勘違いだと言わないで
「寒い……」
吐き出す息が白く夜に溶けていくのを見送り、ロロナは時計台を見上げた。
待ち合わせから既に五時間が過ぎ、空はとっぷりと闇に包まれている。
それでも帰らないでいるのは、一握りの希望に縋って――ではなく、これが真実最後のチャンスだからだ。
明日になればロロナはもうこうして外に出る事は出来ない。なにしろ、明日ロロナは顔も知らぬ男性へ嫁がされる事が決まっている。
それでも、とここで待っているのは、この一年ずっと片想いを続けていた騎士のエヴァンがこの道を通っていきつけの酒場に向かうのを知っているからだ。
はじめてエヴァンに出会ったのは一年前、酔っ払いに路地へ引きずり込まれそうになったのを助けて貰った時だ。その時からずっと、ロロナは一途にエヴァンだけを慕い続けていた。
そんな彼女に対して返されたのは「それはただの勘違いだ」という冷たい言葉だったのだが。
確かにエヴァンは25歳、ロロナは14歳。年の差を考えても子供の勘違いと思われておかしくない。
恋に恋している夢見がちな幻想に過ぎないと、そう返してロロナを拒絶したエヴァンは間違ってはいない。騎士であるならば当然な、誠意ある態度だとも言える。
けれど、どんなに冷たい言葉を投げられても、周りに諦めるように言われても、ロロナの心はただひたすらエヴァンだけを思っていて。
燃えるような炎ではなく、静かに湧き出す泉のように、少しずつ日々膨らんでいくこの想いを、勘違いの言葉で終わらせて欲しくなくて。
確かに自分は子供だ。けれど、この想いは間違いなく本物で、確かに彼に恋しているのだから、それを否定だけはされたくなかった。
つきあって欲しい、そんな大それた願いは抱かない。そんな望みは遥か昔に諦めている。
だからどうか、エヴァンを好きだというこの想いだけは。
……ゴォォ……ン……ゴォォ……ン……
六時間経った事を告げる鐘の音が響く。同時に降り出したのは白くやわらかく、冷たくも優しい雪の花。
いくつも降りて来たキラキラと輝く結晶に天を仰げば、夜の灯火にキラキラと光る様が宝石よりも綺麗で、思わず目を奪われてしまった。
無意識に手を伸ばせば指先に冷たさが宿る。じんわりと染み込む寒さになんとなく笑みを浮かべたのと、ぎょっとしたように名前を呼ばれるのは同時で。
ゆっくりと顔を向けた先には、驚愕そのものの表情のエヴァンが立っていた。
「なんでこんな場所に……っ」
時間はもう宵をとうに過ぎていて、そろそろ酔っ払いが出て来てもおかしくはない頃だ。ただでさえこの場所は酒場が多く、若い女が一人でいる場所ではない。
けれど、そう口にしてからハッとしたように瞠目されて、ああ約束を覚えていてくれたのだなとロロナは小さく微笑みを浮かべた。
「待って、いたのか」
「はい」
「……もう、六時間も過ぎているのに?」
「お会い出来るまで、帰るつもりはありませんでしたから」
伝えなければならない事がある。知っていて欲しい事がある。
否定しないで欲しい、想いがある。
だから、どうしても諦めたくなかった。真実これが最後になるとわかっていたから。
「エヴァン様、私は貴方が好きです」
「だから、それは勘違いだと言っているだろう? 君のように若い女性が、こんな年上の男を想う理由がない。俺がたまたま助けたから、そう思い込んでいるだけだ」
「そうではないと、何度も言っています。この想いは、勘違いなんかじゃない」
静かにそう言って、ロロナはふわりと微笑みを浮かべる。
「だって、抱かれて遊ばれたとしても後悔しないんですよ? この一年、ずっと気持ちは揺らがなかった。だから、お願いです」
穏やかな微笑と裏腹に、その瞳はうっすらと涙が浮かぶ。
「私を好きになってとは言いません、言えません。だけど、この想いを子供の戯言と切り捨てないで」
そうして軽く地面を蹴ると、油断していたエヴァンに抱き着いて背伸びをする。
運がいい、ちょうど彼の前に足場になりそうな石があった。それに登れば何とか届く。
精一杯の想いをこめて唇を押し付ければ、想像していたよりもずっと甘やかな喜びが心を震わせた。
「貴方が好きです、大好きです。もう二度と想いを伝えられないなら、せめてはじめてのキスは好きな人としたかった」
「な……!?」
「ごめんなさい、エヴァン様。貴方を愛してます、ずっと」
これで終わりだ。そう呟いて、ロロナは身を翻した。
呆気にとられたエヴァンが追いかけられないよう、最初から全力で逃げ出す。
「ロロナ!?」
ああ。後ろからはじめて呼ばれた名前に喜びと、どうしようもない絶望を味わいながらロロナは走る。
もう二度と会えない、会ってはいけない唯一の人。大好きで、大好きで。
だけど、明日には別の男の元へ嫁ぐから。この恋は、終わりにしなければ。
「……エヴァン様、愛しています」
最後の愛の言葉と共に、きつく閉じた瞼からは抑えきれない恋情が涙となって溢れていた。
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