15.それだけは言わないでよ
あの人が気づくのはいつなのだろう。
まだこちらのことは分からないようだった。
あの人が恋しい。スキ。スキ。
早くおいで、早く、ココへ。
アナタヘおくる赤をまた用意しました素晴らしい深紅をココに。
貴方のタメニ。アナタヲ思って。
今度はもっと分かるようにしますから。
貴方のタメニ、ここに生贄を捧げておきますね。
どうかどうか、今度はもっと近づいて。
アナタヲ恋しがる、鬼の元へ。
首から下げていた懐中時計を取り出す。シャリ…と鎖が鳴いた。
―時間だ、生贄サン。
パチンと言う音がした。暗闇の中、薄ぼんやりと瞳が開いたのが分かる。
これが恐怖に変わった瞬間、人間の思考が最大になる、芸術になる、思いになる。
さあ。
コートからナイフを取り出す。月夜がそれを照らし出し、一筋の光を放つ。
さあ。
世界が、朱に染まる。
◇ ◇ ◇
ルナは地下室に程近い階の一室の前で立ち尽くしている。
―なんで、こんなところに。
全てが自動扉になっている昨今、まさにヴァンパイアでも出そうな雰囲気をかもし出す昔ながらのその重たい扉を音を立てて押し開けると、金属が軋むような鈍い音が響き渡る。
「っ…けほっ」
程なくして室内の埃に喉を痛めつけられ、思わずむせる羽目になる。こらえて目を上げれば、探していた人物が署内でも薄暗くて埃っぽいその資料室をものともせず真剣にPCに向かって何かを見続けていた。此処にいる自分の気配にも気がつかないほどなんて、スゴイ集中力。そのまま戸口の壁にもたれてしばしその姿を観察することにして見つめていた。やがてカタカタというボード音が不意に消えたかと思うと、カインが不意こちらを見あげた。
「誰かと思えば」
ニヤリと笑い立ち上がると、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
「声を掛ければよかったものを」
「猛獣に不意打ちで触れて無事だと叫べる人間なんていないわ」嫌味を込めて言い放った。
「ははっ、なるほど」
そう言って組んでいた腕をほどいて、カインは軽快に笑った。どんな笑みも綺麗だと思ってしまうのは、気のせいか。心にもない事を呟きかけて、慌ててカインに本来の目的を尋ねた。
「それにしても、なんでこんな……処理室に?」
いぶかしげに眉を寄せてカインを見やれば、カインはすまなかった、とただ一言謝って視線を逸らした。どうにも挙動不審な所が否めないが、今のところは気にしない事にした。
しかしだ。
終った事件のデータをファイルやデータベース化しておいてあり、使う事はまれなこの部屋にましてや彼なんか用はなさそうなはず。カインはPCにちらりと目をやって答えた。
「ちょっと気になることがあってな。調べていた」
「気になること?」
「ああ」
そういってPCの前に立ったカインはタッチパネルで画面を動かしてある事件ファイルを引っ張ってきた。
「10件目と11件目で思念……というか空気が微妙に違うのを感じてな」
「そう?」
「ルナは10人目の時は使い物にならなかったからな」
「…悪かったわね。使えなくて」
「怒るなよ。そういう意味じゃない…それで気になっていたのでその日犯行時刻ないしその時間帯の前後に起こった事件を探していた。そしたならば、これだ」
「自殺、じゃない。どこが事件なの」
画面をじっと見つめて概要を読み直して聞いてみた。カインは良く見ろ、とコンコンと画面を小突いて返す。
「自殺者は20代男性、その首すっぱり事件の犯行時間と思われる時間の後にあるビルの屋上から飛び降りて死んでる。死因、というか原因は関係者に聞いても皆目検討がつかない。謎々のオンパレードだ」
「何が言いたいの?」
ムッとなって彼を睨みつける。
「おや、聡明なレディ」
カインはおやおやと言う顔でこちらを見つめた。トン、と画面を指でつき、見るように促す。
「気にはならないのか?首スッパリの直ぐ後に死んでるんだ。原因不明でな。そいつと10人目の接点は未だつかめていない」
「まさか……操られてた、といいたいの?」
「おそらくは」
カインの言葉にふう、と息をついてルナは腕を組んだ。成程。
「10人目までは操られた人間とそいつに惚れた人間が狂った、ないし操られていた。11人目からは…」
「ヴァンパイア」
「それもなかなか手強い。気配をかろうじて辿れるくらいにまで隠しているからな」
不意にカインがこちらをじっと見つめてきた。眉をひそめ、ポツリと呟く。
「気をつけろよ」
「何で?」
「ルナが今…1番危険だ」
「何でよ」
薄暗い部屋の中、PC画面の光で彼の目が淡く光を放つ。
「能力者…力のある人間は人外の者にとってはるか古来より格好の獲物だった。血肉を食べて力を得ると言うのは昔から人外問わず夢中になった。気をつけるに越した事は」
至極真面目な顔で、彼はその瞳をこちらに向けて呟くように言った。その物言いになぜかムカッとした。能力者だから? 何よりそう言われるのが自分の中で最も腹の立つ事なのだ。そう言われない様にさんざん努力してここまできたのに。
「……まるで能力者が得物みたいな言い方ね。貴方から見れば当然なのかしら」
いつの間にかそう言い放っていた自分がいた。
「そういう意味じゃ…」
途端にカインが酷く訝しがったのが分かった。
―そうじゃないのに。
しかし一度開いた口は止まりそうに無い。
「私の事もそう見てたわけ?」
「ルナ」
「ただの餌? だからこのこともしばらく伏せてたの?」
「何故怒るんだ」
―ダメだ。
直感的にそう感じて、思わずきびすを返して出口に向き直った。自分が壊れそうだ。ドアを開いて身体をねじ込ませる。
「ルナ!」
カインの声を吸い込むように、自分の叩き付けたドアは音を立ててそのまま閉まった。