1.就任
「このたび新しく特殊課配属となりました月=紺青(ルナ=コンジョウ)です。よろしくご指導下さい」
挨拶をして下げた肩から、色素の抜けた茶髪がふわりと流れた。
再び上がった面には写真で目にした顔―他を圧倒させてしまいそうな強い瞳―とびきりの黒の瞳が輝いている。
―出来るのか、果たして。
その瞳を見ながら、上司になった彼は思う。 今回の事件は本当に厄介なのだ。ため息をつきそうなのを堪えて、そっと唇に言葉を乗せる。
「上司のオギだ。着任早々君に厄介なものを押し付ける事に、なった」
妙な所で区切った自分に気がついたのだろう、彼女はその整った顔を軽く傾げて眉を寄せた。 言わなくてはならない。そう思い直し、重くなりつつある口をゆるゆると開いた。
「連続殺人事件の捜査官として君を任命する。ルナ」
「それが厄介とは思えませんね。何の弊害がおありです?」
彼は彼女にごく薄い―事件の報告書を資料として手渡しながら答えて言った。
「事件は至ってシンプルだ。被害者は10~20代の若い女性。時間帯としては夜0:00~2:00の間、人通りの少ない時間に公園やら路地でやられている」
「死因は…」
「色々だ。絞殺、刺殺、撲殺。それで身体から血が抜かれていたりもした。共通していたのはどれも身体に2つの牙痕を発見している事か」
「ヴァンパイア…?」
「かもしれん。だか確証は今の所見つかっていないに等しい。今は人も血を好む時代だからな」
ルナ自身はヴァンパイアが試験的に生まれ暴走を止めないこの時代にこうして時々殺人事件が起こるとも聞いていた。
しかし…
「何が…厄介です? いい加減解るよう仰って下さいミスター.オギ」
勘の鋭い子だ。能力者とは普段の五感もずば抜けているものらしい。彼は再びゆっくりと言葉を発した。
「上は…ヴァンパイア事件になりかねないこの事件に、君を認めた。ニュー・カテゴリ…精神感応能力者の君を」
―今や老若男女、異種、獣人や魔女、能力者など、何をかをも受け入れられるようになってきたこの時代、警察当局が尤も畏怖するものの1つがヴァンパイアの存在である。凶暴かつあらゆる人種を飛び越えたこの存在は、時として人を襲う。あまりにその行為が劣悪であれば、さすがに上もその重い腰を上げざるを得なくなる。その中で能力者はいまや異種と対等に渡り合える重宝物である。ルナはその中でもその場にいれば人の思いが読め、触れれば情報がテレビの映像のように見られる。それがたとえ死者のものであっても。最初は志高く入ったけれど、実際はそんな甘いもんじゃなかった。……思い出すだけで容易に吐ける自信がある。むしろ吐くを越して自分の内臓すらぶちまけそうだわ。ルナは身構えて上司の次の言葉を待った。
「そしてもう1人…相棒としてある長期犯罪者の仮釈も認めた。彼に対する条件は2つ。犯人を逮捕又は死体を持ち帰れば刑期を減らし釈放してやる…と。そして仮釈の代わりにルナ、君が何時も傍にいる事を条件に」
「何ですって?」
棘のある冷たい声がそれこそ凛と響いた。無理もない。予想通りだ。オギは全てを放り投げて帰りたくなった。
「私も反対したんだ…そんな目で見ないでくれ、ルナ」
「上の非常識、無知なのにもほとほと困り果てるわ。…犯罪者と一緒…長期と言うからには、凶悪犯なのでしょう」
ルナの人一人を貫けそうなその瞳の強さに押され、彼は苦しげに眉を歪めながら告げた。
「サイコメトリー…でヴァンパイア…だ」
「冗談でしょう」
今度こそ呆れかえった彼女は、疲れたように右手を額に押し当てる。
「凶悪なヴァンパイアと四六時中一緒にいて、なおかつそいつは能力者ですって? 冗談もそこまでにしてほしいわ」
「能力者同志ならばいいものだろうと…すまないと思っている」
「だからって、サイコメトリーなんか未知数よ。下手したらただもれじゃないあたしの思考。イヤだわ分かる? ミスター・オギ。頭ん中四六時中のぞかれる屈辱」
「済まない……だか協力してくれないか。市民を助けると思って」
一番業務的な事をついてみればようやく諦めも付いたようだった。ふーっと長いため息のあと、綺麗な黒色の瞳をこちらに向けて戻し、力なくうめく。
「…名前は」
「?」
「そのヴァンパイアの名前。凶悪犯なら聞いたこと有るかもしれない。…腹くらい括らせてよ」
その言葉に彼は少し躊躇った後、静かな水面に水を流すかのように口を開いた。
「…カイン…カイン=ノアール」
しかしその名を聞いた途端、彼女は嘲りと共に大きく息を吐き出した。
「はっ! 天下の警視庁を潰しかけたあの凶悪殺人犯を、というわけね! 凶暴な獣の牙を抜けばどうにかなると本気で思ってらっしゃるのかしらお偉方は」
当然の反応だろう。オギはばれない様にため息をついた。
―カイン=ノアール。
警視庁を突如として襲撃し、人員の半数を殺戮せしめた現在長期服役中の凶悪犯。このおかげで警視庁は防犯の至らなさや防護に関してマスコミに面白おかしく書き立てられ、一般人の中にはその功績を崇拝し、BBSやチャットはその話題に花開いたと聞く。
「ルナ… 」
「分かってるわミスター・オギ。私だって人間よ。腹括るわよ」
「なんというか…済まない」
「いいですよ…それでいつ行くんですかそいつのとこに」
「1週間後の金曜日だ。その日を面会日に指定した」
「分かりました……また伺います」
彼女は敬礼をし、頭を下げて部屋から出て行った。
その姿を見送って彼は深くため息をついた。そのまま近くの椅子に腰掛け、あの独房の奥で笑う彼の…カイン=ノアールの言った事を思い出す。
〝共に過ごすということは、俺はそいつから食事をしていいということだ。いいのか、オギ〟
〝決定事項だ。一存では決められん。私は無力なのだよ、カイン〟
〝上が部下を悪魔の生贄に差し出したか…お前も逆らえば良いものを。全く人間というのは、常につまらぬ物に縛られておるのだな…まあいいオギ。案ずるな。殺さぬ程度に頂くさ。大事な相棒、だからな〟
この憂鬱もしばらくは聴いて貰えないのも、少し寂しい気がした。
◇ ◇ ◇ ◇ ◇
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ヴァンパイア。
おぞましさと血の臭いをまとい、時に残酷なまでに人を襲う化物。
人はいつの時代も彼らを愛しみ、厭い、そして蔑む。
「まあ人間の慣習や宗教とともに生きてきたということが大きいか。実際した人物がもとだったり、あるいは書物であったり。実際の人間の方がこうしてみると怖い。戦争の見せしめの為に捕虜を串刺しにしたり、己の欲求の為に処女の血を求めて殺人を繰り返したり。見つけたときはおぞましいだけではすまなかったそうだからな」
そういうとその男-妙齢の独特の雰囲気を漂わせながらもどこか抜けた感じの、白衣に身を包んだ男はそう言って笑った。ルナは軽くため息をついて男を見やった。
署内化学班特種捜査研究所―近年現われている新種の研究を対象にした研究所である。ニュー・カテゴリをいち早く理解しその能力をどれだけ引き出せるかが彼らの使命であるというが、実際はただの実験室に過ぎない。ルナ自身もかつてここのお世話になった事があるが―否、今もか―居てみてそう思った。みんな新種をモルモットの様にしか思っていない。その中で唯一話の通じたこのドクターレイ=トプレアガリアの元へは、こうしてたまに顔を出している。性格は嫌味なほど嫌な人種には相違ないけども。時々データ取らせろとか言うし。
「古来からの在る儀式では、生贄を用意して踊りや祈りを捧げた後に祭司が首をはね、そこから滴り落ちた血が大地へ吸われたら豊穣になるとか、血を自分の身体に塗りたくったりそれを飲んだりして力を得るとか、そういう受け入れがたい事実を他国がどう解釈したかによってやっぱり変わってくるよな。ヒャヒャヒャ、人間ってグロィねえ。それがでも当たり前だったんだぜ。なあルナ?」
「……もういいわ」
「なんだよつれねーな。代わりに血ィ採らせろよ」
「なにヴァンパイアみたいな事言ってんのよ」
「ヴァンピーは血ィ啜るんだろ。俺は血のデータくれって言ってんだ」
「……あほか」
真剣に言うところが何とも化学者っぽいと思う。否化学者なんだけども。ガタンと音を立てて椅子から立ち上がり、コポコポと音のする試験管の方へ歩み寄ってそれを見つめた。コレは何を作るつもりなんだろうと思いを馳せていると、デスクの上に肘をついたレイがいつの間にかじっとこちらを見ているのに気がつく。
振り向いて視線で問いかけると、レイはその何もかも見通しそうな瞳を変わらずに向けながら手の甲で隠した口の奥から言葉を発した。
「てか何でまた急にヴァンピーの情報なんか聞きたがった? 初めてじゃねえか」
「……」
「捜査機密、かぁ?」
「…そんなとこ」
「ヴァンピーの男なら注意しとけよ-。ヒャハァ!」
「マジおっさんうざいんで帰るわ」
「おっさんそう言われると泣いちゃうんだけどなー」
「嘘つけ」
へらへらと笑う中年を横目でじと、と見やりながらきゅ、と眉間に皺を寄せたルナは、そのまま自動扉まで近づくと彼に背を向けて手を振りながら彼の部屋を後にした。