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14.君を愛した俺を許して

「おかえり」


玄関を通り過ぎ、部屋の入口で立ち尽くしているとなじみのパープルがこちらを捉えてきたので思わずたじろいだ後に沈黙した。今の自分は酷く驚いた顔をしているに違いない。


「……あの」


やっとそれだけを呟けば、青白い肌に映える血紅色の唇が細く弓状に引かれる。ああ、あれは面白がっているな、と思った。


「根本的な所から勉強し直そうか」


帰って早々あっけに取られていた。オレンジ色の室内光の中で不敵に笑い、それでも大量の本・本・本をソファに山積みにして、部屋の入り口で立ち尽くすこちらを手招きするその人物をルナは黙って見つめてから言われるがまま近づいて行った。なにそれまた何をおっぱじめたんだ。たじろぐ自分をよそになおゆっくりと、なめらかな動作で手招きを繰り返しているその妖艶な手。悪戯にきらめくアメシスト・アイ。呆れて心で呟けば、彼はそれを聞き取ったかのように口を開いた。


「ルナ」


唇が自分の名を呼ぶためにそう動いただけなのに。


(わ…わわ…)


すぐに顔が紅くなってしまった。ドキドキと鳴り響く身体の内の臓器。


(なに…してるの私…どうしたんだろう)


「一体何を始めたのよ……」


小さな本の山を傍らに置いているのを察するに、カインは何かを読み漁っていたものらしい。ぐらついている山を何とか避けて、彼の傍へ座ろうとした。


「そこじゃない」


そう言ってぐいっと腕を引かれて、思わず転びそうになった。地面とキスをする代わりに、ポスンとカインの腕の中に埋まってしまう。背中にカインの胸板が押し付けられて、肩にカインの顔が乗っかった、そんな状態だ。


「ここなら逃げられない、な」


背後でカインが楽しそうな声で笑う。


「逃げるつもりなんかないってば!なんでこの状態なのよ…」


だんだんとミュートしていく声とはウラハラに、顔の火照りは比例してどんどん熱くなっていく。


(何なのよ、もう……)


「ただこうしたかっただけだ。許せルナ」


心で呟いた声を拾ってか、カインが耳元で囁いてちゅ、とそこに口付けを落とす。


「っ…!」


あわあわしている自分の感情を読んだのか、耳元でクスクスと笑い声が響いた。このまま調子を狂わされるのも癪だ。何とか冷静を取り戻して取り繕うように彼に問いかける。


「……で? …何をべんきょーし直すって?」



きっと耳も赤いんだろうな、とか恥ずかしくなりながらカインに趣旨を問いただすと、そうだった、と彼は手もとの本を掴んでルナの前で開いた。


「血をむさぼるヴァンパイアとは、その血とはそもそも何か、をだ」


ニンマリと笑みを浮かべこちらを見つめる。


「で、……何なんですか、貴方方は」

「人間的見解を言うなれば」


カインは1つの本を手に取って、立てた。


「伝説―実際の人間の残虐性から。

仮死(カタレプシ-)による早すぎた埋葬。人肉嗜好。病。死姦。吸血する動物達などなど。

それらが連想させたものということらしい。退廃的で官能的なその雰囲気が人間に受けて今じゃ研究対象第一位だ。人工的に創る方法も確立した時代もあったが、もう今は禁じられている」


一時ヴァンパイアを作り出したいと研究者達は躍起になっていた。しかし出来上がるのは腐り果てた死体のみ。意志を持たず、超人的な力もなかった。


「皆口をそろえて言った。悪魔は己の悪意と神の許しによって悪行を行う。故にこれは人外の所業。悪の仕業、神の許しであると」


ルナの生まれる前の話だ。そう言って彼は遠い目をした。


「ふうん…でもその連想させたもの…他はまあ…なんとなく想像つくとしても、人肉嗜好……共食いって」


カインはそんな事は無いと微笑んで答えた。


「ヴァンパイアというのは元は人間だ。そして血はいうなれば肉体の一部だ。

それを飲むということは共食いの一部に入るということ。しかし人間だってそれをやっていたぞ。食糧難の時や―呪術が盛んな頃が特に。力のある人間…魔術師・呪術師なんかの肉体を食べる事で、己にその力を取り込むと考えられていたから」

「ふうん…」

「ヴァンパイアは人々の生活様式にも長い間関わってきたこともあるが、なんと言っても宗教的な影響の方が大きい」

「宗教?」


彼はああ、と頷いた。「その昔」


「ごく僅かしか富と名声を得られない時代は、見えない理想郷よりも現実の欲望を充実させたいと一部の人々は願った。そんな事態に何とかしようとした宗教家達が人々をきちんとした宗教と言う法律の中に納めようとして考え出したのが悪魔であり悪霊であり、天国と反する地獄だった。その悪の中の一種がヴァンパイアだ。そう踏まえると魔女などもその一部に入っていたということだな。魔女は嬰児(エイジ)の肉を悪魔に捧げ、血を喰らうとされたから」

「……なるほどね」

「神は神格化された者であると同時に、肉体をもっていなければならなかった。人間に訴え、人間と関わる。人間のあやまちを諭すため、導くため。それには肉体が必要だったから。

逆にそれは対を成す悪魔も同じでなければならなかった。目的は違うがな。悪に染めるため、さまざまな誘惑を人間にふりかける為」


気配が近づいて、耳元で婀娜めいて笑う声。


「人間と欲望のままに交わる為」

「っっ!バカッ」


大慌てで肘で彼の胸を強く小突く。さして痛くも感じては無いだろうが。案の定、彼は声に笑みを残したまま顔を上げた。


「…まあ、逆に天国に行く人間には肉欲、というものが存在しない。必要がないから。いつまでも永久の身体を、命を神の御許で過ごすから。繁殖は必要ない。それは神に背く人の原罪の一つであるから」

「同じでありながら、真逆の存在…」


ルナの呟きをカインが頷いて聞いていた。


「天国は人間の第二の住まう場所と考えられた。そこに行く人々はいつまでも続く悦楽を約束された。逆に地獄は、死ぬことの無い身体を、終わる事の無い業火に焼かれ続ける。永久に続く苦しみ…」

「………」

「……そんな顔をするな。人の観点から言えばそうと信じられているんだ」

「ええ…」


何て答えていいのか分からなかった。もといじぶんは宗教なんかからっきしだ。そして自分に彼の過去は分からない。でも知る必要も無い。だけど―彼にとって拒絶は悲しい事だと思った。無意識に体を包む腕にそっと手を這わせ、手の甲に自分の手を重ねる。節々のはっきりした男性のそれはこうして触れると少し痛いような気がした。重ねたその手を、今度はカインが持ち上げて手の平にキスを落とす。ちゅ、と静かな部屋にそれだけが響いて耳を焦がした。


「ルナ」


耳元で囁いたカインが今度は後頭部に、そっと。頬に、首筋に。何度も何度も静かな音を響かせて。一通りの行為で気が済んだのかふとその動きを止めて、今思いついたという感じで呟いた。


「………ここで押し倒したら、勉強にならないな」

「っ!……」


何を言い出すんだ、と言葉にする前にカインの身体が後ろに引いて、振り向かされる。大きな手の平の感触が頬をくるんで、唇を唇で塞がれた。


「ん………」


ついばむような、優しい口付けを何度も何度も落とされた。ちゅ、ちゅ、と今度はその音が脳まで溶かしていくようだ。冷たいはず、なのにカインの唇は熱かった。部屋の明かりの逆光に照らされたカインの顔がやがてルナの顔を捉えた。


「………愛おしすぎる」


刹那的に輝くパープルの双眸が、揺れた。柳眉をしかめ、必死に笑みを創るそれは泣き笑いのそれにも似ていた。痛い胸の奥を必死に堪える。その一言が心を捕らえ、火が回るような速さで彼を呼ぶ。その頬に両手を滑らせて、瞳を逃すまいと捉える。カインを視界から外したくなかった。


「……カイン」

「……許して」


そして、この心と身体をさらっていく度に、カインは叫ぶ。

何度も、何度も。この心に、それは痛いほど響いてくる。



『君を愛してしまった、俺を許して――……』



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