22.人が昔から執着した色は何だ?
嗚呼、貴方がようやく手に入る。
その赤はいったいどこまで楽しませてくれるんだろう。
その肢体を、なめらかで冷たくなった肌を、全て赤く染めて愛してあげる。
待っていて、待っていて…
―君の全てを飲み干してあげるから。
◇ ◇ ◇
自宅についてからとりあえずフロにはいり、その後自室にあるPCを立ち上げて音声認識機能に設定し、ルナはデスクの前に身を落ち着けた。じっと画面を見つめ、そしてそのまま目を閉じる。数時間前の謎に満ちた彼のセリフ、言動をゆっくりと記憶から起こしていく。再び眼を開けて、囁くように、でもしっかりとした声音で静かに口を開いた。
「検索。永遠、輝き、色」
チチチチチ……
「結果。4,630,000データ。装飾品店、化粧品販売、CDの通販再販…」
それをじっくりと見て、更に単語を付け加えた。
「検索語の追加。宗教」
再度電子音が規則的に音を発する。
「結果488,000。ジュエリーショップ。ジュエリー通販、スピリチュアルセミナー……」
「追加。緑」
チチチチチチ…
手元のコーヒーを口に含む。生ぬるくなってしまったマグカップの中の液体はそれでも苦みで舌を刺し、脳髄を覚ます手助けにはなった。
「結果109,000。誕生石…」
「…ジュエリー…」
彼―ヴィオの言っていた事。太古の昔より人々を魅了し、その心を奪った永久に姿形変わらぬ色。呟いた言葉に、確信が持てた気がした。
カインがルナのオフィスの自動ドアの前で目を開くと、室内には真剣にPCの画面とにらみ合いをしている彼女が顔を上げた。デスクの脇には飲みかけのコーヒー、ダストボックスには栄養食クッキーの袋が無造作に投げ込まれている。髪は梳いてないのかハネている。やってくれたな、と瞬時に思った。目の下の隈は深く、あまり寝ていないことがうかがい知れる。こんな無茶を何度この眼に入れただろうか。
それがどうやら声にも出ていたらしい。
「最低でも3時間は睡眠を取れといっているだろう」
むっと、柳眉を嫌そうにゆがめた彼女はゆっくりとした動作でこちらを一瞥する。ああってふい、と再び画面に向きなおると、吐き捨てるように呟いた。
「2時間30分。それで譲歩してよ」
言いながら画面を動かす動作を止めない様子に、カインはふっと思い立って口を開いた。
「…何か、つかめたのか?」
ルナがまたぴたりと動きを止めて、ふて腐れたような顔をしている。思いきったようにぽつり、と一言もらした。
「……たぶんもうちょっと」
「?」
そのままふう、と息を吐いて、ルナはキャスター付きのデスクチェアの上で膝を抱えた。重心の偏りで拍子にチェアが左右にふられる。
「…人間が昔から執着してきた色は、なんだろうって考えたの。色。形あるもの、人間を太古より虜にしてきた…」
空を彷徨う視線に、まるで自分に自問しているようにも見えた。こつん、己の靴音を耳にしながら、カインは室内に一歩片足を踏み出す。
「ルナは、色が何故その色として視界に写るのか、知っているか」
「うん?」
「色はただそれだけでは色として視界に写らない。光…見たときに室内光、自然光何でもだが…が反射することによって色は視界へと届けられる。ああ、そうだ」
彼女がぼんやりとしている間に傍に近づき、顎を引き上げる。真っ黒な墨を流したような瞳と視線がぶつかる。瞬時にその顔が赤くなったのは言うまでもなく。
「月もそうだったな」
次の言葉が吐き出される前に染まるその唇に、己の唇を合わせた。もっとも、俺の月は触れられる、口づければ嗚呼、何とも甘くなる。次第に湿り気を帯びてくる唇の感触にしばらく陶酔しているとどんどん!と雑に胸を叩かれた。ようやく離れれば、荒げた吐息の彼女と怒気を含んだ空気が漂った。こっそりとほくそ笑む。嗚呼、聴こえてしまったな。
「…悪い」
「思ったことないくせに」
すねた幼子のようにそう吐き捨る彼女は顔を真っ赤に染め上げたままこちらを見ている。ほら、今も笑ってるわ、と言われて、口元が知れずあがっていた事に気がつく。嗚呼、またばれた。
「…悪い」
「……もう」
そのまま押し黙るように俯く姿がいとおしすぎてたまらない。せりあがって来る何ともいえない感情をなんとか押さえ込んだ後、カインは真面目に彼女の傍らでPCと向き合うことにした。あまりいじめると後が怖い。タッチパネルに指を静かに滑らせ、情報を引き出していく。
「色彩は色だけではなく、他のものにも例えられていた…自然界のもの、惑星、宝石…人間の心などとうに忘れてしまったが…光、色。このワードが少なくとも入るのは、」
「宝石。ジュエリー…やっぱり」
「宝石のような瞳だったな、教会の生贄は。エメラルドのよう」
「…もう一度、教会にいってみるわ」
早い方がいい。ルナは傍らに置いていたコートを手に引っ掛けて立ち上がった。
「教会とも限らない」
冷ややかな眼差しのカインが見つめればルナはにんまりと意地悪く微笑んでいる。
「あらカイン、緑の項目を見たでしょ? 二面性をもつ色、悪魔の色、そして女性が纏えば誨淫の色よ。それは人間の原罪でもある」
ばたばたとしながら準備を進め、必要なモノをかき集める彼女を見つめるしかない。しばらくそれを見つめていたカインは、やがて口元に指をそっと当てると、ゆっくりとその唇を引き上げて笑った。仕度の整った彼女の手を取り、ぐいと己のそれに指先をあてがう。
「…地獄まで付いてってやる」
赤く染めあがった顔とは裏腹にその指先だけは妙に神聖で、己の唇にそっと手を伸ばした。