3.それが欲しい
「フム………まあまあだな。広さも良好」
そしてやってきたルナの部屋を見て、カインがぼそりとそう呟いた。まあまあときたか。大げさにため息をついて声を上げる。
「どーせあなたは冷蔵庫とレンジがあればいいでしょ。キッチンなんか必要ないくせに」
監視対象を視界に置いておく、という名目で部屋にも入れねばならず、それでも粘って自分のプライヴェートは何とか死守した。というか、上司を脅しつくした。これくらいは当たり前でしょ、とか言いながら。(そんなとこまで盗聴器が入ってはたまらなかった!)ふーっと息を吐いて、ソファにバックを置いてからキッチンに向かい、自分の冷蔵庫をからミネラルウォーターを取り出した。冷蔵庫は小さいものもう1ついるだろう。食糧の中に血液パックが一緒に並んでいるなんて光景は嫌だ。その間も向こうの部屋でカインはまだ室内散策をしているらしく、遠くから声が聞こえる。
「まあその通りだが…でも共に食事くらいはできる。要は気の取り込みかただから」
「humanの食事?」
「ああ」
「結構。無理して食べられてもこっちの気分が悪くなる」
「了解。気が向いたときにする。ルナの機嫌を損ねるのは決して得策じゃない」
「解ってるんならいいわ…」
そう言ってふり向いた次の瞬間にはカインの胸の中だった。カインに手首をつかまれて身動きが取れない。予想外の彼の行動に大きく動揺し、精神が乱れた。
だめだ。
頭2つ分大きい彼の顔を見上げて、なんとか気を張って彼を見上げた。
「何の真似?」
カインはきっと読めているだろうから、こっちの動揺なんて知れているんだろう。その事がなんかとても悔しくて仕方なかった。カインはその秀麗な美貌に妖艶な笑みを貼り付けて言った。
「言っただろう? 俺がどうしても、の時はくれるって」
そう言って右手でルナの腰に手を回し、左の人差し指でトントン、と首の血管をたたく。そうしていとおしむ様にそこをツツ…と辿った。あまりにも単純で意味のない行為が、彼にかかるとまるで官能的だ。身体が反応するようにゾクリと震えた。近くなったカインの空気にクラクラしたような気がした。つかまれた手首を振りほどこうと必死にもがいてみるが、びくりともしない。それでももがきながら言葉で反抗する。
「それ…がっ…何で今なわけ! てか、機嫌を損ねるのは得策じゃないってたった今言ったじゃないっ…」
「空腹は我慢できる。ある程度は。でも今はダメだ。ルナ。何せあの部屋から出てきたばっかりなのでな」
言葉を区切って息継ぎをするように息を吸ったカインは、すがるように両手でルナの肩を掴んで目線に頭を下げ、その瞳を見すえた。
「だから、今、ほしい」
「カイ…ンッ!」
目線が外れる前、思わず見てしまった。吸い込まれんばかりのパープル・アイは、その瞬間蠱惑の赤の瞳に変化している。気づかなかったが、長い牙も口からのぞいているのがちょっと見えた。白磁のような白い牙。なんて血に濡れた姿が似合う生き物なのだ、とふと思ってしまった。
後はもう、わからない。
ブツリ。
そう、首元で音が聞こえて。
ズズッ…ズ…
一コマ置いて、啜っている音が首元でして、耳を侵していく。
何これ。何これ。
熱い。身体中の血がまるで吸われたがっているかのように沸き立っていた。そして身体が疼くように痛い。首もとで熱い吐息が零れた拍子に思わず反応してしまう。
「あ…あ…カイ…ン」
「黙っていろ。逆にそそる」
まるで違うカインの口調。その声が、やけに熱っぽく聞こえて。咬まれた所がひとしきり熱くて。
身体中がかき回されて揺さぶられているようで、何がなんだか分からない。
やがてひやりとした感触がそこを辿って、カインが首元から顔を上げた。ゆるゆるとその顔を視界に入れれば、もうあの赤い瞳ではなく、いつもの様なキレイなパープルに戻っている。視線が一時交じり合って、それを確認したら急に脚がガクンッ、と折れた。地面の衝撃が加わる前にカインが咄嗟に身体に手を回して支えてくれて、そのままゆっくりとフローリングに脚をつける。
「すまなかった」
涙でかすむ視界の中上を見上げれば、カインは申し訳なさそうに眉根を下げていた。
「すま…ナイで…ッ…すむことじゃっ」
言葉に、声にならなくて、それだけを喉からしぼり出すのが精一杯だった。後は掠れて声にならない。頭の中もぐちゃぐちゃだ。動揺しまくっているこちらを察したかどうか、カインは半ばやけくその様に言い放った。
「ああ解っている。でもこれが俺だ。これがヴァンパイアだ。……恐くなったか?」
見下ろす瞳。
-もうヤダ。なんで。
何で、何でそんな哀しそうなのよ。
許しちゃうじゃない、そんな。そんな事言われたら。そんな目、されたら。その瞳を見たら一気に頭が回路を取り戻していた。
「今…さらよ。それこそ」
そう言ったら、カインの表情がなんだか泣き笑いの様に変化した。安心した、でも哀しい、そんな感情がせめぎあって現れている。
「そうか」
それでも呟いたたった一言には、安堵した響きが混じっている…様な気がした。
「………もっと丁寧にあつかってよ」
「努力する」
「するんじゃなくてして。そうして」
「オーダーの多いことだな」
「アナタのせいよ」
「そうか。ならいいかもな」
「カイン!」
くくくと笑いながらからかうような眼差しを向けるカインに、貧血の今じゃ太刀打ち出来なかった。
「…カイン」
「うん?」
「もう…離して」
「何故だ?」
「ちょっと休みたい。それに血生臭いし」
「添い寝してやろうか?」
「ばか!」