20.不機嫌な理由
「黒い瞳…ロマ(ジプシー)の女性に恋焦がれた男の苦悩と劣情、ね…」
デスクのPCで検索した歌詞を見て、ポツリ呟く。デスクとデスクチェアにかかった負荷に思わず顔を上げれば、うわ、不機嫌そうな顔。カインがまるでPC画面を射殺すかのような勢いで睨みつけている。
昨日から、再会した時からずっとこうだ。
「もう機嫌直したら」
「……」
「私はもう大丈夫だから」
鉄仮面のように表情を固めてしまった彼は、口数すら減ってしまった訳で。
とりあえず、苦笑いをしてみる。正直困っていた。しかし仕方ないと振り向き再度見つめた顔は痛ましいほど切なげだった。
「護るとか誓っておきながら…俺はまた傷つけた…」
「大丈夫」
「俺は…また傷つけるかもしれない…」
「カイン」
そういって笑えば、今度は抱きしめられた。腕の中に入れられた途端、カインの匂いが鼻腔をくすぐった。安心するのは決して気のせいではない。
もともとそのために自分がこの人外な悪魔と組まされたのは、百も承知なコトだった。最初から上層部は自分をカインへの『生贄』にしたのだ。自分達の地位の保身と安全のために。この組織はその昔からそう成り立っている。入る時には上司には逆らわないという誓いまでさせられるのだ。
それはここに今も根付き、慣習化された忌まわしき一つでもあった。まあその策略にはまってしまった自分も自分だけれど。
「進めよう。後もう少しよ、近いわ」
「……ああ」
カインがイラついていたのには二つ、理由があった。
一つは、あの時教誨の現場に最初に着いた時、死体は何も持ってはいなかった。告解室から戻ってみれば、持っていなかった死体がオルゴールとタロットを持たされていた。
ステンドグラスに書かれた文字は時間が経過していたから、被害者を殺した時に書いたものと断定された。つまり、犯人はわざわざ現場に戻って来て、被害者にあの遺留品を持たせたことになる。自分達を見ていたことになるのだ。自分の気配を年長者であるカインに悟られずに。
長きを生きているカインにとって、その気配を察する事が出来なかったのはプライドと誇りを傷つけられたに等しい物だった。それからずっとそのことを気にしている。
もう一つは、多分。
(私を…標的にされてしまったこと)
自惚れている訳ではないが、そうだろうと思っている。置かれたタロットはよく市販されているものだ。『月』の意味は『不安』。タロットだけでは意味の方に向いていただろう。
もう一つの、オルゴール『黒い瞳』。現在この事件に関わり、黒い瞳を持つ、『月』。能力者には黒い瞳の者も多少いるが、「月」の名を持つ人間は自分のみ。
決定打はオルゴールに書かれていた血文字だった。
『IT'S THE LAST YOU RUNA』
(最後は君だよ、ルナ)
それを見た途端カインは怒りに身を任せ、なおかつオルゴールが黒い瞳だと聞いて暴走寸前になった。ルナ自身が彼に血を飲ませた後、それも致死量寸前まで飲み干してカインはようやく我に返ったらしい。飲んだ事すらぼんやりとした覚えていないとか。それにちょっと怒りを感じたが、その後対面したその顔を見てまぁいいやと思ってしまった。あんまりにも痛々しい表情なんだもの。
それでも後処理が大変だったらしい。あの後に会ったオギは何度もそう呟いていた。不意に視界に入ってきた真新しいまっ白な左腕の包帯を思わずさする。
「痛むか」
その様子を見ていたカインが眉を寄せて左腕に触れた。ルナは何も心配ないとばかりにううん、と笑顔で首を振って、大丈夫だと心で言った。そうしてからデスクに置かれていたメモリーディスクをPCに差し込む。インターネットや書物から漁って来た情報を集めてみたものだった。パパッとPCに画像や取り込んだページが現われる。
「あれから『色彩の紋章』についても少し勉強したの。カインには到底及ばないけれど」
調べておいた自分が望む情報を探してトントンと引き出していく。
「緑色はこうなるわ」
『緑色は渇きと湿り気の中間にある物質にあって熱さによって生じる。しかし葉や果実や木々から分かるようにこの色は渇きよりむしろ湿り気の方に傾いている。
そのため緑色は黒っぽい。そして両眼に緑を眺めるように促し、力をつけ、さらに眼が疲れたときには回復させてくれる。
この色はいつも陽気で、青春の色である。木々、野原、葉、そして果実を表す。石ではエメラルド・碧玉・緑石英などに例えられる。いずれも貴石である。
この色は美・悦び・快楽・永続を表す。……この色は時間と共に変化するから、愛が変わりやすいことを意味している』
「永遠を持続するといいながらも変わりやすさも明示している。この矛盾性が特徴でもある。青春の色でもあったから、若者が身につけたり、婚礼や出産の場にも使用された」
「他にも、子供や道化の人間が身につけたともされていると」
ルナの説明をカインがそのまま引き継ぐ。
「『未熟な』意味合いも含んでいるそれは当時…中世の人間の考えでは相応しいとされた。ともに理性を欠いていて、その色がふさわしかろう、と」
「理性を欠いている、ね。その通りね」
ため息をついて、デスクチェアの背もたれにもたれかかる。
「自分が理性を欠いていると自覚している、と?」
ちら、と視線をあげた瞬間に見つめられたその瞳がクッと細められる。
「そうかもしれんな」
「理性を欠いた、子供…」
ボードに書き込んでいきながら、そのまま考える。緑。子供。理性を欠いた子供。きゅ。書き終えて、ペンのフタを閉めて、腕を組んだ状態で再度思考を始める。
「……つまり……意味をそのまま捉えるならば、犯人は子供、それも特別狂気と宗教観に愛された子ってことじゃない」
「そのままの奴だっているさ」
カーテンを引いた薄暗がりのワークルームの中、アメシストの瞳が凛とした炎を放つ。その色の炎に蹴落とされるのはいつも自分だ。ぞっとして、でもそのまま瞳から眼が離せなくなる。カインは重々しく口を開いた。
「ヴァンパイアだってコトは半分の割合で黒だといっているんだ。ヴァンパイアは覚醒した年齢で見た目が決まる。見た目が幼いからと言って、実はよぼよぼの老人だったりするからな。そういう奴に限って、血の好みとかもうるさいんだ」
「会った事、あるの?」
見つめあったままの状態のカインがそう聞いた瞬間、キレイな柳眉をキュッと潜め、顔をしかめた。
苦々しげに苦悶の表情を作ってから、言いにくそうにポツリ、と言った。
「……はるか昔に」
どのくらい前の話なんだろうか。少なくとも自分が生まれるよりは前?いやそもそもカインが覚醒…もとい、死んだ日が分からない。意外と年食っているのかもしれないし、そうでないのかもしれないから異種って不思議だ。そんなに嫌な出来事だったんだろうか。カインがここまで嫌そうにするなんて。何故だか自分自身に自己嫌悪していた。
「……そう」
カインはそのまま目を丸くしてどうやら驚いたようだった。こちらの姿を視界に入れたまま口を開く。
「…聞かないのか?」
「聞きたいわよ」
素直にそう答えた。
「何故…?」
本当に何故、とカインは再度繰り返した。分からない―
「…そんな嫌そうにしてるのに。聞ける訳ないでしょう」
貴方のそんな顔見て喜ぶほど物好きじゃないもの。いい終えるか否か、次の瞬間にはカインの腕の中に居た。ううん、なぜ抱きしめられているんだ。恥ずかしい。彼の腕の中でそのまま身動きが取れなくなる。
「…お前は」
腕で抱きしめたまま、顔だけ下げてカインが視線をこちらに合わせてくる。その表情は時折彼が見せる、泣き笑いのような、切ないような愛しいような、そんな表情だった。
「…君は…俺を同じ目線で扱ってくれるんだな」
そんなの反則、だ。そんなに切なそうに見つめてくるなんて、反則にも程がある。押さえの利かなくなった心臓が止まらなくて、心臓以外の部分がきゅう、となる。
「いつか、話してくれればいい」
やっと、それだけを言った。カインはふわりと笑ってああと答える。
「そうする。でもそう遠くないと思う」
ぎゅう、と抱きしめられた腕が急に強く引かれ、カインの空気が近くなる。香水なんてつけていないのに、彼からはいつも不思議な香りがする。アジアンぽいような、そうでないような。それと、彼の手の冷たさ。血を飲んだ時は温かいけれど、いつもは冷たいその手。それが妙に自分を安心させてくれる。
「いつか話す」
―俺なんか、お前に全てくれてやろう。
耳元で囁くような艶めく声音に、顔の紅潮はもう止まりそうにはない。
うわ、弱いなぁ、自分。いつのまにこんな風になってしまったんだろう。彼の一挙一動に振り回されて、それがいつのまにかイヤではなくなっている、なんて。カインが自分を再びそっと覗き込む。輝石のようなアメシストの瞳がこちらを捉えこんで離さない。その魅惑の色に、思わず溜め息が出てしまう。紫は神秘だ。だけどそれはカインが持つと淫靡なまでに香る。色は魔力だ。そう思うようになったのも、カインと出会ってからかも知れなかった。未だ姿の見えぬ殺人者も、こんな事を思ったのだろうか?
「…グリーン…思えば最初から緑に囲まれていたじゃない。なぜ気がつかなかったんだろう」
「…緑の木々。囲まれた公園か。そうだな、右に同じ意見だ。後は…ヤツは何故緑に固執する、かが解ければ進めるんだな。全く」
てこずらせてくれる。そう言ってカインは歯を食いしばったので、犬歯が危うく唇を突き破る所だった。そっと視線で制し、ボードに眼を移してから一言添えた。
『グリーンに固執する理由、その意図は?』
それが分かれば、こんな苦労などしていない。
今度は嘆きの溜め息が零れた。