13.定期報告
いつもの月一報告の時間をうっかりして5分程遅れてしまい、慌てて上司に電話を入れてからオギの執務室まで出向いていかねばならないのは勇気がいった。此処までが長い、いや短い。夜までは時間があるし、カインにメモを残して家を出た。これで色々雑務をしたら帰り際に買い物でもして行こう。冷蔵庫も空になりつつある。彼の執務室の前でそう決めて、ドアノブに手をかけ、ノックをした。
「どうぞ」
「失礼します」
部屋の中はシックな色合いがとても素敵な、シンプルな所だった。パッと見て直ぐに一つ一つが調度品だと分かる品々を見物しながら部屋の中心に進む。オギは太陽を背にして座っていて、デスクでカタカタとしばらくPCを打った後、手を止めてこちらに顔を上げた。
「久しぶりかな」
「そうですね」
穏やかに微笑むダンディな笑顔に、一体どれだけの婦人が落ちるのだろうか、と考えて、こちらも口元に小さく笑みを刻んで笑った。
「どうかな、進展具合は」
「……………1歩進んで、といったところですかね」
「というと?」
「犯人の顔がおぼろげながらつかめてきたのですが、それ以降進展がなくて。証拠なら一発でしょう。遺体の牙痕と犯人のものを照合させればいいわけですから」
「カインでも?」
「ええ。感覚のみですが、ヴァンパイアであることは五分五分でしょう。ヴァンパイアならばそれらしい気配も読めるんでしょうが、今回は何故か断定できない件がいくつかあります。気配を消しているのか、別の方法か。それが難点でもあります。瞳の色は緑、髪は茶髪。それを読んだのは私ですが。動機も分からない。闇雲に殺しているのかもしれませんが」
「ヴァンパイアが犯人と、そうじゃないのが犯人と二通り見える、ということだね。そして動機が見えないと」
「ええ」
どうぞ、と資料を渡す。オギはそれを一通りざっと目を通し、なるほど、と頷いていた。
そして何かを考え込んでしまった。しばらく彼が考えるのを見守っていると、オギがゆっくりと口を開く。
「案外、単純かもしれないな」
「?」
「理由なんてな、ヒトであろうとなかろうと、深く根付く程に単純なものはそうそう転がってはいまいよ。それこそ恋と同じだ。そうだろう?」
そうふられて、ちょっとドキッとしてしまう。顔に出さずに飲み込んで、ルナは笑った。
「そうですね」
「まあこれはまたじっくり目を通しておくよ…………カインは今日?」
「日中ですから、寝ているのかと」
「おや、めずらしい」
「何がです」
オギは本当に目を丸くしていて、酷く驚いているようだった。
「カインが寝ているなんて最近は聞かなかったからな。あれは監獄で2時間仮眠すればいいほうだった」
「……そうだったんですか」
それは初耳だった。いくらヴァンパイアでも寝なければ身体が持たないだろうに。それをさせる何かが彼にはあったんだろうか。オギは卓上で組んだ手に顎をのせてこちらを見上げた。
「…君のことが余程気に入ったと見える」
「…………どう答えて良いかわかりません」
「いい意味だよルナ。……事件の方、犠牲者が増えないうちに早く何か掴んでくれ。今日はもう良い。帰ってカインを安心させておあげ。嗚呼、それで今回の忘れていた件は付けといてあげよう」
「ぐっ…すみませ…」
「行くといい」
「……失礼します」
ぐうの音も出ぬまま頭を下げてルナは黙って執務室を後にした。甘く見すぎた、と心から自分を叱責しながら。
◇ ◇ ◇
オギの執務室の帰りに血液貯蔵室に寄って、カインの食糧を自宅へ運んで貰うように頼んで、それから自分の冷蔵庫の中身を補充するために買い物に出た。
(二時間……)
テクテクとコンクリートの歩道を歩きながら、ルナは思考にふける。
『君のことが、よほど気に入ったと見える』
オギが言ったことが、頭から離れない。最初に釈放されるとき、彼はあの大虐殺について言っていた。寝床が欲しかっただけ、と。だからどんな凶悪犯と身構えていたけどカインはまったくそれっぽくなくて。逆にその匂い立つような危険な空気や人を惑わせる瞳に、いつの間にか囚われてしまっている自分がいて。
(知らないことが……多い)
真実はどうなのだろう? ぼんやりと歩いていて、いつの間にか前からくる人影に気がつかなかった。
ドン、と激しくぶつかる音がし、そのまま転びそうになるところを相手の手が引っ張ってくれたので何とか踏みとどまった。
「…す、すいません!」
慌てて相手の方に声をかける。そのまま握られていた手に気がついて、さらにスミマセン、と謝った。
「いえ、こちらこそ。…お姉さんこそ大丈夫?」
(うわ…)
見返した先で、そう微笑んだのはまだ16.7才くらいの小柄な青年だった。宝石のアンバーにも似た薄茶色の瞳が少年を抜け出た年代と合っていて、あどけなくて眩しい。端正な顔立ちに合わせたような短髪の黒髪がとても爽やかだ。パーカーにボーイズデニムといったシンプルな格好ながらも、一目見たら印象に残りそうなその顔がニコッと笑って言った。
「お姉さんが無事で何よりです」
抱えていた荷物をさして、
「荷物もね」
いたずらっぽく笑うところが何と言うかかわいらしくて、ルナは思わずクスリと声を上げてしまった。
「そうね、ありがとう。ほんとゴメンなさい」
「お買い物ですか?」少年が不意にたずねた。
「ええ。君は?」
「ジェイド」
「え?」
青年が一指し指を自分にさして言った。
「僕ジェイド=ソブレーズって言います。これも何かの縁だし。お姉さん美人だから教えてあげる」
ませた子なぁとか思う時点で年喰ってるな、と思う自分が情けない。あははっと苦笑しつつ、ありがとう、と言っておいた。彼―ジェイドは悪戯っこのような光を瞳に宿らせて笑う。
「僕今日何にもなくてフラフラしてただけだから。お姉さんみたいな美人にぶつかるなんてラッキーだったかな、逆に。ねえ、お買い物ついてっていいですか?荷物持ってあげる」
おいおい最近の子はホント凄いな。しかし流石にちょっと強引すぎやしないか?と思っていると彼は強引にほら、と自分から荷物をひったくってしまった。しょうがない、ましてや年下相手に喚いてどうなろう。彼は荷物を振り回しすぎずゆっくりと、振り子のようにして横を歩く。
「重くない?」
「大丈夫、僕こう見えて力あるんです」
へーきへーきと言って、彼―ジェイドは本当に軽々と持って見せた。そういえば大人一人軽々と引っ張ってたな。カワイイ顔して意外とやるわね。いいや自分が重いとかそんなんじゃないけど。
「仕事帰り?」
「ええ」
「当ててあげる。警察の人でしょ?」
「…!」
びっくりしたルナを見て、ジェイドは当たった?と面白そうな笑みを浮かべ、ふふふっと声をあげて笑った。
「実はお姉さんのトコ歩道橋で見たの。あそこってサツジンの事件現場だったじゃん。スーツ着て色々見てたから、そうかなって。そんでたまたま今日また見かけたの」
「……」
そういえば。
あの時姿ははっきりしなかったけど誰か見ていたという気配があった。さして気にも留めなかったんだけれども…
「君だったの」
「そう。そんで今日はたまたまぶつかっちゃった。これって運命感じない?」
キラキラとした眼差しでこちらを見つめる。なんてセリフを吐くんだ。純粋に言うからまた怖い。差し障りなく答えを返して笑いかけた。
「ありがとう。それで荷物まで持ってもらうにはちょっと申し訳なかったわ」
「いいえ。でもそれにしても量が少ない。お姉さん1人暮らし?」
「ええ」
カインの事は一般には伏せてあるからそんな軽々しく言えないので黙っておく事にした。まあまさか凶悪犯と一つ屋根の下です、なんて口が裂けても言えないけれども。こちらのそんな答えの返し方にジェイドはふうん、と不思議そうに呟いていた。
「彼氏いるんじゃないの?」
「いないわ」
「ふーん……」
歩道橋に居たのだったらカインの事も見ていたかもしれないし、介抱されるのも見ててもおかしくない。それでもすまして返すが、ニヤニヤとしながらこちらを見つめてくるのを見ると、怪しがっている、と分かる。やがて駅の近くまでくると、ジェイドに此処でいいわ、と彼から荷物を受け取った。その途端いいのに…と二つの双眸がふて腐れたように伏せられる。そんな表情1つにもクスッと笑みが零れた。
「ぶつかっておいて言うのも何だけど、助かったわ。今日はありがとう。ジェイド」
「どういたしまして」
彼の薄茶の瞳がパッと持ち上がって輝いた。
「家から遠くなっちゃったんじゃない?大丈夫?」
「へーきへーき。ねえお姉さんの名前教えてください。聞くの忘れちゃった」
「ルナ。ルナ=コンジョウよ」
「じゃあルナさん、また会ってね」
「会えたらね。忙しいんだから」
バイバイと手を振って、ルナは駅のホームへとかけて行った。
「会えるよ…きっとね…」
ジェイドがそう呟いたことにも、勿論気がつくことは無かった。