21.君の事なら何でも知ってる
この頃日が暮れるのはめっぽう早い。
もっとも署内に籠っていれば冷暖房完備だからあまり影響もないわけだけど。こつん、こつんと靴音の響く地下駐車場を地面を見つめながら、自分の車まで歩く。カインは先に帰っているから、一人で車で運転していけばいい。(彼はこれ以上は眠くて堪えられんと強引に車を出させていた)
それにしても夜が早くなった。それはすなわち彼の起きる時間が長くなったということ。巻きつけていたマフラーに顔を埋める。
―ちょっとだけうれしいかも、なんて。
いつ離れても―いや実際はそう遠くないのかもしれない―と思う度に心臓以外の部分が痛くて痛くて仕様がなくなるけれど、考えても仕方ないと自分を叱咤して。最近は、ほんの少しでもいいから、ちょっとでもいいから、共にいる時間を下さいと、信じない神に祈り続けている。そんな自分の行動に酷く呆れながらも、嗚呼自分はかくも弱気人間だったのだと思い知らされ、苦笑する。
「あ、はっけーん」
この瞬間誰もいないはずの駐車場に、うららかな春を思わせるのどかな声が響いた。バッとすぐに反応した身体が声のほうに振り向くと、自分の駐車した場所の、車の横の壁に持たれていた背の高い影がひょこっと起き上がった。その姿に思わずルナは目を見開いた。
「…ヴィオ?」
「うっわ途端にテンション急降下かよ。マジでー」
俺傷つくわーと苦笑しながら頭をガシガシとかいて立ち上がった彼の姿は相変わらずだ、と思った。一見明るい青年、だけどその奥は見えない意志の強さがある。今日はダークグレイの細身のデニムにブーツ、トップスは黒にライトグレイのゴツいファー付きジャケットと統一感に溢れている。変わらない、笑顔はスマイルゼロ円。ため息を付き、ずり落ちてきたマフラーを首に寄せる。
「…何してんの」
というかココ関係車両の駐車所なハズですけど。いいじゃんそんなん無視ーと明るく笑う彼。呆れた、再度溜め息が零れる。ヴィオはジャケットのポケットに手を突っこんだまま、ひらりとこちらに向き直った。
「ルナを待ってた」
「…なんで」
ココが分かったの?声が言葉にならずに胃に落ちた。ヴィオは漂々とした態度で口の端を持ち上げて笑った。
「…ルナのことなら何でも分かるよ」
真面目な顔でそう言われて、互いの視線があったまま、2秒。
「…変態?」
「めげませんよ俺―」
途端にガクッと肩を落とすヴィオを彼女はあくまでも冷静に見つめ返すのみであった。ひゅう、とどこからか入り込んだ外からの生ぬるい風が頬を撫でていく。それを感じてから視線を彼に戻せば、彼―ヴィオは口元に笑みを浮かべたまま、こちらを見つめていた。
「昔、旧世紀の話だけど、植物は純粋なものと考えられていた。動物界は悪、そうでなければゼン…正しいものだったのさ」
「…ヴィオ?」
何を言ってるの?首をかしげるこちらにお構いもせず、ヴィオは淡々と話し続けている。
「何故なら植物は自然から生まれたものであり人工的ではない。すなわち神が創ったものとされていたから。…色が認識される時代には作る事が困難だった緑と、贖罪の色である―聖人が流した血の色さー赤は人々に高級な色となった」
「…何を知ってるの、貴方」
柳眉を潜めたルナに、ヴィオはあくまでも悠然と微笑を浮かべるだけだ。
コツン。
彼が地面を蹴った音と、空気が擦れた音がして、次の瞬間には彼女のまん前に立っているヴィオの姿があった。
「っ!!」
「綺麗な手」
左手で自分の手首を視線近くまで持ち上げるヴィオに、ぞく、と悪寒が走る。何なのだ一体。今のは人間には出来ない…
「はなし…て」
「この手が血に染まる所なんて見たくないね。俺なら愛でて君ごと愛するのに」
「なにを…!」
にっこり。そう聞こえてきそうな程静かな夜に、至近距離で彼の顔が笑みを作った。グイ、と掴まれた手首ごと体を寄せられる。
「ヴィオ…!」
耳元に彼の唇が掠れて当たる。吐息がかかってぞわ、と再度背筋が震えるのが分かった。耳にその吹きかけるようにヴィオはね、ルナ聞いて、と囁いた。
「ルナ。色だけじゃない、宗教と密接に関わっている色は何だ? 永遠に輝きを放つ色彩、姿かたち壊れぬ色。古来から人々がその魅惑に執着した、それを探してご覧。聡い君ならそこまで言えば分かるはずだ」
「…貴方は何者なの?」
「……さぁ」
「っ! ふざけないで」
「ふざけてはないよ。ヒントをあげただけ。俺は関係ないから。でもルナが悩んで苦しんでるのは見たくないもの。それのことと」
「断罪の色を啜るあの愛しい悪魔の事と」
「っ!!」
何処まで知っているの!?
そう言おうとした言葉は再び飲み込まれる事になった。
振り向いた時には、彼の姿はそこから消え去っていた。