った可能性もある。……それでカイン=ノアールはこの事件現場から何か読める?」
「無理だ」
「は?」
さっぱりきっぱり断言したなオイ。目を閉じたカインに視線を向ける。彼は現場に手をかざし、じっくりと気配を辿っている。少しして目を開き、人差し指を現場に向けクルリクルリと回しながら薄い唇を開く。
「残留思念がもう薄くなっている。報告書通り、思念を残す間もなく意識が飛んだか死んだか、元々の量が無かったんだろうな。それでその間にいろんな人間の思考が入って面倒だ。時間が経ち過ぎている。この事件はいつの話だ」
「…………4週間前」
「おいおい、血の匂いだって洗い流せば薄まるぞ。一体警察は何してたんだ」
あきれ返ったカインが両手でお手上げ、と言ったポーズをとって見せた。その通りなのだがどうにも癪に障る。不貞腐れた様に小さな声で返した。
「上は資料だけ見ればいいのよ。現場なんて行かない。いつか誰かが何とかしてくれるのを待ってる。現にこのヤマだって上層部がヴァンパイア問題として取り上げたの10日前よ。私が就いて貴方がつくまでスピードだったんだから」
「厄介事が能力者に回った訳か。何とも言えんな」
「仕方ない…それが能力者の今の地位だもの」
これはダメだ。どうにもそのままグチの語り合いになりそうなのであわてて話の方向を転換することにした。
「それより牙痕を発見したのなら、やっぱりヴァンパイアなのかしら?」
「わからぬな」
「なんでよ」
「ヴァンパイアならそのままバクッとイケるだろう? わざわざ殴りつける意味がわからぬ」
バクッとイケるって……どーゆーボキャブラリーだ。右手でバクッと食べる仕草をしつつ、そこの部分だけ強調して言いながらニヤニヤしながら見つめてくるカインに思わず顔が赤面状態になった。もうコイツ、セクハラ紳士決定だ。もう! 無理やり口の端を引きつらせつつ持ち上げているルナに、カインが今度はこちらの真似をするように同じ質問を返す。
「それで、精神感応能力者、ルナ=コンジョウには何も伝わってこないのか?」
「……………アナタと同じよ。いろんな思考が混ざりすぎて特定できない。…解放したらしたでパンクしそう」
額に指を置いてうめいてみせる。事実だった。時間が経ちすぎている。まるで色エンピツで濃淡を表すかのように思念は通り過ぎては行くものの、被害者の物が特定出来ない。
「一応思念を一通り当たってはみたが、何もそれらしい…めぼしいものはなかった。薄すぎて俺にすら掴めぬのかもしれない。いずれにせよ、遺体はココに遺棄されただけだと考えるのが妥当かと思うのだが。本当の現場は他だな。頭を強打されていたらどこかに血痕は残っていないか? 」
「……ベンチの手前の、あの地面から噴き出す噴水の所。夏場はよく水浴び場になるんだけど―引きずったような跡がある。血痕はあそこだからもう残ってはいないけど、反応は出たらしいわ」
「…ところでこの事件、何人殺された?」
「…………9人」
「随分自己主張が激しいな」
「いまさらそんな事聞くの?」
「ヴァンパイアが食事するには多すぎるし、人間ならば相当な狂信者だな」
「どっちにしても、その自己主張が激しくならないうちに捕まえなきゃいけないのは確かよ」
ベンチを見下ろして、荒く息をついた。
いずれにしてもカインの言う通りだ。ヴァンパイアならそのまま人には抗えぬ力でもって襲えばいい。わざわざ動けなくする理由がない。だとしても、死因である失血死についてはどう説明をつける?血液が半分もないのに、それはそのまま行方不明。流れた跡も、未だ見つかってはいない。
「どちらにしても、ここに居る意味がないのではないか? 収穫はなさそうだ」
「ちょっと待ってよ、もうちょっと…」
なおも粘ろうとしてベンチやその周辺から離れず気を探っているルナにため息をついて、カインはルナの腰をさらって自分の方へと引き寄せた。後から抱いている状態に、ルナが酷く動揺しているのが分かる。男を知らぬ乙女でもあるまいに、耳まで真っ赤だ。カインは笑った。
「ちょ…はなしてよ! バカ! セクハラ!」
「血気盛んな女には飽きないな。愛くるしい」
「何言ってんの! 分かるわよバカにしてるでしょ!」
「面白がっている」
「それよ!」
相変わらず胸の中でじたばたともがく彼女をやんわりとした力をこめて押さえつけ、その耳元でそっと囁いた。
「ここで時間を費やしていても仕方がないだろう。お前も俺も読めそうな、最近のヤツの所で見直せばいい」
「そうもいかないわ。私だってこの事件に着いて間もないの。順番に見てかなくちゃ…」
見た目に反して根は律儀なのだろう。世の中1からはじめてきっちり10まで順序良くやっていたらうまくいかない事の方が多い。まして警察組織の中でなら尚の事だ。そんな事でよく警察などやっていられるものだ。カインは手を回している彼女の腰を更に力をこめて引き寄せる。
「効率良く。百歩譲って5人目からだ。他は後でも見直せる」
そんな譲歩策に、ルナはむう、とふてくされた顔をしながら、やがてしぶしぶと首を縦に下ろして言った。
「………分かった」
「行こう」
その耳元にちゅ、と音を立ててくちづけ、カインはルナの手を引っ張った。ルナは耳を押さえて顔を真っ赤にしてこちらを睨みつけていた。